観音山から高崎市美術館・高崎哲学堂・群馬音楽センター



 5  高崎哲学堂


群馬県高崎市八島町82
JR高崎駅・西口から徒歩3分(高崎市美術館の裏にあたる)
tel.fax.027−322−3874

1961年に群馬音楽センター、1974年に群馬県立近代美術館、1979年に群馬県立歴史博物館、1983年に暮坂芸術区を実現してきた井上房一郎の最後の課題は、1969年に提唱を始めた高崎哲学堂であった。

「哲学とは、私たちが私たちの社会に賢明に生きようとする願望の学問である」
「高崎哲学堂は、現在の政治や教育の手の届かぬことを勉強する高崎の寺小屋である」


そう、機会あるごとに語り、書きながら、井上房一郎は設立準備会(のちに財団法人の認可を受け「高崎哲学堂設立の会」)を組織し、市民の寄付をつのって基金を準備しようとした。
建物ができたら活動を始めるというのではなく、基金の積立と並行して、哲学、思想、歴史、科学など、多様な分野の一流の専門家を招いて講演会を開催し、月刊機関紙「よろこばしき知識」を刊行してきた。

群馬音楽センターの設計者、アントニン・レーモンドによる哲学堂設計案と模型も作られた。
なかなか実現しないまま時間が経過したため、1986年ころ、井上房一郎は群馬県立近代美術館の設計者、磯崎新に新しい案の作成を要請している。
このときの井上房一郎の提案は、20世紀の哲学を決定づけているのは古い宇宙論ではなく、DNAだから、それを建築的に表現できないものだろうかということであった。磯崎は、二重螺旋は、すでにルネッサンス以来の建築で階段に使われているから、トリプル螺旋にしようと考えて、スケッチを描いている。結局それも高崎で作られることはなかったが、トリプル螺旋のアイデアは1990年に水戸芸術館で実現している。

第2次大戦中、レーモンドはアメリカに帰っていたが、戦後の1948年に再来日し、1951年には東京麻布の笄(こうがい)町に事務所・自邸を新築した。
ここをとても気にいった井上房一郎は、その翌年、高崎の自宅を火災で失った機会に、レーモンド自邸を模した住宅を建てた。
麻布の事務所・住宅は現存しないので、レーモンドの設計思想をみるうえで重要であり、井上房一郎の死後、高崎市都市景観重要建築物に指定されていた。

2002年、ここが競売にかけられることになり、「高崎哲学堂設立の会」は、井上房一郎を中心とする高崎・群馬の文化的発展の原点ともいえる場所を確保しておくために、それまでに積み立てた基金に借入金も加えて応札し、2002年5月13日、旧井上邸に財団法人高崎哲学堂が発足した。

南面して居間や台所が一列に配置されている タウトの肖像写真


木造平屋の建築で、南に面して長く、長屋のような雰囲気がある。
麻布のレーモンド自邸で、レーモンド夫妻が中央のガラス屋根の下で食事をしている写真があるが、光が入り、風も入り、リラックスして、とても気持ちよさそうだ。日本の住居のプロトタイプにならないものだろうかと思うくらい。



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