8月第4週 釜無川の温泉  


尾崎喜八の詩碑に献花し、詩を朗読する碑前の集いがあって、1年ぶりに長野県富士見に妻と行った。

□ 第1日

● 丸甚手打そば店(まるじん)
長野県諏訪郡富士見町富士見3585  tel. 0266-62-3894

JR中央本線の富士見駅近くのそば屋さん。外壁に朝顔がツルを伸ばしていて、青い花が咲いている。
僕と妻とでもりそばを1つずつに、野菜のかきあげとやまめの天ぷらを注文した。
すると注文したものとは別に、飲み屋でいえばお通しのような感じですぐに小鉢が3つも並べられる。
ふかしたじゃがいもに黒ごまをまぶしたの。
大根煮。
お新香。
やまめは「小」と書いてあったが、そこそこふっくらとしていて、口あたりも味もしっかりしている。
尾崎喜八の孫の栄子さん、野本元さん、松本弘子さんなど、尾崎の関係者が次々に入ってきて、貸し切り状態になった。
尾崎喜八らが創刊した雑誌『アルプ』を後生に伝えるために作られた北海道斜里町の「北のアルプ美術館」の山崎猛さんもはるばる来られた。

■ 富士見町コミュニティプラザ 第29回尾崎喜八碑前の集い
富士見町高原のミュージアム
  長野県諏訪郡富士見町富士見3597-1 tel. 0266-62-7900

 http://www.alles.or.jp/~fujimi/kougen.html

詩碑は甲斐の山々を背景にした眺めのいい場所にあるのだが、今年はあいにくの雨なので、詩碑を室内のディスプレーに映して、その前に献花のための台を置いた。
尾崎栄子さんが献花し、富士見町の愛読者が詩碑に刻まれている尾崎喜八の詩を朗読をした。

続いて「詩のフォーラム」というものが開かれ、町内の小中高校生が書いた詩から選ばれたものが、本人の朗読で発表された。こうして若い人たちに尾崎の詩が受け継がれていくことになるといいと思う。
コミュニティプラザには図書館とミュージアムが併設されている。
ミュージアムでは常設展のほかに西村豊さんのヤマネの写真展を開催中だった。

この日の催しのための小冊子には、詩碑に刻まれた尾崎の詩や、選ばれた小中高校生の詩がおさめられていたが、ほかにどういう趣旨でだったか、尾崎の詩のいくつかを記したA4版の紙2枚が配られていた。その中の詩の一節が心に沁みて、幾度も目がいってしまった。

いつか私に正午は過ぎて、
今 太陽はつづく世代の上にある。
地に落ちる私の影がすでに長い。
なんと南中の時の短いことか。

(「夕日の中の樹」 『詩集 花咲ける孤独』所収)

■ 武藤盈さん宅
長野県諏訪郡富士見町境

写真家、縄文遺跡発掘者、歌人でもある超人的農民、武藤盈さん宅に伺った。妻を同行するのは初めて。
昨年伺ったときは体調を崩していた奥さまも回復されていた。
一杯飲みながら話を伺っていると、いろんなことをされてきたことだから、次々に話が広がって尽きない。

井戸尻遺跡の発掘はここ、この家から始まったのだという。仲間たちが、斜面を降りたところにある遺跡を掘っては、ここに戻って寝泊まりした。
縄文の研究に重要な貢献をしたのだし、写真も昭和30年代、撮影地の富士見と秩父の貴重な民俗記録になっている。
それだけの達成をする一方では、とうぜん家族にはしわ寄せがあったのだろうけれで、奥さまはそんな夫の回顧談をおおらかに包み込むようにして聞いていられる。

90歳をこえた今も野良仕事などに行くのに車に乗る。
「武藤さん、気をつけなさいって、俺より20も30も下の若造が意見しやがる」なんて言うのだが、そんなに年下でも60とか70になる。それでも若造と一括する元気さにあおられる。

聞くほうも話すほうも興がのって、思いがけず長居してしまった。
野良仕事のあとの毎晩の晩酌を楽しみにしているといっても、今夜はふだんの量を過ぎたのではないだろうか。
静かな回顧談が熱を帯びてくると農政の無策への憤りも語られる。
かつて写真をとった埼玉で、もう一度写真を見てもらいたいという気持ちもおありだが、何とか機会を作れるといいと思う。

● 信甲・館
北杜市白州町大武川343 tel. 0266-64-2750

塩沢温泉に宿をとった。
釜無川がすぐそばにあり、細いが早い流れで。夜、部屋の中で寝ていても流れの音が聞こえていた。

朝、露天風呂に入った。雲が多いが晴れてきそう。
仕事の連れらしい男2人も一緒にはいっている。
近くでぎゃという声がした。
「鳥かなあ」「鳥だよ」
「猿じゃないですよね」「猿じゃないよ」
と漱石の小説中の人物のような会話をしている。
『草枕』だったか。

宿をたつときにかわった館の名について尋ねた。
父が買い取って始めて、信州と甲州の境にあることから名づけたが、画数をみてもらったら、1画足りないというので点をいれた、読みは点に関係なく「しんこうかん」なのだという。

□ 第2日

■ 栗本図書館
長野県諏訪郡富士見町境6307

去年、武藤さんに案内されて初めてこういう図書館があることを知った。
中央公論美術出版の栗本和夫さんが退職後の夢としての図書館を作ったのだが、財源の問題があってということでか、去年も今年も閉館したままになっている。
周囲の草取りのなどはされていて、図書館の敷地はすっきりとした赤松の林に続いているが、そういう管理をまかされたいた人が最近亡くなったとのことで、この先が心配になる。
富士見町でも財政難で引き受ける余裕はないらしい。
ひとりの人が心をこめて作ったものであり、建築家・谷口吉郎の最後の設計作品でもある。このまま埋もれては惜しいと思う。

■ 中村キース・ヘリング美術館
山梨県北杜市小淵沢町10249-7  tel. 0551-36-8712
http://kob-art.com/art/art.htm

しっとりとしたものを見続けてきたあとには、北河原温設計の美術館の大胆な形と色が心地よかった。
敷地内に湧いている温泉があるのだが、朝風呂に入ってきたばかりなので今日はパスした。また次の機会の楽しみにとっておく。


● リゾナーレ
山梨県北杜市小淵沢町129-1  tel. 0551-36-5111
http://www.risonare.com/index.html

宿泊棟が細長く並んでいる間が散策道になっている。
マリオ・ベリーニが作った小さな都市というか、通りというか。
架空の異国に来たようでウキウキする。
ハム屋さんでフランクフルトソーセージ、パン屋さんでパンとアイスコーヒーを買って、表の席で食べた。
日射しが暑いが、傘の下の日陰は涼しい。
ここがこの旅の最後。
よい旅をしてきた満ちたりた気持ちと、旅を終える少しの寂しさにひたる。

参考:

  • 『尾崎喜八詩文集3 花咲ける孤独』創文社 1981
  • 武藤盈さんの本
    『写真で綴る 昭和30年代農山村の暮らし』 写真・武藤盈 聞き書き・須藤功 農山漁村文化協会 2003
    『田園生活九十餘年の歌集 夕映え』 武藤盈 近代文芸社 2007
  • 栗本図書館
    『一図書館の由来記』 栗本和夫 中央公論美術出版 1980
    『谷口吉郎著作集 第5巻 作品篇2』 淡交社 1981
    『一図書館の由来記 書評』 小林勇 文藝春秋 1980.8
  • 8月第4週 分水の森、小川の匂い、富士見で暮らす]