箱根1:鷹ノ巣山から箱根彫刻の森美術館


 「森に生きるかたち」展  
03     芸術は落ち穂拾い


会期中、2000年8月12日には、遠藤利克、戸谷成雄、北山善夫の3人そろっての講演会があった。当然のことながら3者3様で、面白かった。

・ 芸術作品と、それが置かれる場・地域とは、関係がある(べき)か

遠藤:呼ばれればどこにでも行くのが作家渡世だが、「地域の活性化」にまで頭がいかない。自分の制作をするだけ。越後妻有でもシンポジウムに参加したが、外国からまで来て地域にどっぷりつかって制作しているのには白ける。
戸谷:自分の作品は特定の場・地域とは関係がない。
北山:時間はかかるが、芸術が地域に貢献することはある。営利ではなく、文化の問題。

・「造形」についての考え方

遠藤:造形しない
戸谷:造形の跡が見えないくらい徹底的に造形したい
北山:もの派の批判から入った 過剰なくらい造形したい

・ 彫刻の森美術館のありかた

遠藤:ブルドーザーとユンボでかきまぜてカオスに(前述)。ただし、この美術館だけをカオスにというのではない。「近代」への批判として。
戸谷:いいコレクションを持ち、多くの人に公開してきた貢献を評価する。地形の制約があるにしても1方向からきり見られないものがあるなど、作品の展示に改善すべき点がある。
松村壽雄(彫刻の森美術館):美術が多くの人に親しまれるようにと望んでいる。
この美術館の現状に満足しているのではないが、今回の出品作家たちの作品を(画廊や現代美術の展覧会などより)多くの人が見たことの意味は大きい。

・ 芸術家は世間の先を行くどころか、遅れているのではないかという、聴講者からの意見に対して

遠藤:アートが前衛というのは幻想。先にいかないのが倫理。
戸谷:芸術はいちばん最後にあって、落ち穂拾いのように拾っていくもの。

「芸術家は、状況の異常な空気を真っ先に感じ取るために炭坑労働者が坑内に持ち込んだ小鳥のような存在である」という考え方をなんどか聞いたことがある。
表現が未来への予言・予感であるという考え方にひかれはするが、十分に納得しがたい気もしていた。北山善夫の作品を思い浮かべてみても、「芸術家は最後に行く落ち穂拾い」論のほうにうなずける思いがした。


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