高須山から金津創作の森・みくに龍翔館・中谷宇吉郎雪の科学館


 みくに龍翔館・旧森田銀行本店・旧岸名家


■ みくに龍翔館
三国町緑ヶ丘4−2−1
tel.0776−82−5666

エッセル堤と同じエッセルが設計した龍翔小学校は1879年開校して、1914年取り壊された。わずか35年だった。木造で五層八角の大きな建物は、当時の技術では無理だったという見方がある。
1981年にそれを模したデザインで歴史資料館が作られた。
北前船資料を中心に、自然、歴史、民俗、文学などをあつかう総合博物館になっている。
文学では、三国は俳諧の歴史があり、高見順(1907〜1965)はこの町の生まれ。
三好達治(1900〜1964)は萩原朔太郎の妹アイと同棲するために三国に移って、5年間暮らした。

だまし絵で有名なエッシャー(M.C.ESCHER 1898-1972)は、エッセルの五男。
町はだまし絵の町おこしを進めていて、これまでのコンテストの入賞作品が展示してある。(入賞作品のいくつかは町の各所の屋外にも設置されている。)


          ◇          ◇

芦原方面から車で向かったのだが、かなり遠くからねぎぼうずのような頭が見えた。前はもっと低い、川に沿ったところに位置していたのだが、坂の上に復元されたので、よけいに遠望がきく。
旧小学校だが、外観のデザインだけ似せて、中はすっかり展示施設として作られた。
五層八角の建物を学校としてどういうふうに使っていたかが興味あるところで、内部も基本的に小学校のように復元してくらたらよかったのにと思う。








■ 旧森田銀行本店(登録有形文化財)
三国町南本町3−3−26 
tel.0776−82−0299

1920年竣工。設計は横浜市開港記念会館の設計者の一人でもある山田七五郎
県内に現存する最古の鉄筋コンクリート造建築物。
近年まで福井銀行三国支店だったが、1994年に三国町の所有になり、改装して1999年7月に公共施設として公開され、見学できるほか、ギャラリーやコンサートに利用されている。
国の登録有形文化財。

          ◇          ◇

車で向かったのだが、道に迷った。でも、海に近い集落のなかの狭い道を苦労して走ると、古い看板がかかった店があったりして、おもしろかった。

中に入ると、中央に、金津創作の森のガラスのアーティストの作品を展示してある。
周囲に窓があり明るい。でも銀行だから開けっ放しにはしなくて、2階の回廊は、シャッターを降ろすレバーを回すために設けてある。

かつての銀行は、金持ちがいく、高級でおしゃれなところだったということなのか、装飾がていねいで、行き届いている。
板壁は象眼で模様が装飾されている。しっかりしたカーテンボックス。木の柱に意志を装った塗装がしてあり、しかもエンタシスのふくらみまでみせる手のこりよう。
大きな黒い金庫の扉から、少し離れて脱出用の小さな扉があるのだが、抽象画のようなおもしろい壁面構成になっている。
(しかし金庫のありかがこんなはっきり客に見えていてよかったのだろうか)

案内の方がいらして、説明をしていただいたうえに、かつての応接室で冷たいお茶をごちそうになった。暑い日のことで、格別のうまさだった。








■ 旧岸名家
三国町北本町4−6−54 
tel.0776−82−0947

旧森田銀行本店から数軒の距離にある。
旧森田銀行と同様、町が古い遺産を保存しようとしている。
屋号を新保屋という材木商で、町屋特有の奥に細長いつくり。
いちばん奥は川に面していて、船が着き、荷物をあげおろした。

奥まで通じる通路は笏谷石( しゃくだにいし)が敷かれている。
足羽山( あすわやま)をつくる緑色火山礫凝灰岩で、柔らかく、きめ細かく、加工しやすく、色が美しいので、近くの各所で使われているのはもちろん、古くから足羽山の古墳の石棺にも使われ、日本海沿岸各地にも運ばれている。
関東の大谷石のようなものだが、大谷石に比べてきめが細かい。

2階には、俳諧の席が再現されている。
元禄以降、有力町人の嗜みとして俳諧が大流行し、各務支考門下の岸名昨嚢を初代宗匠とする日和山吟社が結社されていた。

長い建物に光を入れるために中庭がある。
中庭に面した廊下はラワン材。保存といってもすべてを建築当初に戻すのではなく、ここでは昭和前半ころに改修したときの、当時の先端材料の使い方をそのまま残している。
長い通路にも光を入れるために明かり取りの窓があるが、ひもをつかった開閉の仕掛けもおもしろい。



■ 東尋坊(とうじんぼう)

にぎやかなみやげもの屋の列に圧倒される。まるで江ノ島みたいだが、逆にこのあたりの人が江ノ島に行けば、まるで東尋坊みたいだというかもしれない。
遊歩道の先までいって見下ろすと、みごとな柱状節理が青い海面からこちらに向かって迫り上がっている。
岩の一部を削って階段を作り、遊覧船乗り場を作っているのが、ちょっと興ざめ。

東尋坊というかわった名前は、平泉寺にこういう名の暴れ坊主がいた。1182年4月5日に、平泉寺の衆徒が海辺に遊んで酒宴を開いたとき、酔いつぶれた東尋坊が投げ込まれたという『朝倉始末記』の記録によるという。
地名の由来でこんなに日付がはっきりしているのは珍しい。






■ 三国港エッセル堤

三国港には九頭竜川からの土砂が流れこみ、船の航行に支障を生じていた。
明治になり、地元の豪商6人が発起人となり、工費の大半を負担するという条件をだすことで、政府から御雇オランダ人工師エッセル(George Arnold Escher 1843−1939)が派遣され、調査設計が行われた。
1878年5月に着工したが、エッセルは7月に帰国し、同じオランダ人技師のヨハニス・デ・レイケ(Johannes de Rijke)の監督で1985年に完成した。
堤防の石材は、近くの東尋坊や雄島の安山岩をダイナマイトで爆破して採取。
幅9m、長さは520m。1970年に新堤防接続工事が完成し、現在の延長は927mになっている。
120年ほどもたつのに、波に耐えて、堤として機能している。

          ◇          ◇

夕暮れ近くにここに行った。
堤の陸地側付近は砂浜で、海の家が並び、海水浴場になっているが、もう最後の海水浴客も着替えて帰る支度をしているころだった。
のちの補修でコンクリートで固められた中央を歩いていく。
両側にごろごろした大きな岩が並んでいる。たしかにさっき見てきた東尋坊みたいな岩もまじっている。
すきまを小さな蟹が走り回り、親子が糸を垂れてつかまえようとしている。







■ 若ゑびす
坂井郡三国町米ヶ脇4-3-41
tel.0776−81−3155

三国で泊まった宿。
エッセル堤から小さな浜を隔てた先に見えていた。
木造本館は海に張り出している。
中国の池に面した楼閣みたいでもあるし、「千と千尋の神隠し」の湯屋の海側みたいでもある。
風呂からは、横長の窓いっぱいに海が広がっていた。
眼下の浅瀬に人工物があり、数段だけの階段の廃墟みたいのもあって、なんだかそそられるイメージがたくさんある。

宿からは海が西にある。
みごとな日の入りを眺めるのを楽しみにしていたのだが、あいにく雲が多かった。
かわりに、夜中に目を覚ますと、満月の光が座敷にさしこんでいた。外を見ると、海が月光を反射して明るく輝いている。海面のわずか上に浮いていて、月の光をたっぷり浴びながら寝ている−みたいな気分だった。



TOPこのコースのはじめに戻る次へ→