6月第2週(1) 秩父谷の絵かきに「雨滴」で再会する。
ジャズをきいて須田剋太が現れる。  


■ 書愉房「雨滴」(しょゆぼう うてき) 渡辺遮莫次郎・黒澤有一展
埼玉県熊谷市太井2148-5 tel.048-523-2153

埼玉新聞に米山士郎記者が書いた記事で、渡辺遮莫次郎(わたなべさもじろう)の絵+黒澤有一の陶芸の展示が始まったと紹介されていた。
渡辺遮莫次郎という名前はじつに久しぶりで、10年以上前、僕は埼玉県立近代美術館にいたころだったが、そこで展示を見たことがある。
奇妙な絵で、ほとんど人間の背丈ほどもある怪しい魚が立っていた。
傘を日本刀のように腰にさしている魚は、雨を受けながら空を仰いでいる。
『鮫女魚(さめこ)』というタイトルの魚は、頭がサメ、肩から下が人間の裸の女で、人魚伝説の人魚のようには美しくもエロチックでもない。細い哀れな体で、目からは涙を流していて、人間に食べられてしまう魚の運命を嘆いている。

前から知っている美術館の同僚たちは「さもさん」と親しみをこめてよんでいた。
そのさもさんは、荒川をさかのぼった秩父の奥、吉田の谷沿いで、釣りが何よりの楽しみという暮らしをされていた。
恵まれた自然のなかで作られる作品には、やさしさ、あたたかさの一方で、消費的生活へ苦いユーモア、皮肉、風刺がこめられることになる。
美術館の会場では、短い時間、話をしただけだったのだが、かわった名前、ほかに見たことのないような絵、ご本人の独特の風貌−とこれだけそろったら、人をなかなか覚えられない僕でも忘れずにいた。

今回の会場の書愉房「雨滴」は、書家の立谷峰久(たちやほうきゅう)さんが拠点にするアトリエで、築90年以上たつ民家をつかっている。
その所有者は 小島昌彦さんという園芸家。

民家書家、画家、陶芸家、園芸家が集まり、恐妻家の僕とその妻も仲間に加えてもらって、和気あいあいと話しこむことになった。こういうところが画廊や美術館と違う民家効果かもしれない。

さもさんがかつてだした絵本のいくつかをまとめた復刻版『さかなになった武甲山 うたのおまけつき』が会場で売られていた。箱入りの本を1つ買うと、薄い楽譜がおまけに入っている。さもさんが本にサインしながら、そのなかの1曲をさらっと歌ってくれて、ぜいたくな本当の「うたのおまけつき」になった。
渡辺遮莫次郎さんのかわいいサイン

前に『怪魚図』(版画:柄澤齊)を買ったことがある。東京都全体を魚に見立てていた。
さもさんには、武甲山が魚になった『山塊魚』という作品があるが、図版で見たきり。1m20cm×1m10cmという大きな絵の現物を見てみたいものだと思う。

          ◇          ◇

「雨滴」は熊谷市といっても行田市寄りにある。元荒川の少し北で、高架の新幹線がすぐ近くを通っている。
福聚院というお寺の墓地の近く。
僕は熊谷図書館に4月から自転車通勤しているが、その道筋のすぐ近くにあった。毎日少しずつ違った道を選んで走っているのだが、「雨滴」の前を通る道はまだ選んだことがなかった。

「書愉房」は書を愉しむ場。
「雨滴」については、立谷峰久さんが由来の漢詩を板に書いて玄関脇にかけてあった。
  風吹緑竹韻
  雨滴蘚紋斑
     禅林類聚 巻四

民家のギャラリー、雨滴
僕のこのところの民家のギャラリーめぐりから勝手な意訳をすれば、
  前に行った「かぐや」では尺八が竹林に音色を響かせ
  今日の「雨滴」では筆から墨をしたたらせて、コケ(蘚)に点をうつ


● 加賀屋食堂
埼玉県熊谷市佐谷田2083 tel.048-521-3618

加賀屋の看板。お米のマーク。 国道17号にでてほんの50mほども熊谷方向に下ると、右側に大衆食堂がある。
数年前に改築したばかり。

直線ばかりで構成したデザイン。すっきりとしてあいまいなところがない。こんなふうにデザイン感覚があるから、周囲に雑多にものを置いてあったり、ビラなどがベタベタ貼ってあったりもしなくて快い。
大衆食堂でもこれだけのものを作る!
もっと大勢の人が集まる建物や文化施設とかでも無神経なのがあって、気持ちが暗くなることがあるが、こういう気持ちが行き届いた建築があると救われる。

料理も、豪華とか手のこんだというのではないが、素材のよさで食べさせてくれるし、店員さんもてきぱきとして明快で、もちろん値段も高くない。
外回りの仕事の人のほかにも友人どうしや家族連れもよく見かける。
加賀屋の正面。細い棒の列に「大衆食堂」の字が浮かぶ

■ 書愉房「雨滴」 ジャズコンサート

初めて行ったときに案内をいただいたので、すぐまた次の週には妻のほかに神原夫妻も誘ってジャズコンサートを聞きに行った。

畳の座敷に並べられた椅子に聴衆は座ったのだが、演奏者は、一段低い、広めの廊下のようなところに位置した。
ピアノ奏者が、「こちら(演奏者)が低い会場は初めてだ」と笑わせていた。
僕も演奏前に不思議に思って、「向こうは側は何だったのかな」と連れと話していたら、近くにいた女性がききつけて説明してくれた。
「ここは私が育った家で、手狭になったので、別棟から曳き家した」という。広さは加えたけれど、高さまではあわせなかったようだ。
コンサート会場は畳の座敷

それをまた聞いていた、この家の所有者、小島昌彦さんが説明を加えて、「その女性は私の姉」とのことで、さらに姉と私との母が最前列にいる、母は須田剋太(1906 - 1990)の家からでているという。4月に僕の家で花見をしたとき須田澄子さんが来てくれて、須田剋太につながると話していたっけ、というと、あ、それはいとこ、というのだった。
また思いがけないところで関係がつながってしまった。

演奏は上野直(すなお):ベース、松本全芸(まさき):ピアノ、清水まるこ:トランペットの三人。
書のつながりらしい、年齢層の高い客が多いことから、『ラビアンローズ』や『枯葉』などのなじみの曲が選ばれていて穏やかにきいた。
なかにはさまれたまっとうなジャズ2曲が、さすがに演奏者がのって、きいていても弾んだ。
まだ明るいうちに始まった演奏も、終わる頃にはすっかり暮れていた。
ジャズを聞いて墓場の前を通って帰る。
「かぐや」で聞いたクリストファー遙盟さんの尺八コンサートのときにも思ったことだが、こんな充実した音楽を、家から10分ほどのところで聴けるのがうれしい。

● おきなわ家庭料理 膳
埼玉県行田市門井町2-5-27 tel.048-556-5863

「雨滴」から熊谷市街方面に向かうと加賀屋があるが、逆方向、JR行田駅の近くに沖縄料理の店がある。
僕は数年前に1か月ほどの間、ほとんど人に会わないで家に蟄居(ちっきょ)していた時期がある。
朝夕の食事は妻が用意してくれるが、昼だけは外にでることがあり、何度かここに来た。
ふっくらとしたおかあさんがいらして、メニューにはないけれど、りんごのひとかけらとかがサービスにつくこともあったりして、家庭料理のしみじみとしたやさしさを味わった。いくぶんかは沖縄料理のおかげで蟄居状態からはいだせた気がする。
ゆしどうふ、ゴーヤーチャンプルー、ソーキそばなど、メニューにふだん慣れない音感の言葉が並んでいる。今日はどれにしようかと眺めているだけでも気分は沖縄になっていた。
南の青い海や空。
吹きわたる風。
「膳」の店先

参考: