このホ−ムペ−ジを書いている人- [星の王子さま] 的(=数字がない)自己紹介-


目次 :
なぜ山を歩いて美術館に行くか /
初めて感動した山の本 / 初めて感動した美術の本
去りがたかった山 / 去りがたかった美術館 / 去りがたかった美術展 /去りがたかった博物館
気に入りの山 / 気に入りの美術館
箱の家



なぜ山を歩いて美術館に行くか

1 発端 近くに広い公園がある。
まだ子供が小さい頃、晴れた日に連れていった。子供を遊ばせながら海苔を巻いたおむすびを食べつつビールを飲んでいると、とてもおいしいし、気持ちがいい。
「家の近くの公園でこんなにおいしいなら、眺めのいい、空気の澄んだ山で飲んだらもっとおいしいに違いない!」
そこで子供を連れて山に行くようになったのだが、だんだん成長すると親と山登りなんか行かなくなる。
それでも山歩きの楽しみは残って、もとから美術館歩きの趣味もある。あの山に行きたいし、この展覧会も見に行きたい、でも休みの日は限られている−それで、1日のうちに(遠いところでは時には泊まって)、山に登っては美術館に寄るようになった。
(山頂でビールを飲むと下りで足がだるくなって歩きにくい。降りてからも、車を運転していくことが多いから、結局、家に帰るまでビールは飲めない。でもビールなしでも山はおいしい。)


2 あとからつけた
理由
山に行く人は感受性が豊かで、美術鑑賞に向いている
圧倒されるほど高くそびえ、巨大に連なる山の塊、木漏れ日の輝き、新緑や紅葉のいろどり、岩陰に咲く可憐な高山植物、熱い日射し、顔に吹く風−大きなものから小さいもの、かすかななものまで、山を歩く人はいつも感受性を磨いている。(一般的には、ということですが)
「山ヤは本読み」とかいうらしいけれど、「山ヤはア−ト好き」でもいい。

美術鑑賞は山に行くトレーニングになる
都内の美術館や画廊を回ると、地下鉄の乗り換え、エレベーターのないビルの上のほうの階にある画廊への上下などで、足の訓練になる。
万歩計をつけて1日歩いてみると、低い山の往復より歩数が上回ることがある。

末期の眼
こういう動き方をしていると、とても元気にとび回っているように思われて、とまどうことがある。
でも実は体にはトラブルをいくつも抱えていて、僕の誇るコレクションといったら、アート作品ではなくて、いろんな種類の診察券。
気持ちのほうも、すぐへこんでしまいがち。
それをなんとかなだめて出かけていく。
いよいよ立ち上がれなくなったときに、懐かしく思い出すのにいい、あるいは最後にもう一度訪れるのにいい、1つの山、1つの美術館を見つけだす−というのも、山と美術館に行く動機の1つになった。
同じ山に2度行くことはほとんどない。この山に来るのはこれが最後だろうという感覚がいつもある。
原民喜「心願の国」−
僕の眼が一本のすつきりした木の梢にとまつたとき、大きな褐色の枯葉が枝を離れた。枝を離れた朽葉は幹に添つてまつすぐ滑り墜ちて行つた。そして根元の地面の朽葉の上に重なりあつた。それは殆ど何ものにも喩へやうのない微妙な速度だつた。梢から地面までの距離のなかで、あの一枚の枯葉は恐らくこの地上のすべてを見さだめてゐたにちがひない。……いつごろから僕は、地上の眺めの見をさめを考へてゐるのだらう。
芥川龍之介は「自然の美しいのは、僕の末期の眼に映るからである」と書いている。
たしかにそんな気分で見ると山の景色もなお愛おしく感じられる。


3 21世紀の登山家はいつのまにかアートに近づいている かつてのリーダー的登山家はアルパイン志向で、より高い山、より難しい条件を目指した。征服という言葉が似合う。
一方、ふつうの人の登山に関しては、[ 登山→中高年 ] という連想がすぐはたらくほど、山登りは中高年の娯楽というイメージが定着している。
しかし、若い登山家たちは、それぞれ個性的な山登りをしている。


栗秋正寿:
21世紀を迎えた年に20代後半。
15歳のとき、「ラブ・ストーリーを君に」 という映画で、西穂高の夕焼けに感激して高校の山岳部に入った。 

1998年には、マッキンリー( 6194m ) 冬季単独登頂。世界で4人目。(1984年に下山途中に亡くなった植村直己に次ぐ。)
1999年には、アラスカ、フォレイカー( 5305m ) 単独登頂。マッキンリーの南西約20kmにあり、マッキンリー夫人といわれる山。

稜線を挟んで、西にフォレイカー氷河、東にカヒルトナ氷河が三〇〇〇m隔てた眼下に広がる。アラスカ山脈の厳しく、また美しい自然に畏敬の念を抱かずにはいられない。一歩、一歩、頂に近づいている私の身体が震え始めた。興奮して耳が聞こえなくなったのか、周囲からすべての音が消えた。聞こえるのは、零下40度Cの世界で、私の生命を維持している「心臓の鼓動」だけである。
午後七時四〇分、フォレイカー北峰に到達。
(中略)
アラスカ山脈に夜が迫ってきたため、頂上には五分しかいなかった。予定していた山頂でのハーモニカ演奏、曲名「フォレイカー」は、今後の楽しみに取っておき、黄昏どきの北東稜を下っていった。夜の帳が下りる頃には、無数の流星、満月の光耀、そしてマッキンリー上空のオーロラの乱舞など幻想的な世界が広がっていた。
( 「憧憬のフォレイカー、単独登頂  「岳人 」 1999.7



いいなあ...
高峰への登頂は旧世代の登山家もしたことだが、そのあと栗秋は真っ直ぐには帰らなかった。
山に行って山から帰るばかりで、アラスカに住む人たちとゆっくり話したこともない−。
そこでアラスカ湾から北上して北極海まで、リアカーで1400 kmアラスカ州を縦断した。「日の丸の旗」ではなく、名前にちなんだ 「火の栗の旗」をかかげ、行く先々で出会う人々と語りながら。

本にまとめたのが「アラスカ 垂直と水平の旅」、山と渓谷社刊。もちろん垂直はフォレイカー5305m、水平はアラスカ州縦断 1400 kmのこと。
アラスカの垂直と水平の旅(2)のんびり歩こうリヤカー引いて徒歩縦断1400キロの旅 ( 岳人1998.11 ) にも短い記録があって、これだけ読んでも楽しい。


戸高雅史:
21世紀を迎えた年に30代前半。25歳のときにマッキンリー単独登頂を果たすなど、世界の高峰に挑んでいる。
しかし、戸高は山頂を征服して満足するのとは違う世界にはいっている。
高いところには場の力があり、時間が止まってしまうような感覚、柔らかい空気に包まれているような感覚、宇宙のなかに生きている感覚がある。それこそが山に登ることの意味だと考える。ひとりで登ることは孤立ではなく、すべてのものと1つになることだという。
「山登り」ではなく、「山」に関心をもつ若い人が増えていて、その手助けをするためもあって山のガイドをしている。
富士山に近い平塚市の小学生と話して、その1/3が、自分たちの住む街から富士山が見えていることに気がついていないことに心を痛めたりもする。

A LINE−地平線の旅人」江本嘉伸・遠藤正雄・戸高雅史によるフォト・エッセイ 求龍堂
FOS 戸高雅史が主宰する「野外学校FOS(FEEL OUR SOUL)」と、海外遠征の活動を報告するサイト
ヒマラヤニスト・戸高雅史さんとその妻・優美さんに聞く−なんかちょっとくやしいぞ! ( 「岳人」 1997.1 )  戸高夫妻と、その友人の岳人編集者村田文祥氏との楽しい対談。絶妙な息のあいかたで、おかしくて吹き出したり、でもじんときたり。
平塚市の小学生については、[ 高麗山から平塚市美術館・茅ヶ崎市美術館 ] 参照。


栗秋も戸高も世界の高峰に単独で行くのだが、2人とも、孤立する瞑想的な傾向と、人の中に入っていく志向とが、共存している。あるいは単独で山にいても、それが自分の表現だという感覚がある。
個人の生の軌跡を表現することを広くアートと認めてよければ、栗秋正寿展戸高雅史展を、たとえば東京都現代美術館で開催したら、今まで見たことがないような、画期的な展覧会になるに違いない。記録写真と、登頂のときに使ったピッケルの展示−なんていうのではなく、超高峰にいる感覚を再現するような展示。
−たとえば光の芸術家ジェームズ・タレルの装置のようなもの。高い吹き抜け空間全体を冷凍庫にして凍らせる。雪と氷と青白い光。そして上の展示室から下の展示室へ移動するには、こおった垂直の壁を命がけで降りてくるとか...
この人たちの空間体験・精神体験といったら並はずれたほんもので、それが伝えられたら素敵なことだろうと思う。

登山の世界と、美術の世界。どちらもその中におさまってしまうと、ちょっと息苦しい気がする。若い登山家たちがそのあいだを軽々と越えてみせないだろうか−というのが、山登りとアートをめぐる僕の夢。


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