赤城山(黒桧山・駒ガ岳)から群馬県立近代美術館・群馬県立歴史博物館


 3  群馬県立近代美術館 −磯崎新


群馬県高崎市綿貫町992-1
tel.027-346-5560
http://www.mmag.gsn.ed.jp/

高崎市と群馬県の文化の発展に大きな貢献をした井上房一郎が先導して、県立美術館としては神奈川県立近代美術館に続く、早い時期に開館した。

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1961年に群馬音楽センターができると、井上房一郎の次の目標は美術館であった。かつてフランスに学んだときに、各地に美術館があるのを目にしていて、群馬にもぜひあるべきだと考えた。
1962年に「財団法人群馬美術館設立準備会」を設立。「美の托鉢」と称して、必要を訴え、また作品を収集した。
1965年には、群馬県ファウンデーションギャラリーを井上工業高崎本社3階に開設した。これまでに収集した作品を展示し、若手の作家の企画展も開催した。

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1967年に、群馬県は「明治百年記念事業準備会議」を設置。翌年には、旧陸軍の所有地が群馬の森建設候補地として選定された。
1970年には、 群馬の森建設室を総務部に設置。土方定一・河北倫明両氏に美術館建設顧問を委嘱した。

群馬音楽センターを設計したアントニン・レーモンドが日本を離れたのは1970年のこと。
アメリカに戻って1976年に88歳で亡くなっている。
井上房一郎はレーモンドとつながりが深かったが、もう大きな建築の設計を任せられる状況ではなくなっていたのだろうと思う。
磯崎新が設計することになった事情については、磯崎新がこういう文章を書いている。

1970年頃、土方定一、河北倫明、井上房一郎の3氏による美術館の建築家選定委員会ができ、それぞれの委員が1人ずつ建築家を推薦して候補者リストがつくられた。大高正人、槇文彦、磯崎新の名前があがった。・・・私が美術館を担当することになったのは、地元の井上房一郎氏が推薦したという理由だったと聞いた。大高正人は続いて博物館を設計した。だが文学館(槇文彦担当予定)は予算化できず、河北倫明氏は槇文彦に京都近代美術館を依頼する段取りとなった。当時、誰も美術館設計の経験はなかった。順不同でよかったが、画家、斎藤義重氏が井上氏に私を推薦してあったことが最終的な順序を決めるのに影響したと伝え聞いている。
(反回想 磯崎新 A.D.A.EDITA Tokyo 2001)


1971年に磯崎新に設計が委託され、1974年に竣工。
1974年10月17日に開館し、美術館を中に含む「県立群馬の森」も同時に開園している。
1979年には、隣接して群馬県立歴史博物館開館。
その後、 新収蔵庫ができ、ハイビジョン棟増築、レストランの新築など、改良が加えられた。
1998年には、磯崎新の設計により北側に大きなボリュームが付け加えられ、現代美術棟(展示室3,4,5)としてオープンした。これにより、当初の延床面積7,976uから13,069uに拡大した。

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はじめてこの敷地を訪れたときのことを、磯崎新はこう書いている。

 群馬の森公園のなかに、この美術館は建てられている。かつての火薬工場の跡である。はじめてこの敷地をおとずれたとき、その工場の廃墟がくさむらの間に横たわっていた。いまみえる樹々は、戦後放置されている間に自生したものだ。
(中略)
廃墟をそのままのかたちで残しながら、新しい美術館の施設を接続させる方法を考えはじめたのだが、国有地が県に貸与されるとき、その廃墟を片づけ、整備するという条件がついており、間もなく残骸がとりさられた。そのあとは芝生になり、ある程度成長していた樹木だけがのこった。
(中略)
立方体の枠が芝生のうえにころがり、樹々がその背景に透けてみえるというイマージは、おそらく周辺に樹しかみえないときに、はじめて成立するだろう。そのうえ建築を、透明ガラスを用いて開放的にすることも可能になる。同時に、外部にひろがる空間を大きくかかえこむような配置もできるのではないか。

(建築の修辞 磯崎新 美術出版社 1984)

12m×12m×12mの立方体のフレームを組み合わせたうえ、1.2mのグリッドを小単位にして構成している。
1998年の増築にあたっても、この原理は共通している。

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なぜ立方体なのかについては、磯崎新はいくつかの文章を記しているが、あれ、そうかなと思うところがあった。

立方体は、自然界にあっては力学的にもっとも不安定なものと考えていいだろう。自然のうみだす鉱物の結晶に立方体を発見するのは至難である。(磯崎新 前掲書)

建築とは関係ない、枝葉のことだけれど、自然に立方体に結晶する物質は稀ではなくて、も立方体に結晶する。
見事なのは黄鉄鉱の結晶で、等辺で、角は90度で触れると手を切りそうなくらいキッパリしてるし、面は金色にツルツル。
僕がいちばん驚いたのは、茨城県自然博物館で見たもので、最大1辺10cm以上もありそうな結晶が1つの岩にいくつもついていて、展示用のつくりものかと、とまどうくらいだった。
鉱物の展示・即売会や、web上でも、数千円から数万円台で、よく取り引きされている。




最近行ったときに、前に突き出している玄関部分がずいぶん黒ずんでいるので驚いた。戦争中の軍事施設の遺構のようだ。











このコースは、○い湖と、□い美術館と、△の博物館の組み合わせになった。
磯崎新は自分の設計だけで、
群馬県立近代美術館は□、北九州市立図書館はチューブで○、水戸芸術館のタワーは△だといっている。(磯崎新の仕事術 王国社 1996)



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ピロティの下に増築されたレストランからは、水を張った池が眺められ、そこには宮脇愛子の作品が設置されている。(「うつろひ」1992)
立方体の建築の前面の水の上に細い線が揺らいで、生きて感じられる。

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美術館は長い年月にコレクションを蓄積してきているが、群馬県ファウンデーションギャラリーの頃から井上房一郎が収集し、寄贈した戸方庵(こほうあん)井上コレクションが重要な一角を占めている。
(重要文化財2件を含み、中国絵画、室町水墨画、江戸諸派、近世禅林絵画、文人画、書など229点。)






表の眺めからすると意外だが、裏に日本庭園があり、その庭に面して茶室がある。井上房一郎の意向だろうか。


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