烏帽子岳から小山敬三美術館



2 小諸市立小山敬三美術館


長野県小諸市丁221(懐古園内)
tel.0267−22−3428


外を一周する

懐古園の脇の道を歩いて美術館に着く。
設計は村野藤吾
郷土博物館の、岩石を展示してある庭を抜けると、木立の中に美術館があった。
外をひとまわりしてみた。完成時の写真では細い木がひょろひょろしているだけで美術館の壁がよく見えていたが、今では枝と葉の茂みが建物をずいぶん隠している。
屋根と壁の色の組み合わせが南欧ふうでもあり、形はムーミンとか妖精とかが住む北欧のメルヘンふうとでもいえそう。不定形で、粗い質感の壁が覆っている。端で床が浮き上がり、屋根も壁に応じて不定形にのっている。
全体としてこじんまりとした大きさ。
反対側まで回り込むと、木立の間から千曲川の流れを見下ろす。
駅方面からは気がつかないが、川からは高い位置にある。


第1展示室

2つの展示室のうち、右の入口が第1展示室。
床に傾斜があって、奥へ下がる.
室内は全体としてはひようたんに近い形をしている。真ん中のくぴれあたりに仕切壁があり、その両面にも作品がかかっている。
突き当たりの壁の両側ほか数カ所に、外光をいれる仕掛けがしてある。壁面をずらし、その隙間を埋めるようにガラス戸を置いて光を入れる。
ガラス戸は開閉できるようになっているが、その外側に格子状の壁があるので、外との出入りはできない。
部屋の中の明るさは人工灯だけで十分であり、近づいてみて、ああ外からの光がある、外が見える−という程度で、谷村美術館で外からの光がすばらしい効果を生んでいたほどにはいきていない。
小山敬三の油彩画を展示してある。浅間山を描いた作品も数点展示している。






(屋根からの雨を受ける舌が壁から突き出している)


第2展示室

村野藤菩の子息、村野漾が設計して増築。(1989)
全体はなすの形。統一的な印象を崩さないように第1展示室にならった作りにしている。
水彩、コンテ、書などの作品のほかに、パレット、すずり、時計など、画家が使ったものを展示している。


遠くまで

小山敬三の娘さんがアメリカ滞在中に村野藤吾と懇意になっていた縁で、村野に設計が依頼された。
美術館は1975年に竣工。この頃、村野は84歳だった。若い頃なら過渡的な、実験的な意識があるかもしれないが、もうそういう年ではなく、規模が小さいにしても完成を目指したものと思われる。
この建築は毎日芸術賞を受賞し、建築評論家浜口隆−が絶賛といっていい批評をしている。

この建物は小さいし、設計者は長老である。にもかかわらず、賞が贈られるのは、その価値がきわめて大きいからである。(中略)
村野藤吾は本年85歳。建築における芸術性、表現性を熱心に追い求めて、数多くの名作をものしてきた巨匠だが、その彼にとっても、これは会心の作だろう。
(毎日新聞1977.1.1 館内にも抜粋が紹介されている。)

千曲川を見下ろす好立地に、木々に囲まれ、小さいながら愛すべき建築が完成していた。しかし、村野藤吾は「会心の作」 にとどまらず、もっと遠くまで行ってしまった。
8年後、92歳のときに谷村美術館を完成させている。谷村美術館を見たあとに来てみれば、この美術館は谷村に至る1つの通過点だったように見える。
谷村美術館の外形の自由な造形、うねる壁面で構成される作品1点ごとの展示空間、外の光を内部に取り入れる効果、そのように複雑なつくりをしながら空調などの性能を目立たせずにおさめていることなど。
もちろん平面の絵画作品と、立体の仏像彫刻という展示するものの速い、面積の大小という違いもあるが、その違いを生かして建築をつきつめたといえる。

それにしても、あとからみれば通過点にみえる美術館でさえ、当時、建築の批評家に大きな感激を与えるほどの質をもっていたことに驚かされる。80歳をこえる高齢になってもなお村野が高いところへの到達を志し、いかに遠くまでいったかに感慨を覚える。
谷村美術館の竣工の翌年に村野藤吾は亡くなっているが、なお生き続けていたらどのような建築に達したのか見たかったとさえ思う。
1つの達成に自足しないで、さらに先に行こうとする意志。未完成な僕らはなおのこと、どこまで遠くにいけるか努力をすべきだと、励まされるような、また厳しく叱られるような思いにとらわれもする。


参考:村野藤吾については、
[ 編笠山(八ヶ岳)から八ヶ岳美術館 ]
[ 駒ヶ岳から谷村美術館 ]
[ 角田山から新潟市(とその近郊)のミュージアム
[ 安芸小富士から平和記念資料館・ひろしま美術館 ]

小山敬三

1897 小諸に生まれる
1916 川端画学校 藤島武二に師事
1920 島崎藤村のすすめで渡仏 シヤルル・ゲランに師事
1922 マリー・ルイズ・ド・モントルイユと結婚
1928 帰国
1929 茅ヶ崎にアトリエ
1937-1938 再度、渡仏
1959 白鷺城の連作で日本芸術院賞受賞
1960 日本芸術院会員
1970 文化功労者
1975 美術館を建設し、作品と共に小諸市に寄贈 小諸市立小山敬三美術館開館
   文化勲章
1985 私財2億円を寄付し小山敬三美術振興財団設立
   小山敬三記念賞による画家の顕彰と、油彩画修復技術家の留学奨励
1987 死去

懐古園内の藤村記念館には、藤村の手紙が展示してあり、山本鼎(1882-1946)が小山を評して「直截なデッサン、重厚な筆致、寡黙な色彩、而して盤石の如く頑丈なマチエール」といったとある。



1 湯ノ丸山・烏帽子岳2 小諸市立小山敬三美術館/ TOP /