2月第2週 蝋梅忌(第35回)


尾崎喜八をしのぶ蝋梅忌の第35回の集まりがあった。
尾崎喜八は1974年2月4日に亡くなり、蝋梅忌はその日に近い2月の第1土曜日に開かれることになっていて、2009年は2月7日だった。
会場は、例年どおり四谷駅前の主婦会館プラザエフ9階だった。
司会は、野本元さん、杉本賢治さん。
親族では、尾崎栄子さん、石黒敦彦さん、樋口美砂子さんが出席された。

□ 岡田朝雄さんのお話「尾崎喜八とヘッセ」(ドイツ文学者・蝶愛好者)

1950年に尾崎喜八に初めて会った。
交通公社の林間学校に姉が勝手に申し込んだ。富士見で、尾崎喜八が昆虫採集や植物採集を指導した。尾崎喜八の『碧い遠方』所収の「小さい旅人」に、このときの私のことが書かれている
同じ年に、ヘッセ著、高橋健二訳の『少年の日の思い出』に感激した。
蝶についての記述に疑問に思うことがあったが、のちにヘッセが蝶について書いた文章を集めたものを読んだ。「私が訳すしかない!」と思った。それが、
 『蝶』ヘルマン・ヘッセ 著 V.ミヒェルス編 岡田朝雄 訳
で、はじめに朝日出版社から、のちに岩波書店の同時代ライブラリーにおさめられた。
ヘッセとの関わりは、尾崎喜八というきっかけがあったからだと、最近しきりに思う。
「博物学」という言葉は古い、ふさわしくないと考えていて、「自然学」といいたい。そして尾崎喜八は、「自然学にもっとも詳しい詩人」だった。
(尾崎の詩にでてくるアポロウスシロチョウと、アカボシウスシロチョウの標本をお持ちになったので、あとで拝見した。羽の裏側まで見えるように箱の底は鏡だった。)

□ 小松睦示さん「富士見町近況報告」

1.碑前の集いを8/29土曜日に開催する。
  富士見尾崎会は、会員がみな高齢になり、今年の30回の集いをもって解散。碑前の集い、詩のフォーラムは継続する

2.南中学校が廃校になるが、1校を廃校するのではなく、2校を統合して新しい中学校を開校というカタチにする。高原中学校の校歌は尾崎喜八作詞だったが、校歌も新しくすることになり、歌われなくなる。

3.分水荘跡地
  尾崎喜八が富士見で暮らした分水荘があった土地は、相続税のために国の所有になっている。細切れにして宅地販売などされると景観がすっかりかわってしまうことが危惧されるが、町長が、町として購入したい意向。
  (今年富士見からの参加者は、急用ができたり、雪かきで怪我をされたりした方があって、前教育長の小松さん一人だった。)

□ 北のアルプ美術館 山崎猛館長と角田静恵さん

例年、初参加者は3分間スピーチをするのだが、今年は角田静恵さん一人だった。
角田静恵さんは、2008年から2009年にかけて開催中の「アルプコレクション展」の角田勤さんのご家族。

□ 牛尾孝さん 尾崎喜八の詩による曲集を出版予定

□ 尾崎栄子さんから、展示資料などの紹介

・ 堀隆雄さんが、十三夜句会の巻紙を発見して手に入れられた

・ 受付で尾崎喜八の言葉をはがきに記したものをお渡ししたのは、尾崎が好んで、なにかにつけ書いたり語ったりした言葉。

到る処に思い出を残して歩け。
それぞれの場所について1つ1つの
思い出を持つがいい。それこそ
君が他人から奪うことなしに
富む唯一の方法なのだ。
           尾崎喜八

尾崎喜八とそのと妻、實子(みつこ)の評伝を書いた重本恵津子さんも来られていた。
来月はにしすがも創造舎で、さいたまゴールド・シアター『95kgと97kgのあいだ』の公演があり、楽しみだ。

尾崎喜八の集まりには当然に串田孫一のファンでもある人が多い。
その一人から、串田孫一がFM東京で日曜日の朝に放送していた「音楽の繪本」が、PCM衛星デジタルラジオ「MUSIC BIRD」で再放送されていることをきいた。

会場は9階なので、スピーチをする人の背後、横に広いパノラマ型の窓の向こうに都心の景色が広がっている。
今年はとくに、昨年竣工した「東京モード学園コクーンタワー」にしばしば目がいった。上にすぼまる特異な形をしている。丹下健三の事務所が、息子の丹下憲孝になってから、いちばん話題になった建築だと思う。
こういうふうにして街の景色がかわり、時が流れていく。

参考: