観音山から高崎市美術館・高崎哲学堂・群馬音楽センター



 1−3  井上房一郎とブルーノ・タウトとアントニン・レーモンド(+ヴォーリズ)


日付につづく引用文は「日本 タウトの日記」 ブルーノ・タウト 篠田英雄訳 岩波書店 1975。日付の書き方と旧字を一部あらためています。


井上房一郎は、避暑地、軽井沢に外国人向けの工芸品を売る店ミラテスを開いていたが、レーモンド夫人がそこをよく訪れていて、その縁でアントニン・レーモンドとも知り合った。
レーモンドは、フランク・ロイド・ライトが帝国ホテルを設計するのを助けるため、1919年に来日、その後も日本にとどまって設計活動をしていた。
タウトは日本に滞在している間、レーモンド夫妻に何回か会っている。

最初にタウトがレーモンドの事務所を訪ねた日には、ちょうどその夜になって、前に会っていた井上房一郎から高崎に来るよう、具体的な提案があったときに重なっている。

1934.6/6(水)
建築家レーモンド氏に招かれて同氏の事務所を訪ねる、ドイツ系のボヘミア人で長らくパリに住み(夫人はフランス人)、それからアメリカに渡って帰化し、現在は建築事務所を設けている。豊富な経験をもっているらしく、また実際にも日本で多くの建築をしてきた。
(中略)
日本の建築家たちが私の身の上について親身に骨を折ってくれている、−−有難いことだ。夜、床に就こうとしたら、沓掛の旅館に滞在している井上氏から、仕事の打合わせをしたいから高崎へ出向いてほしいという電報が来た。


その後も、レーモンドのほうでは、タウトを葉山や軽井沢の別荘に招き(軽井沢には行かなかった)、夫人が洗心亭を訪れもしている。

1934.6/17(日)
葉山に住む建築家レーモンド氏を訪ねる、海岸のすぐ傍にある清楚な別荘である。同氏の女婿であるアリソン氏(アメリカ大使館勤務)にも会った。レーモンド夫人の親切なもてなしは身に沁みて嬉しかった。一年前に私達が一夏を過した家の前まで行ってみる、−−是非、好悪さまざまな思出の複合だ。夕空や、雲表に聳える富士山の頂まですべて去年と同じである。


タウトは、しかし、レーモンドの建築について、あまり高い評価はしていない。
2人の建築家は、概括的にいってしまえば、西洋から日本にきて、日本の文化、日本の建築から大きな影響を受け、その頃の主流のモダニズムとは違う建築を考えたということで共通するところがありそうなのだが、深い接点をもつことはなかった。

          ◇          ◇

宣教師として来日し、日本各地に多くの建築を残したウィリアム・メレル・ヴォーリズ(1880−1964)は、来日したタウトをその日に迎えている。

1933.5/3(水)
 昼、遙かに、日本の海岸を望み見る、やや近づくと緑の山々。これまで見てきた景色とはまるで違った新しい国土だ。雨、なにもかも灰色に蔽われている。やがてまた緑の陸地が見え、前方には湾、そのうしろの明るい空、松の生えた島々、間もなく入港である。
 多彩な色、緑、なんという景色だろう!かつて見たことのない美しさだ。虹のように輝く水、まったく新しい世界である。
(中略)
京都駅に着く。下村氏や本野(精吾)教授夫人の出迎をうける。下村氏の邸宅はテュドール風。アメリカの宣教師で建築家のヴォリーズ氏に会う。下村氏と晩餐、こうして私達夫妻は下村邸の客となった。私達に当てられた室に落着く、入浴!


下村氏とあるのは、大丸百貨店の社長、下村正太郎。タウトの滞在中、ずっと支援を続けた。
1週間後にタウトは大阪に行き、今ではヴォーリズの代表作といわれているヴォーリズ設計の大阪大丸を見る。

1933.5/10(水)
下村氏の大丸大阪店の開店日、設備はいい、しかしこれが建築なのだろうか。

タウトの、世話になった人が関係することでも、率直な意見を表明する態度は、このあともかわりなく続き、井上房一郎についてさえ幾度か疑念が記されている。
井上房一郎は、のちに阿部能成に「何もしない、何も関わりを持たぬより、世話をして不平を言われることの方が勇気を必要とする」と言われ、救われたことを書いている。(私の美と哲学 井上房一郎 あさを社 1985)

          ◇          ◇

(大丸大阪店を見たあと、タウトは大阪朝日新聞社で講演をしている。タウトの前に3人の講演者があって、その1人の村野藤吾は「日本に於ける折衷主義建築の功禍」と題する講演をしている。村野はタウトにあまり関心はなかったようだし、タウトもこのあと村野に一度会っているが、会ったと記すだけ。1933年9月23日の日記に、東京・日本橋の森五商店についてだけ「大阪の村野氏の非常に端正なビルジング」と記述がある。)

村野藤吾については
→ [ 湯ノ丸山・烏帽子岳から小諸市立小山敬三美術館 ]
→ [ 編笠山から八ヶ岳美術館 ]
→ [ 駒ケ岳から谷村美術館 ]
→ [ 角田山から新潟市(とその近郊)のミュージアム・天寿園 瞑想館 ]

          ◇          ◇

井上房一郎とアントニン・レーモンドとは、戦後も関係が続き、高崎に群馬音楽センターを作り、高崎哲学堂も、レーモンドの設計をもとにしている。

→ [ 榛名山(掃部ケ岳)から竹久夢二伊香保記念館・榛名町歴史民俗資料館 ]


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