9月第2週 東大図書館でタウトのスケッチを見る
      (寄居-生駒の5)  


■ 東京大学 工学・情報理工学図書館
東京都文京区7-3-1 tel. 03-5841-6016
http://www.lib.u-tokyo.ac.jp/

2007年にワタリウム美術館でブルーノ・タウト展が開催され、タウトの『生駒山嶺小都市計画案』の図面が展示されていた。図録に所蔵元は東京大学とあったので問い合わせてみると、工学・情報理工学図書館にあり、閲覧できるといわれた。ただし大きな図面で2人で両はしをもって出し入れする必要があるから、司書2人が揃う時間に来るようにいわれ、日時を打ち合わせてでかけた。

工学・情報理工学図書館は「工1号館」校舎の3階にあった。
タウトの図面は平たい箱におさめられていて、畳1枚ほどの大きさがあった。2人の司書があちら側とこちら側のはしをもって、箱から出してくれる。1枚見終えるごとに、カウンターに戻っている司書に声をかけ、次の図面に入れ替えて出してもらう。

ワタリウム美術館に展示されたのは平面図や透視図など4点だったが、ほかにもいくつも図面があった。
等高線も描いて高低差を考慮した平面図。
主要道路、ケーブル駅からホテルに至る道路など、いくつかの線を基準にして作った断面図。
完成後の都市の様子を、上空から見下ろす視点から描いたスケッチ。
しかもスケッチは幾通りか作られていたが、墨で、やや荒いタッチで描いたものもあった。日本画ふうに雲がたなびき、住居のうちのいくつかでは屋根に霧がかかって点線になっていたりと、墨絵の描き方をしている。いかにもタウトの日本好みがうかがわれる。

タウトが大阪電軌株式会社から委嘱されて生駒計画の図面を描いたのは1933年。
その4年前の1929年に生駒ケーブルは山頂駅まで延長され、あわせて山上遊園地が開園していた。
タウトは山上都市の設計を委嘱され、現地に下見に出かけているが、山上遊園地の飛行塔には当初とまどったようだ。

山上はまだほとんど荒されていない。しかしこの運動場は困りものだ。粗大な鉄骨造りの飛行塔がある、中央で支えられた腕木の両端に飛行機をかたどった乗物を付し、それがぐるぐる廻る仕掛になっている。(1933.10.23)
(『日本 タウトの日記』 篠田英雄訳 岩波書店 1975 )

でも設計案では、飛行塔は、むしろ中心の象徴といっていいほどに扱われている。タウトは、アルプス建築を構想し、空高いところの星にも親和感をもっていいたほどの人だから、飛行塔がもつ上昇志向、浮遊感、強いシンボル性が気に入っていたろうか。


次々と図面を眺めていくのはとびきりの特別の時間になった。
タウトの足跡をしばらくたどってきているが、タウトが自分の手で記したもの−設計図や、スケッチや、手書きのサインなど、直接的に身体につながる証拠を実見したのは初めてだ。奈良・生駒山に向かう前に、いちだんとタウトが近づいた気がする。
1枚1枚を、ゆっくり、ひたりながら眺めていった。

それにしてもこんなものを所蔵している東京大学のパワーにも圧倒された。
総合図書館のほかに学部ごとに図書館があって、総数40にもなるという。
そのうちの1つに、ブルーノ・タウトが80年以上も前に作った、こんな資料がおさまっている。しかもなぜこの資料がここにあるのか、経過はわからないのだという。
所蔵に至る経路が時間の闇のうちに埋もれてしまっているほどの資料をもつ、その長い歴史、奥深さ。

さらに図書館建築としての美しさにも見とれた。
窓側には、ガラス壁からの明るい光があふれる閲覧室。
その空間を支える鉄骨は緑色で、赤い太い空調管が天井を横切っている。
鮮やかな色のコントランスト。
ガラス壁から離れた内側には、スクラッチタイルの壁で囲って入れ子のように作られた小閲覧室がある。内部のぐるりは高いところまでの書架に囲まれている。
全体を暗めにおさえたうえで、手元を照らすランプの白い傘が規則的に並んでいるのも心地よい。
明るい外側の開放、放散と、陰のなかにある内側の集中、沈潜。
内側で文字と思索にのめりこみ、外に出たら気持ちをほぐし、思いを広げる。
こんな書斎を持てたらすてきだと思う。

■ 東京大学大学院難波和彦教授研究室
  (工学系研究科建築学専攻)
http://www.kai-workshop.com/

図書館から1つ下の2階に降りて、難波和彦教授の研究室に寄った。
難波さんには10年ほど前に僕の家の設計をお願いした。
あいにく不在だったが、我が家の設計・建築の担当者だった東端桐子さんがいらした。父が亡くなるなど、家を建てたときとは家族の様子がかわったことなど話していると、年月のうつりかわりにしみじみする。

● ブルークレール精養軒
東京大学医学部附属病院入院棟 15F tel. 03-5842-8261
http://www.u-tokyo.ac.jp/campusmap/restaurantmap.pdf

昼近くなって、東大のなかにいくつかある食事場所のうち、東大病院のレストランに行った。
東大病院には子どものころ受診したことがある。僕が病気がちなのを気づかった親が、誰だかから紹介してもらい受診したのだったらしい。何かの検査でもして待ち時間があったのか、食堂で昼を食べた。
いよいよ東大の先生に受診というとき、親が「この子は今日も食欲がないのです」というと、先生が「こんなところに初めて来たら食べる気にもならないよね」とフォローしてくれた。
たしかに食欲をなくすような、天井が低い、陰鬱な店内だったように覚えている。

今日のレストランは15階で、明るく、展望良好。「鰈のカニムースのせバター焼き」を注文した。タウトの図面を見た満足感もあって、生ビールまでとって(病院の、入院棟にあるレストランで!)、かつての暗い思い出を吹き払うような気持ちになった。
(でも毎日をシンドくアブナッかしくカロウじて過ごしている状況に大きな変わりはない.....)

■ 西武鉄道旧所沢車両工場
  「所沢ビエンナーレプレ美術展 引込線」

http://www.tokorozawa-biennial.com/

本郷から日本橋にでた。
10月半ばに東大寺で『勧進帳』の公演があるのを電話で予約してあり、その料金を通りがかった郵便局で払い込む。
一番星画廊に寄って星忠伸さんにお会いした。星さんは東大寺に小泉淳作の絵を奉納するなど縁が深く、東大寺のこと、奈良のことなどうかがう。

それから、池袋経由、所沢に向かった。
本郷、日本橋を歩いたあと、なにも所沢まで長距離周遊しなくてもとは思う、でも、美術館の美術展は見逃しても、屋外のヘンなところでやる美術展だと、なんとかして行きたくなる。

「僕らの美術に引き込もう」という趣旨のタイトルなのだが、実際、展示場所はもと鉄道の車両工場で、床には引き込み線が残っている。レールは大きな工場の奥まで延びていて、先端は円形の台座になっていて、回転して車両が戻っていけるようにできている。
工場はおもしろかったが、ここまでかなり遠かったし、今日1日分の感動容量をこえていた感じもあって、作品をまっとうに見る気力も体力もほとんど失せていた。
大空間に伍して制作した作家にも、その作品にも申し訳ないような気分になった。

参考: