樽前山からアルテピアッツァ美唄



 2  アルテピアッツァ美唄


北海道美唄市落合町栄町
JR美唄駅からバス20分
道央自動車道美唄ICから道道美唄炭山線を1.7km
開館時間:水曜日〜日曜日10:00-19:00  月曜日10:00-15:00
休館日 :火曜日 祝日の翌日(日曜日は除く) 12/31-1/5
tel. 01266-3-3137,2082
http://www.artepiazza.jp/



アルテピアッツァ美唄(びばい)は、廃校になった小学校の跡地を、美唄出身の彫刻家・安田侃(やすだかん)が芸術の場に再生しようとしているプロジェクトで、まだ形成途中にある。
イタリアにアトリエをもつ安田侃が日本での制作場所を探しているとき、「炭山(やま)の碑」(我路ファミリー公園)の設置に関わった美唄市役所の職員が、廃校になって空いている小学校を紹介したことが発端になっている。
その旧・栄小学校は、最盛期1959年には児童数1200人ほどもあったが、1981年に併設の幼稚園を残して廃校。
1991年に工事を開始して、旧栄小学校の木造2階建て校舎を生かして大規模に改修し、1992年にオープンした。
安田侃の作品が建物の内外に置かれ、旧校舎の1階は市立栄幼稚園として使われている。


■ 失われた自然は戻らないか?

美唄は、かつては炭鉱でたいへん栄えた街で、夜には谷間の上のほうまで住宅の明かりが輝いて、夢のような景色だったという。
国策として石油へのエネルギー転換があって、炭鉱は閉山し、多くの住民が町を出た。(1963年三井美唄炭鉱閉山。1972年三菱美唄炭鉱閉山。)
家を取り壊したあとには森が猛烈な勢いで復活し、墓参りのために訪れた人たちは、自分たちが住んだことを思い出せなくていっそう寂しくなるのだという。
「一度破壊された自然は元に戻らない」ということをよく聞くが、どちらが本当なのだろうと迷ってしまう。
地形を変えるほどの大規模な開発や、種を絶滅させるようなこと、湿原のような、特異な地形、景観などを失うことについては、自然は元に戻らないということは妥当だとして、自然の山火事から、自然に植生が再生することも自然な例としてあるから、一般論としていってしまうのは適当ではないだろう。


美唄鉄道は1972年廃線。駅が保存され、線路はサイクリングロードになり、「熊に注意」の看板があった


■ 自然は変わらないか?

また、自然は変わらないということも、簡単にそう言いきってしまうことはできない。
何千万年というようなスケールでみれば、海の底がヒマラヤになってしまうのだし、そこまで長い幅をみなくても、自然は変わる。
木が育つ。火山が噴火する。波が砂を堆積し、崖を削る。
僕の仕事場のすぐ近くに川があって、かなりの急流が流れているが、大雨が降ると上流から流れた砂が小さな砂丘を作ることもあるし、大きな岩がゴロゴロしていたのがすっかり運び去られることもあり、岸辺の眺めが大きくかわってしまうことも珍しいことではない。
だから、自然が全く変わらないと思いこむのは違うと思うが、また、長い時間のうちには海が山になることもあるから、自然(破壊)なんて気にすることはないというのも、自然とともに生きるべき人間として、いい態度ではないだろう。
自然が変わるとか変わらないとかいうのは、結局、人の側との相対的な関係でしかない。
20年ぶりに帰ってもふるさとの山は元の姿のまま迎えてくれたということもある。一方で、生活の痕跡が残る縄文時代まででもさかのぼれば、東京はほとんど海だったということもある。


■ 手つかずの自然/放任の街

アルテピアッツァ美唄のゆったりした敷地内には、建物が2つある。ギャラリーになっている体育館と、幼稚園と展示場がある旧小学校。
道から体育館までは、平らな広場に安田侃の彫刻が置かれている。
そこから旧小学校や、その奥にかけてはゆるい起伏があって、やはりいくつかの彫刻が置かれている。

一見、もとの自然の地形そのままに作品を置いたかのようである。でも、じつは土を入れて、地形を作っている。もとのままの地面は1uもないという。
今、新たに小さな丘を作っているが、その位置、高さ、形を決めるのにも、彫刻家があちらから見て考え、こちらから見てまた考え、ということを長いこと繰り返している。

              ◇

アルテピアッツァ美唄が、すぐれた建築に与えられる村野藤吾賞を受賞したのを記念して、安田侃の記念講演会が開催された。そのとき、イタリアのアトリエを増築しかけたら警官がやってきて、材料に注文をつけられたという話があった。

どんな小さな村にも環境をコントロールする警察官がいる。家を直す場合には田舎ふう改築に限られ、プラスチックの雨どいなんてとんでもないこと。
でも中はどんなに斬新なことをしようと一切勝手。
そうした借景への規制によってヨーロッパの美しい景色は作られている。
(講演から)

ほうっておく、勝手に作ること、規制しないで自然にまかせることが、人の住む地域の美しい景観を作っているのではない。何もしない日本の惨状と対照的である。
アルテピアッツァ美唄では、敷地内からの景観を統一するために、外にまで目を配っている。

体育館の左にあった市営住宅は、新しいのが建って、住んでいる人に移ってもらって壊した。
ちょっと上がったところに火葬場があり、いわゆる迷惑施設のようだけれど、いちばん先に除雪車が来るので、近くの住民としては移転してほしくないと思っていた。火葬を待つ間に見てもらうのも悪くないけど
−本当に、そんなときに、こんなところで待つことができたらすてきだと思う−改築期にきたので移転した。

              ◇

土地をすっかり平らにならして、鉄とコンクリートとガラスの四角い近代建築をつくって、ちょっと芸術作品を置いてみる−というのはやりすぎだと思う。
でも、たとえば、数十年に一度くらいの大雨で形が変わってしまう可能性の高いような土地で、その地形を残すために、通常よりはるかに大きな時間と経費と労力をかけるのも、どこか違うと思う。
見ようによっては、いずれ崩れるはずの自然を現状で固定するという点で、半自然的ともいえる。
また、その土地の自然を生かす(残す)ために地中に建築を埋めるのも、言葉でいえば「えぐる」という印象があって、やり過ぎのように感じる。
地表に守るべき自然があるとするなら、地下にも、長い年月の地面の形成の歴史がある。人類の歴史が始まって以後の痕跡だけでなく、地球形成以後の記憶が残されている。

もちろん、こういうのは、思ったり感じたりの個人的・感覚的意見にすぎない。厳密にどういう建築が自然に損害を与えないかは、使用する建材の量や、建設中・建設後のエネルギー消費、とくに耐用年数経過後の廃棄をどうするかなど、いろいろな見方からのデータが必要だろう。

自然の中に建築を作り、芸術作品を作り、つまり場を作るには、その土地固有の自然を生かすべきこと、しかし、過剰に手を加えることは避けるべきとしても、現状をただそのまま手つかずに残すことが「自然を生かす」ことではないと思う。


■ アルテピアッツァ美唄の夕暮れ

樽前山でキリに囲まれたあと、札幌芸術の森と札幌ドームに寄り道して、アルテピアッツァ美唄には夕方に着いた。
ひっそり眠っているようにある−という予想は違っていた。
一部工事中で、小さな土の山ができて、ブルドーザが脇にある。
中に幼稚園があるのは知っていたが、もう子どもはいない時間のはずなのに、男の子に女の子、先生も混じって、その土の山に登ったり、芝生の庭を走り回ったりしている。今日は幼稚園の夏祭りの日で、仕事を終えた親たちもポツポツやってきて、もっとにぎやかになっていくところだった。


もと体育館の建物には、彫刻が置かれ、ときにはコンサートなどのイベント会場にもなる。ここは余計なものを取り払っただけだという。粘土のように加えていくのではなく、削るだけで作る大理石の彫刻と同じ。
不要なものをはぎとっていくと生き生きとした駆体が現れてきて、それが作品と呼応したという。

校舎は改築している。

もとの校舎は、安普請で、断熱材もない。
改築案に対しては、「そんなに金がかかるなら新しいのを作ったほうが」という意見がでたが、すっかりかえてしまっては時間や記憶が宿らない。
完成後、「あんなに金をかけてどこを直したんだ」という意見があり、ほめられた思いだった。


今は市の支援体制もできているようだけれど、はじめは困難なスタートで、

町おこしだとか、再生プロジェクトなんて考えはなくて、予算も何もない、「だまされるな」という意見さえあるなかで、やれることから1つ1つやってきた。
かつて市民が誇れるもの no.1は、人口より多い40000羽のマガンがとんでくる宮島沼だったが、今ではアルテピアッツァ美唄が no.1になった。

市内に3つある幼稚園の中でも、市街地から離れているにもかかわらず、ここがまず最初に定員が埋まるのだという。


今日は夏祭りなので、綿あめや焼きイカを作っていたり、旧校舎から池のあたりまで、祭りの用意ができている。夜はお泊まり会で、肝試しもあるらしい。
暗い校舎を歩いていくと、懐中電灯の光を受けて彫刻がぼーっと現れたりするのか...


■ インゼル・ホムブロイヒの保育園

10年近く前に行ってとても感動したインゼル・ホムブロイヒが保育園を開いたことを最近知った。
インゼル・ホムブロイヒは、ドイツのデュッセルドルフ郊外にある現代美術の制作・展示施設。もとは採鉱や製鋼をしていた地域で、彫刻家エルヴィン・ヘーリッヒのシンプルなデザインの展示棟などが、エルフト川沿いの湿地帯に点在している。
視覚芸術だけでなく、コンサートや朗読会なども催している。
やはり彫刻家であるオリヴァー・クルーゼが設計して、1999年に保育園が完成している。
多くの要素がアルテピアッツァ美唄と共通し、根っこにある「自然と、人の文化とがどう共生するか」という問題意識も共通している。

参考:
「形態の研究 インゼル・ホムブロイヒ美術館の保育園」 ヴィルフリート・ヴァング 渡辺朋子訳 a+u 2002.6 no.381
→ [ 気に入りの美術館 ]



■ 我路メモリアル森林公園

夕暮れが迫って親たちがだんだんと登園してきてにぎわってきたのをあとにして、車でさらに奥、美唄ダム方向に向かってこの公園に着く。
炭鉱の跡を公園にしている。
遊歩道を歩いて行くと、原炭ポケットというコンクリートの大きな建造物が廃墟になっている。
斜面の上に、赤く塗られた巨大な巻揚げ機。170mの深さの地底まで鉱夫を運び、石炭を運び揚げた。
遊歩道の途中にある四角な建物がまたインゼル・ホムブロイヒを思い出させる。
かつてここでは大勢の人が働き、多くの音に満ちていたのだろうが、今はただひっそりとある。




■ 我路ファミリー公園

少し戻るとこの公園がある。美唄川に沿って、キャンプ場と三菱美唄記念館がある。その一角に安田侃の「炭山(やま)の碑」を設置してある。
炭鉱で亡くなった人たちの慰霊碑で、先端が折れ曲がり、亡くなった人の魂を地底から吸い上げ、空に解放する。
かつての美唄の繁栄には、明治時代に行われた樺戸集治監の囚人の過酷な労働による道路建設、戦争中の朝鮮人や中国人の強制連行によるやはり過酷な労働、採掘中の事故による犠牲など、暗い面をたっぷり含んでいる。
それらのたくさんの魂を鎮めるための碑が、しだいに薄暗くなってくる夕暮れのなかに立っていた。



■ アルテピアッツァ美唄の朝

美唄に泊まって、翌朝もう一度行ってみた。
夏祭りのあとがすっかり片づいている。
緑の芝生と白い大理石の彫刻の対比が鮮やかで快い。
水路と池には水が流れている。
その小さな白い石は、ミケンラジェロがダビデ像を作るために大きな石をフィレンツェまで運んだときの、破片の小さな石が玉石になったものを運んできたという。遠い距離、遠い時間まで思いを誘う。



北海道新聞社から、ここの、たくさんの見事な写真を掲載した本が出版されている。季節の折々の風景が、それぞれにため息がでるほど美しい。近くにあって、気が向いたらふらっと行けるようだといいのに、とても遠い。


■ 村野藤吾賞受賞記念講演会

村野藤吾賞受賞の記念講演会は2002年6月20日に建築会館で開催された。
安田侃の制作はイタリアで高く評価され、フィレンツェでイタリア人彫刻家でさえ許されない場所で屋外展示されるなど、例外的な厚遇を受けている。
しかもそれをたんたんと語って、少しも自慢話的な嫌みがない。
アルテピアッツァ美唄が生まれる経過についても、多くの障害、苦労があったらしいが、やはりさらっと語ってしまう。
話の中身にも感動したが、その人柄にもとても惹かれた。

残念だったのは、「彫刻家・安田侃」の話を聞きにきたと思われる人がほとんどらしいことであった。ふつう、建築家の講演会があると建築を学ぶ学生や若い建築家でいっぱいになるのに、それらしい人はあまり見かけず、悪天候のためもあったろうが、やや空席さえあった。
アルテピアッツァ美唄に建築の賞を与えるということについては、選んだ人たちの見識、決断が感じられる。選考の過程では厳しい見方をする意見もあったが、「場を作ることは建築の仕事である」ということで決定したという。
若い建築志望者がアルテピアッツァ美唄に意味を見いださなかったのだろうかと残念な気がした。


アルテピアッツァ美唄の完成まであと10年はかけるという。
僕はちょっと行きにくいところ、遠いところにでかけると、「生きているうちにここに来るのはこれが最後かもしれない」と寂しい諦めの気持ちになってしまうことがよくあるのだけれど、ここにはぜひもう一度来たいと思った。


参考:
「安田侃の芸術広場 アルテピアッツァ美唄」 北海道新聞社 2002

村野藤吾賞受賞記念講演会 2002年6月20日 建築会館−この項は、直接に講演の内容から引用のようにまとめたもののほかにも、多くをこの講演によりました。

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