鬼怒川・小貝川から「もりや学びの里」・間宮林蔵記念館 ・
県南総合防災センター・東京藝術大学大学美術館取手館



 4  岡堰 (小貝川 )


間宮林蔵記念館から歩いて20分ほど下流で、小貝川はほとんど90度に流れの向きを変えるが、そこに岡堰がある。



小貝川に舌状に突き出した水神岬。桜が咲いている。
右手、遠くに見える水門が、現在の岡堰。
写真ではわかりにくいが、水神岬と水門の間に島状にあるのが、改修前の旧岡堰で、間宮林蔵の記念像も立っている。

川は左奥から流れてきて、カメラを構えているあたりにぶつかってほぼ90度に向きを変え、右に見える水門の方に流れていく。


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江戸時代 徳川家康は江戸の洪水を防止し、新たな土地を作るために、利根川荒川に流れ込んでいるのを付け替えて、銚子で太平洋に流れ込むように企てた。
その政策の一環として、関東郡代となった伊奈半十郎忠治は、鬼怒川と小貝川を分離する工事を行い、谷和原三万石、相馬二万石と呼ばれる広大な新田が作り出された。

1630年には岡堰が完成しているが、間宮林蔵が才能を認められたのも、その後の堰の開閉や治水の改良工事の過程においてであったと思われる。
地域の風土を、固定した静的な背景として眺めるのではなく、立体的な構造物をして捉える感覚は、そうした郷土が育んだのだろうと思う。

間宮林蔵の偉大な先達、伊能忠敬は、およそ40km東の佐原市の人。
伊能忠敬もまた、名主をしていて、洪水のあと、田畑の境界を復元することがあって、測量の面白さに目覚めたといわれる。

1959年、第2次南極越冬隊が残した樺太犬15頭のうち2頭が生きて発見され、タロとジロという名の犬がヒーローになるというできごとがあった。
南極観測船宗谷と昭和基地間を物資輸送にあたっていたヘリコプターから発見されたのだが、そのとき操縦していた1人が茨城県伊奈町出身の飯島勇飛行士(1916-1977)であった。
風土の精神性のつながりを思わせる。

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かつてはたくさんの桜の木があって、春の花見の時期はたいへんなにぎわいだったというが、改修工事で桜がずいぶん少なくなってしまった。
川の草の斜面に座って、わずかの桜の花ざかりと、ゆったりした川の広がり、流れを眺めながら、お弁当を食べた。



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