入笠山から (旧)富士見高原療養所・富士見町高原のミュージアム



2-1  (旧)富士見高原療養所     


JA長野厚生連 富士見高原病院
長野県諏訪郡富士見町落合11100
tel. 0266-62-3030
http://www.lcv.ne.jp/~kougen/


かつての富士見高原療養所。空気のきれいな八ヶ岳山麓に位置する、結核の療養所だった。
現在は経営がかわって総合病院になっているが、療養所当時の病室の一部と、ここに入院した作家や、ここを舞台にした映画の資料などが保存されている。

かつて堀辰雄とその婚約者、竹久夢二横溝正史などが入院していたことがある。
高原療養所を舞台にした久米正雄の小説『月よりの使者』は1934年に映画化されたが、ここでロケもされたという。
堀辰雄の原作をもとに製作された映画 『風立ちぬ』は、この病院が舞台になっていて、山口百恵と三浦友和が主演した。

療養所が文化的存在であったのは、当時の院長、正木不如丘(まさきふじょきゅう1887−1962)による。
正木不如丘は長野市の生まれ。本名は正木俊二。
東京大学医学部を卒業し、福島の県立病院院長、パリのパスツール研究所への留学、慶應大学医学部内科助教授を経て、富士見高原療養所の初代院長。
文化人との交流があったが、自身も小説を書き、その収入で療養所の経営を支えたという。

     ◇          ◇

このところ高崎の実業家で、群馬・高崎の文化の発展に大きな役割を果たした井上房一郎の足跡をたどっている。
失意の竹久夢二が伊香保で再起を決意し、榛名山美術研究所を設立しようと計画したとき、その計画を記したノートに、賛同人の一人として井上も署名している。しかし計画は実現することなく、夢二は結核のため、長野県の富士見高原療養所で亡くなる。
夢二が亡くなった療養所の病棟がまだ残っているということを聞いて、富士見に行こうと考えていた。

かつて僕が埼玉県立自然史博物館にいた頃、清里フォトミュージアムの所蔵品をお借りして、ヤマネの写真展を開催したことがある。その写真家、西村豊さんが富士見にお住まいで、展覧会が終わってしばらくしてから、西村さんにお会いしがてら富士見を訪れた。
西村さんの写真は高原病院にも展示され、病院長と親しくされていて、そのおかげでかつての高原療養所の中を見ることができた。

竹久夢二や堀辰雄が入院していた頃は、一面、こんな林が広がっていたろうかと思わせる木々の間を抜けていくと、奥まったところにかつての療養所の病棟が、一部、残っている。
階段を上がると、当時の病室が2つ、高原療養所のころの様子を伝えている。











狭い木造の部屋にベッドがひとつ。
今は、竹久夢二や堀辰雄や映画の資料がたくさん置かれているが、整理した状態で入院生活を送るには、なかなか簡素で居心地よかったように思える。
「大気療法」のために冬でも外気をたくさん呼吸するように戸を開け放っていたというから、この高原の土地にこの薄い木造のつくりでは、冬の寒さはほんとうに厳しかったろうと思う。
バルコニーの手すりがずいぶんいたんでいて、時間の経過を感じさせはするが、ほかに階段の窓のデザインなどを見ても、当時の富士見ではずいぶんモダンな印象の建物だったろうと思う。
ここで、回復のかなわなかったいくつもの悲しみがあり、回復したいくつもの喜びがあったはずで、しみじみとした想いを誘われる。


→[ 宝登山から埼玉県立自然史博物館 ]
  [ 飯盛山から清里フォトアートミュージアム ]






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