箱根1:鷹ノ巣山から箱根彫刻の森美術館


 「森に生きるかたち」展  
04     次は?  


「森に生きるかたち」展の出品作品は、会期終了後にすべて撤去するという。
戸谷作品のように、ここから撤去しても保管しておける作品はいいとしても、土屋公雄國安孝昌の作品は再制作が難しい。そのまま残してもらいたい気がする。この人たちの作品は、なかなか見ることができないが、都心から遠くない箱根で、いつでも見られたらいいのにと思う。

フランスやイタリアの作家のブロンズの作品は、もうそんなにたくさんはいらない。
外国作家の紹介だけでなく、日本の現代作家の魅力も伝えてもらいたい、いま見る人の心に生き生きと働きかける魅力のある作品を見せてもらいたいと思う。







土屋公雄
の箱根の作品の中に立っていると、さまざまな想像を誘われた。
亡くなった母の墓がこのようであったら。
阪神淡路大震災の瓦礫で作って、神戸市内か、淡路島にあったら。
野球場ほどの大きさだったら。

この作品にフリークライミングをしている少年がいた。わずかの時間に3人見かけたから、1年2か月の会期中には、ずいぶんたくさんのクライマーがいたに違いない。大きくなって恋人を連れてきて、「僕は昔ここに登ったことがある」なんて話してるのも素敵だと思う。
作品がただ公園の遊具のようにしてあるというのではなく、瓦礫で作られたきれいな弧を描く山を登った記憶、その中に花が咲いていた記憶というのは、かなり特別な経験であり、長く記憶に残るのではないかと思う。
ただ、現物があれば、いつかまた来たときに思い出せるが、なくなってしまってはその記憶は埋もれてしまうかもしれない。



写真はイギリス、ロンドンからさらに遠い湖水地方にあるグライスデールの森 Grisedale Forest の土屋公雄の作品 「石造の暦 」 (1991) 。(ここにはデヴィッド・ナッシュアンディ・ゴールズワージィの作品も広い山中に散在している。)
土屋公雄のこの系列の作品は国内にあるのだろうか。イギリスに行かなくては見られないとすれば寂しい。

見る楽しみとともに、いろいろ考えさせられることもあって、それはまた行ったかいがあったことであり、充実した1日であった。
この美術館が30周年の展覧会を契機に、次に何を企てるのか、とても楽しみになった。



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