雌阿寒岳から釧路市立博物館



 4  釧路市立博物館 ・ 釧路市立東中学校


釧路市立博物館
釧路市春湖台 1−7
tel. 0154-41-5809  fax. 0154-42-6000
毛綱毅曠設計 1983年

釧路市立東中学校
釧路市春湖台 1-3  tel. 0154-41-3591
毛綱毅曠設計 1986年


1936年に「釧路市立郷土博物館」として展示室が設けられたが、その後、変遷を経て、「釧路市埋蔵文化財調査センター」とあわせて春採湖(はるとりこ)畔の台地に新しい博物館が建設され、1983年に「釧路市立博物館」として開館した。
タンチョウが両翼をひろげた形をイメージしていて、正面から向かって左の翼に博物館、右の翼に埋蔵文化財調査センターがある。



博物館内の展示は、生物の記憶を伝える遺伝子を象徴する2重らせんの階段を中心に展開している。

博物館は、その機能がすでに「記憶の建築」と呼ぶにふさわしいたてものだ。宇宙、大地、人間のすべての活動の記録を収めるからである。
 というのももともと、ミュージアム(博物館、美術館)は、芸術と戦争の女神ミューズの神殿の収蔵庫に由来する。それゆえ、都市が幾世代にもわたる記憶を集積する記憶の場であるように、ミュージアムはそれ自体が遺伝子なのである。
(七福招来の建築術 毛綱毅曠 光文社 1988)



各階にいくつかずつ大きな展示物がある。
シロナガスクジラの下顎の骨。もとの体長25m、体重150t。立てて置かれていて、門のようで、これだけでも人の背丈より高い。
各辺1メートルくらいありそうな、くろぐろとした石炭のかたまり。
(かつて釧路では海底にトンネルを掘って石炭を掘りだしていたという)。
霧の多い港で船の通行を知らせる霧笛。これも人の背丈を越える。
大きなものがあると、単純に、わーと驚いて気持ちが開く。するとそのほかの数多い小さなものにも、生き生きとした関心がわいて、退屈しない。

館内では小さな音量で環境音楽が流れている。
最上階まで上がるとドームがあって、ぐるりと半面に夏、もう半面に冬の自然が描かれていて、そこに数羽のタンチョウのはく製が置いてある。
囲まれている感じがとてもいい。

建築設計の毛綱毅曠(もづなきこう)と、展示設計の丹青と、博物館の職員とが共同して、見やすく、美しく、上質な展示を作り上げている。
展示はごく自然に無理なく収まって見えるのだけれど、こう落ち着くまでの過程はたいへんだったらしい。

「ケンカばかりしてましたよ。毛綱さんの設計は壁面がカーブしてたり、らせん階段があったり、びっくりするものでしたからね。でも、さんざん議論して、自分たちも発想を変える必要があるとわかりました。ない知恵をいろいろ出して、展示にはいろいろ苦労しましたが、できあがったものには満足しています」と、市立博物館の沢四郎館長は言い切る。
(日本経済新聞「美の回廊 現代建築のスケッチ2 空間を造形する」 1991.7.27)
 

もちろん、「ない知恵」というのは謙遜に違いないが、議論なしに簡単にできてしまえば使わずにすんでしまった知恵を、必死に使って予期した以上のレベルに到達するなら、難しい条件ゆえの成果ということになる。
ドームの全周型ジオラマなど、いかにも建築家ふう発想のように思えるが、展示側からのアイデアだという。

弟子屈町の資料館にはスケールがややなじめなかったし、湿原展望台は資料の展示が寂しかったのだが、この博物館は総合的に完成しているという印象を受けた。
今年の初めにフランスの国立自然史博物館「進化の大ギャラリー」のとても魅惑的な空間を見てしまう前なら、もっと感心しただろうと思うけれど、こちらのほうが10年も先行していることを考えあわせれば、やはりたいしたことをしていたのだと思う。

→ [ 去りがたかった博物館 国立自然史博物館 ]

          ◇          ◇

建物の裏に回ると、簡素な庭があり、薬草園が手入れされ、春採湖(はるとりこ−いい名前だ)を見下ろす位置にベンチがある。
湖は海に近く、細い紐のような陸が細長くはさまって海と湖を区切っている。植田実は「海を胎内化したような春採湖」という。
(宇宙模型としての建築 植田実 「日本の建築家7 毛綱毅曠 建築の遺伝子」所収 丸善 1986)

この釧路市立博物館の立地を、風水術によって直感するとどういうことになるのか。博物館は、春採湖畔の丘の上に、釧路市街地を背にして位置している。この地形を見るに、金の鳥が両翼を広げて卵を抱いている「金鶏展翅形」と把握できる。その地勢を建築に写し取った結果、写真で見るようなカッコいい外観の建築ができあがった。
(七福招来の建築術 毛綱毅曠 光文社 1988)


このあたり春採公園は遺跡もある歴史的な丘陵地で、当時40歳の釧路市長鰐淵俊之は、ここに建てる公共建築について、
「合理性、経済性の最優先という前提を可能な限り離れた文化的要素の高い建築群とする決意をした」 (「新建築」 1984年5月)
と語っている。

市長は釧路のまちづくりを、高校の後輩にあたり、当時まだ評価の定まっていなかった毛綱毅曠という1建築家に委ねて、この博物館、湿原展望台、釧路フィッシャーマンズワーフなど、大きな建築を次々に完成させた。
目に馴染まない建築を前にした市民の反発もあったらしい。

 不安がなかったわけではない。市立博物館ができた時、市長は早速、子どもたちに印象を聞いている。「みんなが面白いという。大きくなっても忘れられない建物だといった子もいた。その声で自信が増しましたね」。
(日本経済新聞「美の回廊」 前掲)
 

博物館の裏庭を散歩していると、恐竜の骨格復元模型の背中のような屋根が背丈の低い木々の向こうにのぞいている。
これは毛綱毅曠の出身校、釧路市立東中学校で、やはり毛綱の設計による。

東中学校の設計が、議会でもジャーナリズムでも問題となる。(中略)若い市民も喫茶店などで、この中学校のデザインポリシーについての賛否両論を繰り広げるという珍事があちこちで見受けられた。
(年譜 毛綱毅曠 「日本の建築家7 毛綱毅曠 建築の遺伝子」所収 前掲)



          ◇          ◇

かつてイギリスに行ったとき、ロンドンから北に向かう列車に乗ったことがある。ロンドンの駅を出ると、まもなく、緑の草に覆われたなだらかな丘の中を走っている。日本の太平洋側に住んでいると、市街がずっと続いていて、市の境も県の境もほとんどわからない。
「ロンドンって、こういうところなんだ!」と驚いていたら、同行者が「イギリスは5分で北海道というよね」とコメントしてくれた。

昨日、飛行機で北海道に来たとき、まず、まっすぐな海岸線が見えた。
細い川が海に流れこむところに、とても小さな集落がある。その周囲は濃い森が圧倒的なボリュームでひろがっている。
しばらく森ばかりの上をとんで、ようやく釧路空港に着く。
そのあと、車で走っていても、原始林のなかにポツリ、ポツリと島のように孤立して町がある。だらだらと家並みが続くことがない。
なるほどイギリスで言われた「北海道」というのは、こういうところだったんだと納得した。

釧路は海と湿原と原生林に囲まれている。沖で暖流と寒流がぶつかるので夏は霧が多く、冬は雪で覆われる。
都市が1つの隔絶した世界であるという感覚は、本州太平洋岸に育った者にはほとんど考えられないくらい強烈な感覚なのだろうかと思う。
この都市は完結している。しかもこの都市を囲む水の向こう、森の向こう、空の向こうには、また別の都市・世界がある。船に乗ってそこに行くこともできる。

人体が1つの世界であり、都市が1つの世界である。世界が世界を包み込むことを繰り返して、宇宙は入れ子状の構造をしている。
釧路市内に母が住む住居があって、「反住器」と名づけられている。
家具のスケール、人体のスケール、街に現れる住居としてのスケールとして、1.5mと3.5mと7.5mの立方体を入れ子状に組み合わせて、毛綱が考える世界模型のような住居を設計したのは、建築家としてのキャリアのまだごく早い時期、1972年であった。
毛綱毅曠の建築は釧路という都市の存在のしかたと呼応している。
また、この釧路という都市が、都市・建築を宇宙的スケールでとらえる建築家を生み出したともいえる。

          ◇          ◇

毛綱毅曠の文章、毛綱毅曠についての文章を読み終えたあとで釧路に行ったのではなくて、この文章を書きながらまだ並行して読んでいた。すると(前にも引用したが)植田実の文章があって、釧路に何度か毛綱毅曠の建築を見に行くのだが、
「彼が見ている釧路を追体験しているにすぎない」
と書いている。

そういうことだったのかと気づかされた。
毛綱の都市論、宇宙論、建築論が、余りにもきれいに釧路という都市と符号するので、完全に1対1に対応しているように思いこんでしまっていたが、それは毛綱が見るように釧路を見ているということだったわけだ。
また別な釧路像もあるのかもしれない。

そこで思い出したこと。
2002年4月14日、多摩美術大学美術館で、「毛綱毅曠の芸術と教育」という対談があった。出席者は、写真家・藤塚光政、建築評論家・飯島洋一、建築家・田淵諭。そのときの飯島発言−

釧路市立博物館にタクシーで行った。運転手さんが、「あれは博物館ではない、次にロシアと戦うときのためにおクニが作った基地。次は負けない」という。建築にはいろんな見方があるわけです。

それにしても、都市の姿の1つの見えようを表現してしまうほどの建築(及びその考え方)を築いてしまった毛綱の魅力にあらためて思い至った。

2001年、まだ59歳で亡くなったのが惜しまれる。

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