4月第2週 安井曾太郎が荒川河畔で描いた『桜』


埼玉新聞に『寄居日和』を連載していて、4/10には「サクラ 花あふれる里の夢」が掲載となった。
書ききれなかったことをこちらに補足しておく。

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画家・安井曾太郎は旅先の北京で病んで、1945年3月に帰国してすぐに寄居に疎開した。年譜で終戦直後に『藤山氏像』を描いたとあるのは、寄居で仕上げたということだろうか。
1946年には「秋、帯状疱疹により眼を病み、出京、治療を受ける」と、やはり年譜にある。
1947年には、寄居を引きはらって目白の画室に落ちついたという。
(こあたりは、『安井曾太郎V』美術出版社1952に記載の年譜による)

埼玉県立川の博物館にいた頃から写真家の岩田省三さんにご縁があり、ある日、寄居の喫茶店「洗濯船」でコーヒーを飲みながら話していたときのこと。
「安井曾太郎が寄居に疎開していたのが気になっているけれど、とっかかりがなくて」と呟いたら、岩田さんが「僕が世話していたよ」という。

岩田さんによれば、安井曾太郎が寄居に来たのは父の縁ではないかという。小学校3年生ころのことで、リアカーで米を届けるなどして会っている。
安井が目を悪くして東京まで眼の治療に行ったと年譜にあるが、野上の眼医者にも通っていたという。この眼医者はこのあたりでは定評がある。

疎開していた家は残っているが、今は当時とは別の人が住んでいる。
位置としては、寄居駅のほぼ真南、荒川が北西から流れてきて、北東に向きを変えるあたり。人家の南端で、その先、川を見下ろす道端には茂木秋香の句碑がある。
 「花に明け 山に暮れけり 水の音」
すぐ近くに鈴木信太郎も住んでいたという。

画集などによく収録される1946年作の『桜』の絵は、川の流れの形から、そのあたりから上流に向かって描いたものとわかるという。
寄居時代の安井は、眼の不調のため作品の制作も不調だったらしく、題材としても屋内で静物を描いたものが多い。それでも荒川河畔の桜の花盛りには心を動かされたようだ。

岩田さんの家には、安井曾太郎から世話になったお礼に贈られたらしい水彩画が2点かかっていた。今はないのだが、岩田さんはいつかもう一度見たいという。
僕はブリヂストン美術館に行って岩田家旧蔵の作品があるか尋ねてみたが、石橋美術館も含めて、ブリヂストンにはないという。
岩田さんにその絵のスケッチをかいてもらった。いつか所在がわかるといいと思う。

鉢形城跡から下流方面。
まだ吊り橋だった頃の正喜橋
釜伏山方面

参考:

  • 『安井曾太郎V』美術出版社1952
  • 『安井曾太郎』角川写真文庫39 1956
  • 洗濯船 寄居町寄居984-1 tel. 048-581-4097