六国見山から神奈川県立近代美術館


 神奈川県立近代美術館

葉山館
神奈川県三浦郡葉山町一色2208-1
tel. 046-875-2800

鎌倉館
神奈川県鎌倉市雪ノ下2-1-53 tel. 0467-22-5000

別館
神奈川県鎌倉市雪ノ下2-8-1 tel. 0467-22-7718
http://www.moma.pref.kanagawa.jp/museum/index.html



鎌倉市の中心、鶴岡八幡宮の境内にある。
平家池のほとりで、初夏には、はすの花が咲く。

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50周年を記念して刊行された「小さな箱 鎌倉近代美術館の50年」(求龍堂 2001)によれば、開館までの経過は次のようである。

1948年に、横浜市・桜木町駅近くの野毛山で貿易博覧会が開催されたが、その建物を一部残して、美術館にする案がでてきた。
神奈川県美術館懇談会(メンバーは有島生馬、鏑木清方、小山敬三、佐藤敬、中村岳稜、土方定一、安井曾太郎、安田靫彦、村田良策、山口蓬春、ほか)が組織された。
かつてフランス大使でもあった内山知事は積極的に推進し、鎌倉八幡宮が2000坪を無償提供した境内に新築することとなった。

本館を設計したのは、坂倉準三(1901-1969)。東京帝国大学文学部美術史学科を卒業後、建築家を志してフランスに渡り、ル・コルビュジエの事務所で修業してきた。

設計者の選択にあたっては設計競技が実施された。参加指名を受けたのは、坂倉のほか、前川国男、吉村順三、谷口吉郎、山下寿郎。審査員は吉田五十八らであった。
同じル・コルビュジェに学んだ前川案も評価が高かったが、本格的なコンクリート建築で、6000万くらいかかり、戦後間もない時期としては建築費が高すぎた。
坂倉案は鉄骨、アスベスト張りで半分でできるということが重要な選択理由になった。
野毛山の材料も再使用し、2850万円で建築。
1951年11月竣工。
鉄骨構造2階建て、延床面積1,575平方メートル。
空調設備がなく、梅雨時は陶磁器の展観でしのいだり、開館まもなくに事務所の壁が落ちるなど、工事費を抑えたことの弊害もあった。

設計が私の案に決つた後建築様式のことで、非常に心配される向きがあったが、私は、ああいう歴史のある古い森の中の風景にマッチする形式は、かえつて現代的な者、最も永遠に通ずるがごとき新しさを持ったものがよいのだということをよく説明した。(「鎌倉の現代美術館」 坂倉準三 藝術新潮 1952.3)

コルビュジェ式の白いブロックの建物が鶴岡八幡の境内の林泉と、うまく調和するかどうかと多少不安だったものが、出来てみると、内部から外の自然をきり取った角度が、予想出来なかった新しい風景と成ったのもうれしかった。(「最初の地方美術館」 大佛次郎 毎日新聞 1951.11.21)

四角い中庭を中心に、その周囲を展示室やさまざまな機能が取り巻く構成にしている。
ル・コルビュジエが1939年に発表した「無限発展の美術館」というコンセプトによるもので、7年後の1959年には,ル・コルビュジエ自身もこのコンセプトに基づき東京国立西洋美術館として実現している。
(その設計のためにル・コルビュジエは1955年に来日。神奈川県立近代美術館に坂倉の案内で訪れている。)

土方定一(1904-1980)という、今では伝説的存在のような人が30年にわたって副館長・館長として在任し、意欲的な展覧会を開催し、人材を育て、この館だけでなく、戦後日本の美術、美術館の発展をリードしてきた。

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大空間がドンとあるのではなくて、小さな部屋が中庭を巡って連続している。
ほとんど正方形の小部屋まできてそこの展示を見たら、1階に降りる。中庭があり、池があり、屋内のような屋外のような、妙な空間になっている。
このあたりの壁には大谷石が使われていて、軽やかな印象がある。
天井に池の水の反射がゆらゆらとうつる。
池に咲く蓮を眺めたりしてひと息つく。
今では透明なガラスを使って開放感を演出する美術館は珍しくないけれど、この美術館のように、外からの風を体に受けられるような開き方をしたところは他にないと思う。
橋を渡って、高い吹き抜けの展示を見て、階段をあがって中2階の展示でしめくくる。

この美術館で展示を見ていると、経巡(へめぐ)るという感覚がある。体の向きが何度もくるくる変わっていく。一面的に見るのではなく、多面的に見るように、また展示室の単位が小さいので、くまなくみるようにと教えられているかのようである。

展示室が分かれているが、大きさ、長さ、高さが頭に入っているので、かえって展示の組み立てをしやすいと、なにかの対談だったかで、ここの学芸員が語っているのを読んだことがある。
それで思い出すのは群馬県立近代美術館で、増築前の特別展用の部屋は大きな1室空間のみだった。間仕切り壁を立てて作品を展示する。自由に何でもできるようでいて、かえって使いにくそうだった。

この美術館には、いろいろなものを見せてもらった。
なかでも忘れがたいのは、1993年の夏のド・スタール展。
抽象1歩手前のモノや風景が、厚塗りで鮮やかな色のコントラストで描かれている。1点ごとに「いいよなあ」とため息をつきそうになりながら見続けて、最後に、池を渡った先の展示室に至る。
中2階に上がって下の階の作品を見下ろすと、池を背にした壁面に船の絵がかかっている。数本のマストがある、黄色い、茫洋とした船の姿。作品からちょっと目を移すと、蓮の葉の浮かぶ現実の池の水面が見える。
「この美術館だったら、この絵はここしかない」−という位置に置かれていた。
( → [ 去りがたかった美術展 ] )

かつて横浜に住んで横須賀に通っていた頃、夜勤明けに鎌倉に寄り道することがあった。帰りにはバスを途中で降りて、朝比奈の切り通しを眠い頭でぼんやりしながら歩く。いつも崖の岩に水がしみていたようだったのを思い出す。

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中庭に置かれた
イサム・ノグチの彫刻

2000年に、近代建築の流れのなかで重要なものを20選び出す作業が行われ、この建物はその1つに選ばれた。
( → DOCOMOMO ( ドコモモ ) については、 [ 谷口吉郎+秩父セメント第2工場の夢 ] )

1966年には、同じ坂倉の設計により新館を増築。
歩いて数分のところに、大高正人設計による別館が1984年に建てられた。
本館は、展示室内部の照明を天井の自然採光から人工照明のみに変えたり、空調設備を入れるなど、手が加えて使ってきたが、2003年に葉山の新館に移転予定。
PFI ( Private Finance Initiative )という方法を活用し、美術館の運営について、また新しい局面を開こうとしている。

当初は収蔵品なしでスタートしながら、長い間に優れたコレクションを形成してきているのに、なかなか目にすることができない不満があった。別館ができてもテーマごとの展示をしていて、代表的な作品を常設展示によりいつでも見られるのではなかった。
これから所蔵品をどう見せ、どういう展覧会を企画してくれるのか、開館が待ち遠しい。


*坂倉準三については、[坂倉準三]
イサム・ノグチについては、[樽前山からアルテピアッツァ美唄] [安芸小富士から平和記念資料館・ひろしま美術館]





以上の文章は2003年5月記。
その後、2003年10月に葉山館が開館した。

→ [ 仙元山から山口蓬春記念館・神奈川県立近代美術館 葉山 ]



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