7月第1週(2) 多摩美の図書館から「星と天文の夕べ」


■ 多摩美術大学図書館
東京都八王子市鑓水2-1723 tel. 042-676-8611
http://library.tamabi.ac.jp/
設計:伊東豊雄建築設計事務所 竣工:2007


丘の上にある大学の敷地に入ってすぐに新しい図書館があった。
近づくと、外側の面はツルツルに仕上げたコンクリートとガラスが、継ぎ目がないかのようにつながって、ツルンとした平面を作っている。自動車や電車が空気抵抗を減らすために凸凹をなくして、いわば卵のようになっていくのは当然として、建物にも空気抵抗を減らす必要はあるのか、と考えてしまうほどだ。
多摩美の図書館の外壁はつるつる

中に入ると、1階の床は、丘の斜面をそのままま引き受けて続いているかのようになだらかに傾斜している。
雑誌を並べた長い展示ケースもあわせて傾斜していて、タイトルを眺めながら歩いていると、たしかに地形とシンクロしている感じがわかる。
雑誌の表紙を眺めながら進むと、その先に大きなフェルトのベンチがある。数人の学生が寝そべっていて、屋外の芝生の広場での昼寝感覚が味わえそうだ。

2階には書架が並び、閲覧机が配置されている。
僕は図書館の建築は知的創造的想像的に美しくあるべきだと思っていて、そんな図書館がなかなかないことが不満だったが、ここはいいと思った。
天上にコンクリートのアーチが連なって、礼拝堂のような雰囲気がある。
2階の書架・閲覧室の大空間では、壁で区切ってしまわずに、書架の形状や、薄い金属板で作られた文庫・新書用棚で適度に分節させている。
閲覧用の机は、窓際に長いカウンター式のがあり、ゆるやかな曲線を描く書架のあいだには、さまざまな大きさの閲覧机が配置されている。
とりとめがないようだが、室内を見渡すと、白いかさ形ランプシェードが点々としてリズミカルに一体的な連続館をつくっていて快い。
天井には直径2mほどもありそうな円盤がいくつも吊ってあり、上に蛍光管を隠して間接照明している。天井からむきだしの光源が目にはいってこないから、とても気持ちが落ち着く。
柱や壁や天井などの大きな構造にはコンクリート、机と書架には合板、新書・文庫棚と一部の書架には薄い金属板をつかっている。これは何ということがわかる、限られた種類の素材で構成されている。過剰にツルツルピカピカしたうわべの装飾がないから、しっくりと着実な印象があって落ち着く。

          ◇          ◇

ニューヨーク公共図書館にふらっと入ってみて、圧倒されたことがある。
閲覧室は長方形で、長い方向の中央あたりの横腹から入った。やや高い視点からみおろすくらいの位置から、左右に広がる閲覧室を見渡した。
古典的で重厚な広い空間に、閲覧机ごとに置かれた照明の白いカバーの列がえんえんと並んでいた。かなりの席が埋まっていて、静かに読み書きする人たちがいた。
本を読む空間はこんなふうにあるべき、これでこそ精神の作業をする空間−と思った。
静かさ。
本を読みながら、ときに目を上げれば想いがふくらんでいく余地がある広さ。
宗教的なものに限らないが、なにか深遠なものにつながっていく精神性。
この図書館について、予備知識もなく、とくに本を探すという目的もなく、ニューヨークをうろついていたある日に図書館ものぞいてみるかと気ままに入っただけだったので、かえって不意打ちにあったふうで衝撃が大きかった。

ニューヨークは新しい街だと思っていた。
ところが、実際に何日間かを過ごしていると、渡ってきた人たちの故郷のヨーロッパを引きずってというのか、正統性につながろうとしてというのか、古典的な意匠がどっしりと構えているのをあちこちで見ることになったが、この図書館の印象はなかでも格別だった。

「図書館は歴史感覚をはぐくむ場」と僕は定義したいと思う。
学問の領域や学校の教科としての歴史を学ぶというより、「わたしひとりが生きていることも歴史につながっている」という感覚。
現在もまた歴史の流れのうちにあると実感する感性。
それは自分が人と社会につながっているという感覚でもある。
本は過去からの知の集積であり、それを受け取り、さらに自分もいくらかなりでも知を加えて、未来につないでいく。
先行する人の達成を受け取り、自分も達成して、また人に返し、社会に返し、歴史に加えていく。
そうした感覚が目覚めるためには、図書館の空間は上質であるべきだと思う。
古典的で重厚なのばかりがいいというのではなく、ある精神性をそなえたうえで、現代的美意識や現代建築の技術の冒険がこめられるといいと思う。

ヨーロッパの古い街のように、街が古くからの姿を維持していてそっくり記憶保持装置であるなら、図書館は本を保存し公開する機能だけあれば十分かもしれない。
でも日本では、都市は壊しては新しい建物を建て、蓄積がしにくい。街がころころ更新していってしまうなかでは、図書館とミュージアムが歴史感覚を維持する拠点になるしかない。
ところがなかなかそんな図書館はなかなかなくて、更新していく街をそのまま写してしまっているかのようだ。
多くが似たようなありきたりのデザインの複合施設だったり。
白いまぶしい照明の下で営業するコンビニのようだったり。
ソファに腰かけて雑誌を眺めている様子は、病院や美容院の待合室のようだったり。
設計を発注する側も受注する側も理念なしで図書館を作ったら、深みも感動もなくて、せいぜいちょっと見には快い、口当たりがよいだけの建物になってしまう。
情報を得るだけならそれでもいいとして、過去の歴史を引き継ぎ、未来の歴史につないでいく精神を維持していくべき図書館がそんなでいいことはないだろうと思う。

図書館の建築に関しては満ち足りない思いをすることが多いのだけれど、多摩美の図書館で1つ渇きがいやされた思いをした。

内部はアーチが連続している

■ 杉並区立科学館
東京都杉並区清水3-3-13 tel. 03-3396-4391
http://www2.city.suginami.tokyo.jp/scied/index.asp

夜になり、荻窪駅から歩いて杉並区立科学館に行った。
小川の二十二夜塔を一緒に見に行った茨木孝雄さんの講演『天文の夕べ・七夕講演会2008−七夕と星の文化史』がある。
茨木さんは天文に関する民俗を研究しているから、毎年この時季には七夕の話をすることになる。
でも七夕をめぐって蓄積してきた知識量、考察量に比べて、講演の時間は短いから時間内に話すことのテーマをしぼらなくてはならない。
ところが今年は当日の早朝まで煩悶(ハンモン)したまますっきりしなかったという。
たしかに話題が転々として、聞いているとひとつながりの筋がつかみにくく、茨木さんの講演としては今日は失敗作だったようだ。

そのなかで印象に残ったのが歌人の山中智恵子(1925 - 2006)。
“現代の巫女”と形容され、星や星座の名前がたくさんでてくるが、むずかしくて、でもちょっと気になる。

春の獅子座脚あげ歩むこの夜すぎきみこそはとはの歩行者『紡錘』
鶺鴒(せきれい)の胸みるごとく真白にぞスピーカあり夏深みたり 『星肆』
七夕の瀬の音はやみはしけやしアルタイルわれにちかづくらしも 『星肆』

去年、小川げんきプラザに行ってはじめて星空をまじめに見始めた。
プラネタリウムのはるか遠くに感じられる暗黒の空に星が映って、スピカだのアルタイルだのという星の名前をきいた。
それからそういう星の名前を目にし、耳にするだけでもはるかな想いが蘇る。

終わってから荻窪駅前のビルの2階に上がり『てん』で飲んだ。
暑い日だった。
僕は、多摩美のほかにも、かつて住んだ街、立川の図書館にも寄ってきた。
友人は講演をしてのどがかわいている。
生ビールを飲むと人生のつかのまの喜びがあふれ、京都の油揚げや根菜サラダもいい味だった。

参考: