五頭山から水の駅「ビュー福島潟」と、映画「芦沼」を探す旅
/石油の世界館


(旧)新津市の4 石油の世界館 
   −かつて越後平野には油田があった

中野邸美術館に隣接
tel. 0250−22−1400
http://www.city.niigata.niigata.jp/info/naf/


石油に関する地質の説明や、地面を掘る機械などを展示している。


668年、「越国から燃土、燃水が献上された」と「日本書記」にある。
古くから石油が地表ににじみ出ているところがあり、くそうず(草水)と呼ばれていた。
近世には、石油採掘権が草水稼人に独占されていて、この代表的なものに柄目木(がらめき)の眞柄家があり、その近くには、新津油田開基の油井(煮え坪)が保存されている。

中野家は、越後国蒲原郡金津村で代々庄屋を勤めていた大地主で、1804年、中野貫一の曾祖父、次郎左衛門が草生水油(石油)採掘権を買い取り「草生水油稼人」となった。
明治になると中野貫一が近代的な石油事業に転換をはかり、1874年に借区開坑願を政府に提出して金津地区で開坑し、この地方の開発の端緒となった。

明治時代の越後には頚城油田、西山油田、東山油田、新津油田が存在したが、新津油田は新潟県新津市南東の丘陵地帯に分布する出油地帯の総称で、幅約6Km、延長16Kmの広い範囲にわたっていた。

中野貫一の石油事業は成功したが、しだいに産出量が減り、1989年から、新津市は実際に使われた石油の採掘・精製施設を産業文化遺産として後世の人々に伝えるため、一帯を石油の里として整備してきた。
1996年に新津市金津にある石油関連施設は稼働を休止、1997年から邸宅及び庭園が中野邸美術館として開放されている。


中野貫一年譜
1846 中野貫一生まれる
1874 試掘
1888 日本石油の創立に発起人として参画
1903 初めての商業規模の油田を掘り当て金津鉱場開発の端を開いた
最初の試掘から29年目
当時の2大石油会社であった日本石油及び宝田石油に次ぐ大産油業者に成長、明治、大正時代に「石油王」と呼ばれるに至った

1918 100万円の資金で中野財団を設立し、教育や社会福祉事業を始める。
1906 中央石油(株)を設立
1909 中野合資会社を組織
1914 中野興業株式会社に改め、石油、林業、土地開発等の事業を手掛ける
中野貫一は終生金津を離れなかった。日本石油、宝田石油が本社を大都市に移転させたことと対照的。

1917 新津の石油年産12万キロリットルで日本一(その後は減少)
1920 中央石油は日本石油に買収される
1928 死去

1942 中野興業が帝国石油に合併される
1989 新津市は実際に使われた石油の採掘・精製施設を産業文化遺産として後世の人々に伝えるため一帯を石油の里として整備

1996 新津市金津にある石油関連施設、稼働を休止
1997 邸宅及び庭園が中野邸美術館として開放




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