一乗城山から福井市美術館・福井県立図書館



1   一乗城山から一乗谷朝倉氏遺跡 


□ 福井市春日地区足羽川決壊地点

福井市街から一乗谷に向かう。
福井駅から南の方向に足羽川を渡る。春日2丁目あたりで、車を止めて土手に上がってみる。西に向かっていた川が北(右)に大きく曲がる地点で、土手の様子がそのあたりだけ違う。決壊箇所を補修したところだ。
ここは7月18日未明からの集中的な豪雨で、午後1時半ころ決壊した。
流れがあたる地点が勢いに耐えられなかったようで、土手の外側にあって流れの正面にあたっていた家は、骨組みだけを残した状態で再建中だった。すっかり泥につかってしまったのだろう。
ここは川のカーブが連続するところで、別のカーブ地点の先があぶないといわれていて、このあたりに住む人には、意外な展開だったらしい。


□ 越美北線一乗谷−越前高田間
   鉄橋流失地点


JR越美北線一乗谷駅の脇を過ぎると、道が右へ、線路が左に向かって、交錯する。その踏切の先で線路は足羽川を渡る鉄橋にかかるのだが、橋脚が倒れていて、線路は途中がなくなっている。
つながっているべきものが断たれている情景は無惨な感じがする。

* 運行が止まった福井−越前大野間のうち、福井−一乗谷10.9kmと美山−越前大野−3.9kmは9月11日から運行を再開した。再開した2区間は、運行停止した34.7kmの約70%に当たる。
一乗谷と美山の間は、線路と足羽川が絡み合いながら走っていて、7つの橋があり、そのうち5つが流失した。
JR西日本では、橋をただ架け直しても、豪雨があればまた流されてしまうから、河川改修による防災強度の向上が前提になるので、JR単独では復旧の方針がだせないという立場で、いつ全線がつながるか、見込みがたっていない。









■ 諏訪館跡庭園

復元町並の駐車場に車を置く。
細い橋を渡って、すぐ右に上がる道を行くと、諏訪館(すわやかた)庭園にでる。
諏訪館は朝倉義景の愛人が住んだ館。
石組みの庭が、舞台のようにこちらに開いている。



■ 一乗城山
(いちじょうしろやま470m)  



木立の中、斜面に刻まれた道を行く。
ざっくり崩れた箇所が現れる。道が跡形もなく、土がむきだしの、スプーンの先端形斜面になっている。左手の草むらをかきわけ強引に上がって迂回して、何とか崩壊地点の先の道にでる。

ほどなく木や草が大量に積み重なったところにでる。倒され、流された木や草が乱雑に、見あげるほどの高さにまでなっている。
今度は迂回のしようもなく、踏み込んでいける状態でもなく、先に進むのを諦めて引き返した。
この山は、本丸を通って、山頂にあたるところには二ノ丸、三ノ丸があった朝倉氏の山城で、遺跡とセットで歩いて見たかったのだが、どうしようもない。


■ 南陽寺跡庭園

城山から下ってきた、山の先端に、サッカーができるくらいの広い空き地がある。
草原になっていて、淡い、細い、かすかで、柔らかそうな草ばかりが、ぼーっとした空間を作っている。
そのはずれに小さな庭の跡がある。
スコップや土嚢を置いてあるのは、庭の復元の工事なのか、災害復旧のためなのか、わからない。


■ 爪割清水

南陽寺庭園から数メートル下ると、この谷地のいちばん低い土地に降りきる。
わずかながら平地になっていて、畑や集落があり、道が抜けている。
家並みの間に「爪割清水」があって、水が湧いている。
澄んだ水。
かごの中に、西瓜と、お茶のペットボトルをいれて、冷やしている。天然の冷蔵庫で、こんなところで冷やしたらおいしそうだ。
(僕の子どものころ、家の裏の井戸に、西瓜を紐で結んで垂らして冷やしたものだった。円形の、コンクリートの井戸で、内側によくナメクジがいた。)

池の中央には祠があり、数個の石を渡って近づいておまいりするようにしてある。
池から流れ出た水路の途中には、ポリバケツが3つあって、やはり何か冷やしているらしい。
生活の中にこういうふうに自然の水が生きている暮らしっていい。



 朝倉館(あさくらやかた)

池から、車をおいた復元町並みの方向にやや戻ると、朝倉館跡がある。
一乗谷の中心部に位置する、第5代朝倉義景(あさくらよしかげ 1533-1573)が居住した館。
義景は、織田信長に敗れて自害した朝倉氏最後の主で、敷地内に墓がある。

約8m幅の濠が館を囲んでいる。
橋を渡り、門をくぐって入ると、内部は約6400uの広大な敷地で、礎石がかつての建物の存在を示している。

義景館跡庭園と、湯殿跡庭園の2つが、中にある。
ここも復元中か修復中で、ベルトコンベアで土を運ぶ装置などがしてある。
風情のあるはずの池に、このときは作業員のためのペットボトルが大量に冷やしてあった。

『越前朝倉氏・一乗谷−眠りからさめた戦国の城下町−』(福井県立一乗谷朝倉遺跡資料館 1998)によると、

・ 諏訪館、南陽寺、義景館、湯殿の4つの庭園は、1991年に「一乗谷朝倉氏庭園」として特別名勝に指定指された。
林泉庭園が7、枯山水の庭園が7あり、1遺跡にこれだけ多くの庭園遺構が残る例は他になく、室町末期の庭園様式をよく伝えている。

・ 庭の石には、近くの山の石凝灰角礫岩が使われている。
花崗岩地帯の敦賀から白河砂に似た花崗岩の小礫を船で運び、庭にまいてもいた。
また、三国の安島産(東尋坊付近)の、節理がみごとな紫蘇輝石安山岩は、飛石や蹲踞(つくばい)の前石に使われている。
茶の湯用としては日本最古の手水鉢(ちょうずばち)があり、飛石が庭に打たれた最も早い例でもある。

・ 1969年には、水田を区画整理して大型機械化を目指す土地改良事業が始まったが、保存すべきという議論が起こり、1971年に中止され、平地部は公有地化された。
今でも遺跡については開発か保存かの争点になることがあるが、1970年ころの時点で、生産より保存を優先する判断がされたのは先駆的といえる。

・ 1981年に、発掘の結果を保存・展示する福井県一乗谷朝倉氏遺跡資料館が開館した。


■ 復原町並

朝倉館跡からは、一乗谷を貫通する車道を隔てた反対側に、武家屋敷を復元した町並みが長く並んでいる。
駐車場側に入口があるのだが、反対側から入ってしまった。作業服姿の人が携帯で話し込んでいるが、とくに見とがめられないので、そのまま入ってしまった。
土塀にそって土嚢がたくさん並んでいる。
塀のなかに入ると、どの屋敷も、床板がはがしてある。ここも泥流に覆われ、被害を受けたので、復元家屋を復元中なのだった。

車を置いた駐車場に戻ると、はじめに僕が着いた時間はほかに車はなかったのだが、人がおおぜいいて、活気がある。ボランティアが集まって、これから作業を始めようとしている頃だった。
かってに裏口から入ってしまった言い訳のつもりで、
「すみません、(僕は遠くから来たので、こういう状態になっていると)知らずに来てしまったもので。」とことわると、
「ここではボランティアを受付していないので、○○へ行ってください」と指示された。
どこに集まったらいいかを知らずに直接作業現場に来てしまったボランティアに間違われたわけだ。
いまごろ、のんきに山歩きをしようなんて、とんでもない状況だった。
あえて相手の勘違いを訂正するまでもないので、わかりましたとか、何とか、モゴモゴ言って、車に戻った。

いかにも山歩きするような格好をしてなかったのがさいわいした。
ウォーキングシューズに短パン。スーパーの買い物袋に、ペットボトルの飲み物と、パンが入ってるくらい。
登山靴にリュックをしょってたら、ひんしゅくものだった。

          ◇          ◇

一乗谷は、谷とはいいながら、山から急流が流れ下っているような、細い、傾斜のきつい地形ではなく、実際に歩いていると、のどかな山里のような所で、谷という感じがしない。
地面は水平で、細い川が流れ、息をきらさずに歩ける平坦な道が貫いている。
たしかに両側に低い山があるが、丘といったほうがいいくらいで、圧迫感がなく、明るい開放感がある。
ところが航空写真で見ると、木々に覆われた広い山中に、巨人が指1本分すっと引いて平らにしたくらいの、狭い谷だった。
なるほど急な豪雨が山にあったら、谷に流れ下った水は、ここであふれて高さを増すのだと思い至った。




* あとでインターネットの記事を検索すると、一乗谷川の氾濫で、復元町並みの建物では床上約20cm浸水した。がけ崩れも10カ所以上起き、被害は遺跡の整備地の4分の1、約2haに達した。
豪雨翌日の7月19日から連日、市民や学生ボランティアが復旧に参加し、8月13日には一般公開を再開し、復旧が短期間で進んだことに驚かれた。
はがれた床板の修理など、本格復旧は2005年の春になる見込みという。









■ 福井県一乗谷朝倉氏遺跡資料館
福井県福井市安波賀町4ー10
tel.0776−41−2301

朝倉氏遺跡から出土された武具類、生活用品、一乗谷の朝倉館を復元した模型などがあるということで、行くのを楽しみにしていた。
日程の都合で、残念ながら月曜で休館しているのを承知で寄ってみたのだが、曜日に関係なく、ここも館内に土砂が侵入したため、しばらくの間、休館になっていた。
収蔵品に損傷はなかったが、保存に影響する空調機器が被害をうけていて、開館の見通しはまだたたない。
予定していた企画展「花咲く城下町一乗谷」(7/23−9/5)も中止された。
ボランティアも加わって、床に水道の水をかけて、泥を洗い流しているところだった。

福井豪雨のあと、高校生がボランティアに参加する様子をテレビ報道などで見ていて、動きが早いなと思っていたものだった。
夏休みで高校生などが動きやすいだけではなくて、97年のナホトカ号重油流出事故の際に寄せられた義援金から積み立てた基金1億3000万円を使うことで迅速な対応ができもし、そのときのノウハウも生かされているのかと納得した。

ボランティアを必要箇所にふりわけているセンターがあるらしいのだが、一乗谷朝倉氏遺跡資料館 にも、直接、2人の女性が応援に出向いたところを見かけた。資料館のスタッフのほうでは、それではどこそこに行って指示を受けてくださいと、慣れているふうだった。
災害が続くのは歓迎しない事態だが、こうした経験が蓄積してあるのはいいことだと思った。








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