箱根1:鷹ノ巣山から箱根彫刻の森美術館


 箱根彫刻の森美術館←井上武吉→池田20世紀美術館 


■ 箱根彫刻の森美術館

神奈川県箱根町ニノ平
tel. 0460−2−1161
http://www.hakone-oam.or.jp/


箱根彫刻の森美術館に入場してエスカレ−タ−を下ると、ニキ・ド・サンファ−ルの「ミス・ブラック・パワ−」がどん!とこちらを向いている。ついひかれていって、その前で記念写真をとり、そのまま右手に進んで行ってぐるりと彫刻を見て戻ってくると、ミュ−ジアム・ショップに入ってしまったりして、入口から左手はなんとなく忘れられた一帯だが、そちらの芝生に井上武吉の「天をのぞく穴 my sky hole」がある。



2.2m四方の透明なガラスの箱の階段を降りると、底の狭い空間に天をのぞく穴がある。のぞいたら向こうにある同じ大きさの黒い鉄の箱の階段を上がって外に出てくる。
井上武吉は、制作当時、こう書いている。

とにかく何かの中に入っていたり、入り込みたいという欲望がぼくにはあって、それが高じて、大地に穴を掘ることになった。(中略)
その穴は、世界のあらゆる出来事、過去から未来へと流れる歴史をも含む、その世界全体と対抗するものでなければならず、この点があるがために現代の相が明らかになるような、その上、ぼくを大地と馴染ませ、包み込んでくれる、そういうものでなければならない。
ぼくだけが地球の鼓動を聞くことのできる場所、ぼくだけが宇宙を語れる場所が欲しい。非常に私的な、理想をいえばぼくの家の庭につくりたい作品なのである。 [新建築1979年11月]



井上武吉
天をのぞく穴
my sky hole


その作品より前に井上武吉はこの美術館の本館と、彫刻を置く場所の設計に関わっていて、その頃の事情はこんなふうだったという:
この美術館の開館にあたり、フジサンケイフループのリーダー、鹿内信隆氏 (初代館長になる) から相談を受けた。当時、ここはブッシュが生えているだけで、雉や山鳩が巣を作っていた。自動車が入れるくらいの山道が1本あり、「その道に彫刻を置いてくれないか」 といわれ、レポートを書き、300分の1の模型をつくった。

当時の神奈川県立近代美術館長土方定一氏に模型の写真をもって相談に行くと「宇部は常盤公園で、神戸は須磨離宮公園で野外美術展をやっている。箱根は美術館として確立したらどうだ」 という話があって、美術館になった。

急な斜面なので、8〜9メ−トルの擁壁を立て、土が足りないのでよそから買った土を入れて平らな形を作った。

企画委員会を作り、川北倫明委員、中原佑介委員、高階秀爾委員、飯田善国委員らに鹿内氏が入場者の予想を尋ねたことがあった。委員たちは1日にせいぜい300人とか400人とかいったが、鹿内氏はずっと大きい数字を予測しているようだった。
実際に開館してみると、平均してその10倍、年間に150万人が入っている。
[彫刻の森25周年記念座談会 「彫刻の森美術館1969-1994」から抜粋・要約]



開館後は、定期的に彫刻展を開催して優秀作品をコレクションしている。
また、単体としての彫刻をただ置けばいいというのではなく、1986年から「まちづくりと環境芸術セミナー」を毎年開催して、地域と芸術の関わりについて、実践的取り組みを積み上げてきている。
この美術館は箱根登山鉄道の駅名にもなるほど有名で、ほとんど観光地のようなイメ−ジがあるが、広く知られていないところで、そんな貢献もしている。

さらに、上記の25周年記念座談会で井上武吉が提案したことを、そのままにしないで実現してしまう着実さ、誠実さ、実行力にも驚かされた。
井上武吉−「25年たって、いまのような問題 ( 展示作品の入れ替え、屋内展示空間が狭いことなど ) が出てきてるわけです。美術館のあり方を、もういちど考え直さないといけないと思う。許されるならば、あと5年後の30周年に。


そして、1969年8月1日の開館からちょうど30年目の1999年8月1日から、1年2か月に及ぶ「森に生きるかたち」展が開催された。



■ 池田20世紀美術館

静岡県伊東市十足字関場614
tel. 0557−45−2111
http://www.nichireki.co.jp/ikeda/

井上武吉が設計したもう1つの美術館
→ [ 大室山から池田20世紀美術館 ]



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