入笠山から (旧)富士見高原療養所・富士見町高原のミュージアム



3-2  尾崎喜八   
 ■■■■■ 関東大震災 


関東大震災が起きたのは1923年9月1日。

叙情的な作品世界が人気をえていた竹久夢二は、関東大震災により発足直前のどんたく図案社をつぶされる。やがて欧米を病身でさまよい、帰国後、富士見で亡くなる運命をたどることになるきっかけだった。
(11年後の9月1日に、富士見の高原療養所で亡くなっている。)

堀辰雄は関東大震災で母を失った。

尾崎喜八は、恋愛に反対され、1915年に父親との縁を切られていた。(その恋愛の相手の塚田隆子は、1919年にスペイン風邪で亡くなる。)
1923年に関東大震災が発生すると、父が住む京橋あたりが焼けていることをきいて、かけつける。
これを機に親子は和解し、1924年、水野栄子との結婚にあたって、父は息子夫婦に家を建ててやっている。

関東大震災は、そう遠くない時期の災害のひとつというくらいにしか意識していないのだけれど、このころを生きた人たちの記録をみていくと、さまざまに大きな影響を残したことに気づかされる。
大きな災害が起きたのだから、負の影響を残すことが多いのは当然のことなのだが、人間関係の回復の契機になることもあったわけだ。もちろん、それでさえ、同時に家が壊れ、家財を焼かれる被害ももちろんあったわけだけれど。



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