二ツ岳・オンマ谷から徳富蘆花記念文学館


 徳富蘆花記念文学館 


渋川市伊香保町伊香保614−88
tel.0279−72−2237


徳富蘆花は、本名徳富健次郎。1868年−1927年。作家。
熊本に生まれ、逗子、北多摩郡千歳村字粕谷(現・東京都世田谷区粕谷)で暮らしたが、伊香保が気にいり、最期は伊香保の旅館、千明仁泉亭(ちぎらじんせんてい)で亡くなった。
蘆花は、癇癪持ちで、晩年はとくに子どものように我が儘で、なおかつ医者嫌いだったが、好きにさせてくれそうだという理由で、長野県富士見に高原療養所をもつ医師、正木不如丘に診てもらった。
文学館には、蘆花の生涯を追った展示がされているほか、蘆花が亡くなった千明仁泉亭という旅館内の邸宅も移築されている。そこには、正木と蘆花が一緒に風呂に入っている写真も展示されている。
兄、徳富蘇峰と長年仲違いしていたが、最後に和解を申し入れ、1927年の9月18日に兄が伊香保を訪れて再会した、その夜に亡くなった。

千明仁泉亭から移築された邸宅内の、蘆花が亡くなった部屋

竹久夢二(1884−1934)も伊香保を気にいった一人で、蘆花が亡くなった数年あと、失意のときに伊香保を訪れ、美しい風景とやさしい人々に癒され、1930年には「榛名山美術研究所」を作る構想まで考えた。
結局その夢は叶わず、富士見高原療養所で正木不如丘に看取られて亡くなっている。
蘆花は、病んだ体を、引き連れた人々に担がせて伊香保に入り、豪快に最後の日々を送ったのに対し、夢二はひとりひっそり終わったという、対照的な印象があるが、どちらも伊香保に強くひかれたのは同じだった。

          ◇          ◇

蘆花の代表作、『不如帰(ほととぎす)』(1898年連載、1900年刊行)、『自然と人生』(1900年)の2つともに、伊香保がとてもいいところとして登場する。

『不如帰(ほととぎす)の書き出しは、いきなり千明旅館から始まる。

 上州伊香保千明(ちぎら)の三階の障子開きて、夕暮色を眺むる婦人。年は十八九。品よき丸髷(まげ)に結いて、草色の紐つけし小紋縮緬(ちりめん)の被布(ひふ)を着たり。

新婚旅行に来ているのだが、このとき夫はひとり山を歩いて帰ってくる。

「今日は榛名から相馬が嶽(そうまがたけ)に上って、それから二ツ嶽に上って、屏風岩(びょうぶいわ)の下まで来ると迎えの者に会ったんだ」

別な日には、そろって春の晴れた午後に蕨とりに行く。
伊香保から水沢観音に下る間の草原で、渋川や前橋の市街の間を利根川が流れ、向こうに赤城山が広いすそ野をのばしている、雄大な景色を望む場所でのこと。

はや一しきり採りあるきて、少しくたびれが来しと見え、女中に持たせし毛布(ケット)を草の軟らかなるところにしかせて、武男は靴ばきのままごろりと横になり、浪子は麻裏草履(あさうら)を脱ぎ桜桃色(ときいろ)の手巾(ハンケチ)にて二つ三つ膝のあたりを掃(はら)いながらふわりと坐りて、
「おお軟らか!もったいないようでございますね」
(中略)
「今日は実に愉快だ。いい天気じゃないか」
「綺麗な空ですこと。、碧々(あおあお)して、本当に小袖にしたいようでございますね」
「水兵の服にはなおよかろう」
「おおいい香り!草花の香りでしょうか。あ、雲雀(ひばり)が鳴いてますよ」
(中略)
浪子はそっと武男の膝に手を投げて溜息(といき)つき
「いつまでもこうしていとうございますこと」

こういうしあわせな時間は短くて、浪子に思いを寄せていた男が横やりを入れる。浪子は結核にかかり、海軍の軍人である夫、武男が戦争に行っている間に、武男の家族の者から離縁を迫られて実家に戻ったあと、亡くなる。というふうで、今時の韓流ドラマより単純で定型的な物語になるのだが、発表当時、たいへんな人気になったという。
あとでの苦難の日々に、何度も伊香保の楽しい思い出が思い出されて、蘆花の伊香保への思い入れがうかがえる。

『自然と人生』にも、「春雨後の上州」という文章があり、同じあたりと思われる景色を描いている。

雨後日光に輝くすべて事物の色鮮やかなるを見ずや。(中略)
純碧のかすみをかためたるごとき妙義榛名小野子(おのこ)子持(こもち)の絶え絶えに出づるを見よ。その山々の間に越路(こしじ)の山の雪皎々(きょうきょう)と白きを見よ。このあたり人家の屋根にはおおむね菖蒲(しょうぶ)を植えたるが、折しも五月初旬のことなれば、濃き薄き紫の花浅緑の葉まじりに簇々(ぞくぞく)と咲き出で、茅舎(かやや)も花簪(かざ)して立つ思いあり。涼しき風吹き来ぬ。桑の若葉は心地よげに身ぶるいして、惜しげもなく金剛石の滴々をこぼし、人家屋島(おくとう)の菖蒲の花は碧の空を撫でてふらふら頷く。(中略)
上州の平野の眺めを、これより余は平凡と思わざるべし。
 

ふつうに人家の屋根に菖蒲が植えられていた時代があったわけだ。


→伊香保と竹久夢二については、
[ 榛名山(掃部ケ岳)から竹久夢二伊香保記念館・榛名町歴史民俗資料館 ]
[ 入笠山から (旧) 富士見高原療養所・富士見町高原のミュージアム ]




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