街を歩いて美術展

1 1987年6月6日に安田火災東郷青児美術館で「パリ都市計画グランド・プロジェクト展」を見たこと
2 まれびとのむろほぎ
  2-1 まれびとのむろほぎの意味 / 2-2 まれびとの越後妻有アートトリエンナーレ2000/

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2 まれびとのむろほぎ

  2−2 まれびとの越後妻有アートトリエンナーレ2000

2000年に新潟県で開催された越後妻有アートトリエンナーレ2000の意味もおなじところにある。
ここでは、アーティストもディレクターもボランティアも観客も、まれびとであった。
総合ディレクターの北川フラム氏や、現代美術のアーティストたちや、支援するボランティたちがおおぜい行く。はじめ必ずしも地域の人たちに歓迎されていなかったのに、勉強したり、説得したり、コミュニケーションを繰り返していく。
その結果を見に行って、暑さにめげながらも僕はとても楽しくて満足した。あとで行った僕の友人たちも、新鮮な気分を味わい、なにか元気になって帰ってきた。それは多くの人に共通したことだと思う。
訪れた人のそうした気持ちは、住む人にも当然、反射するはずである。


自分たちが何百年も農業をやってきたところを、意味がないと日本は切り捨てたわけです。それが今回、田圃はいいとか、里山は美しいといって大勢の人たちが来てくれた。自分たちがずっとやってきたことを、みんながいいといってくれたわけです。彼らが一番喜んでいるのはそのことなんです。ぼくは、それが今回の最大の成果だと思っています。
( 「造景」 No.30 2000年12月 平良敬一との対談における北川フラムの発言) 


「まれびとのむろほぎ」が現代に再生する典型例といっていい。アートが社会にはたらきかける、アーティストがまちおこしに貢献するということの実り多い実例である。
国立美術館の独立行政法人化などに関して、入館者数だけでない評価基準を何に求めるかという議論があるが、このトリエンナーレでは、観客の数だけの基準ではない成果がよくみえている。(もちろん観客が多ければ、それだけアートが力をもつことになり、アーティストを認めること、アートを認めることという点でも大きな意味がある。観客数を評価すること、観客を増やそうとする努力をタブー視することはない。)

ここには「作品」を見に行くのではなく、 「 そこに置かれた作品 」 を見に行く、その場所も見に行くことになる。ここでしか意味をもたないアート。美術館に展示したら意味を失うかもしれないアート。
たとえば、中里村にクリス・マシューズの 「 中里かかしの庭 」 という作品があった。
それまでにもうカバコフその他、かかし形の作品を数点見てきたあとだったので、正直なところ、またかという感じになった。それでもまあ見て行こうかと田の中のあぜ道を歩いて行くと、そこはとてもきれいな田だった。鮮やかな緑の稲、用水の澄んだ流れ、その流れの中央に石を置いて右と左の田に水を振り分ける素朴なしかけ。その風景と響きあう数体の原色のかかし。
そのときまで広い妻有地域を車で走ってきたが、そこは美しい風景という点からすれば、むしろ条件のよくない場所だった。川と国道に挟まれた細長い田で、国道から見ると、かわりばえのしないただの農村風景であって、降りて歩いてみなければそんなに美しい世界が広がるとはとても信じられない。アーティストの最大の努力はこの場所の発見にあったのかとさえ思われる。いったん場を見つけだせれば、あとは単純な造形で十分とアーティストは考えたろうか。

ここでは都会のアトリエで制作したものをそのまま移動したかのような作品は精彩を欠いてみえた。
社会と関わらない、孤立した場での制作も否定はしないが、野外展やアーティスト・イン・レジデンスに参加するということは、地域の空気を吸い、生活や考え方の違う人と接触しながら、むしろそれを取りこんで制作することに意味がある。芸術至上主義、芸術のための芸術、「 人に理解されなかろうと、貧しかろうと、信念に基づいて孤立して制作するアーティスト 」 像などにひきずられてはいけないと思う。

アーティストが地域に外からの視点をもちこむのと同様に、異なる文化との接触がアーティストにも新しい経験をもたらす。だから 「 むろほぎ 」 とはいっても、地域との関わり、人々との関わりのなかで、アーティストが批判的立場に立って表現することもありうるが、それもまれびとの役割といっていい。招待されているのだからとか、公的団体の事業だからとかいう理由で表現を制約することはいけないし、そういう場面でこそ、アーティストの自立が守られるべきというのだろうと思う。

この事業の運営に批判があるが、それは議論して改善していけばいい。現代美術などほとんど縁がなかったような地域に種をまいたことは評価されるべきことと思う。それを見に行った人が感動して帰ってきたという、確かな事実もある。
越後から帰ったときには、すぐ次のトリエンナーレが楽しみになったものだった。

1987年に安田火災東郷青児美術館で「パリ都市計画グランド・プロジェクト展」が開催されたあと、1990年から1991年にかけて、横浜ガレリアほかで、その後のパリの状況を紹介する「芸術が都市をひらく」という展覧会が開かれた。
越後妻有アートトリエンナーレ2000では、「まれびとのむろほぎ」の伝統にしたがうかのように、山里の風景、そこに生きる人々の暮らしとアートが生かしあうことが証明され、「芸術が農村をひらく」ことの少なくとも端緒が実現した。(マルクスが資本主義のあとの段階で社会主義が成立すると想定したのに、ロシアや中国で実現したのに似ている?)
同じことが都会でもありえるだろうか?越後と横浜に同じことを期待するのは違うのかもしれないけれど、これから開催予定の横浜トリエンナーレでも、新鮮な気分を味わい、元気になって帰ってこられるといいと思う。


参考:
[ 越後妻有アートトリエンナーレ2000 ]
[ 駒ヶ岳から谷村美術館 ] 中の [ 発電所美術館+富山県まちのかおづくりプロジェクト


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