角田山から新潟市のミュージアム・2 天寿園

 
天寿園 瞑想館

新潟市清五郎633−8
tel.025−286−1717
http://www.city.niigata.niigata.jp/info/kouen/tenjuen.htm


華やかな中国庭園と、風情のある日本庭園、瞑想館、茶室、集会室などからなる。面積 1.6ha。
糸魚川で谷村建設を経営する谷村繁雄氏(谷村美術館のオーナーでもある)が、1984年、残留孤児を育ててくれたお礼として北京市に日本庭園を寄贈した。中国から、その返礼として、北京市園林局設計・施工により中国庭園が完成し、中根金作設計の日本庭園などを加えて、1988年に天寿園が開園した。

1995年からは、新潟市が購入して無料で開放している。
市に移管後、堂や門の瓦を、また中国から職人を招いて緑や黄色の瑠璃瓦(るりがわら)に葺き替え、ガラス窓の絵もかき換え、いっそう華やかになった。

天寿園の門を入ると、まず日本庭園があり、池の中に蓮の花が開くように村野藤吾設計の瞑想館がある。
勃起したペニス形の回廊を通って、女性器のような入口に入っていく。村野のおおもとのアイデアがどれくらい忠実に反映されているのかわからないが、93歳で亡くなった村野の、90歳ころの原案である。高齢になっても、「もっと若々しいのを作ってやる」−と語っていたという建築家にふさわしい造形といえるかもしれない。

内部は花びら状に4室あって、時期を限って絵画展などを開いているらしい。
部屋のしきりにドアがあり、そのドアをおさめるために木の枠が作られている。建物を造るためのごく普通の方法で作られていて、現実にかえってしまう。照明のとり方もやや繊細さに欠ける。瞑想館という名前から期待していた、深みに誘うような魅力が乏しい。

谷村美術館の設計案の1つであったものが村野藤吾没後に実現したのだが、模型を作って繰り返し作り替え、建設が始まっても現場で手直しをしたという、村野独特の方法からすると、生前の構想をもとに、村野が建築段階には関わらずに建築された瞑想館は、十分に村野の意識が反映されたとはいいがたい。
それでも、村野ならどうしたろうかと想像してみる楽しみがある。また、建築には、いかに細部が大事かということも、よく示してくれる。
村野が設計した建築は大事にされているというが、死後に完成させることまで行われる、幸福な建築家の最後といっていいし、あえてそこまでした施主や、建築に関わった人たちの熱意が、建築として実現していることに、感動を覚える。








奥に中国庭園がある。
僕は中国にも台湾にも行ったけれど、水辺にカラフルな中国風屋根があると、とにかく嬉しくなってしまうくらい、中国ふう庭園が好き。裏まで回れる滝、石の船、模様で埋め尽くされた四阿の柱や天井。
西洋の庭園がいいと感じるのとは別の、エキゾチックでありながら親しみがある。おおらかで、のどか。柳の新緑が美しい。
双還万寿亭で持参の昼食をとる。少しの間、昼寝をしたいところだが、寝るにはいい椅子ではない。
木々の向こうにサッカースタジアムがのぞくが、圧迫感を覚えるほど近くはない。
椅子にもたれたまま、そろそろ立とうか、もう少しこうしていようかと、ぐずぐずしている、怠惰な気分が、また、たまらなく心地よい。



参考:村野藤吾については
[ 湯ノ丸山・烏帽子岳から小諸市立小山敬三美術館 ]
[ 駒ヶ岳から谷村美術館 ]
[ 編笠山(八ヶ岳)から八ヶ岳美術館 ]
[ 安芸小富士から平和記念資料館・ひろしま美術館 ]

  



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