駒ケ岳から谷村美術館




谷村美術館


新潟県糸魚川市京ケ峰2−1−13
tel.0255−52−9277





目次
1 憧れの谷村美術館 / 2 観光名所ふう駐車場 / 3 アプローチ /
4 光さす明るい内部 /5 模型による設計 / 6 距離のこと / 7 展示室を出る /
8 なぜ、糸魚川に、熱海生まれの彫刻家・澤田政廣の作品を展示する美術館が、
  村野藤吾設計で作られ、谷村美術館というのか
 /
9 休憩所 / 10 澤田政廣年譜 / 11 村野藤吾・澤田政廣・中根金作の生没年 /



憧れの谷村美術館 1/11
谷村美術館の存在が最初に気になったのは、熱海の澤田政廣記念館に行ったときのこと。内外とも洞窟のようなイメージで、それが糸魚川の谷村美術館を参考にして熱海市建築課が設計したということなので、では原形の美術館はどんなものだろうと思った。
その後、何の本だったかで谷村美術館の写真を見ると、どろっとした曇り空を背景に、風変わりな形の建物が写っている。ふつうの現代建築のようなシャープな線がまったくない。中近東あたりの、土でつくられた迷路状住宅の一部のよう。
こんな美術館ありか!?と思ったものだった。
糸魚川は遠いけれど、その変わった地名にもひかれて、いつか行きたいと思っていた。



観光名所ふう駐車場 2/11
美術館は糸魚川中心部からやや外れた田園地帯にあった。田んぼが広がっていて、道沿いに家がぽつぽつ建っている、県道とか、市道とかいうくらいの、あまり広くない道を行く。
数台分の駐車場があって車を置く。「谷村美術館」と大きな文字看板がついたやぐらが立っている。地方の国道沿いで「甲州名物ほうとう」とか、「ランチ980円」とか見かけるようなやぐら。憧れて来た身には、このロケーションといい、やぐらといい、ちょっと大丈夫だろうかという気分に襲われる。(でも大丈夫だった。十分すぎるほど。)




アプローチ 3/11
和風の門があり、その脇に小さな小屋があってチケットを買う。
小屋の裏手に回り込むと、日本の神社や寺にあるような、瓦屋根をのせた細い回廊がある。写真ではわかりにくいが、回廊の壁は床から90度の直角に立ち上がっているのではなくて、床と壁が弧を描いてつながっている。床が壁に立ち上がっているような、あるいは壁が床に溶け込んでいるような。
前庭には木も大きな石もなく、石灰岩の砕石のみが敷かれて、無機的な乾燥した風景になっている。その向こうに異様な形が連続する美術館の建物がある。
じつにしょうもない連想が浮かんで自分で恥ずかしくなるが、昔のマカロニウエスタンの映画で、メキシコ人の悪漢たちがたてこもる砦のようだと思ったりする。屋上に銃を持ったひげもじゃの兵士がうろうろしていて、こちらから眉間にしわを寄せて、眩しそうに目を細めたクリント・イーストウッドがジャリ、ジャリと石を踏んで近づいていく...
(もちろん屋上は出て歩けるようには作られていないけれど。)
あるいはシルクロードの西の果てのほう、中近東の砂漠の中の家。あるいはアラブ地方の迷路状の土の家。
左手の松の木の日本的風情がかえって異質な感じに見える。



写真:右の回廊を行き、建物内を右から左に抜け、左手前方向にある休憩所に進む。




光さす明るい内部 4/11
回廊から美術館内部に入る。
窓のない、石のような外観から、なかは洞窟のように暗い、閉じた感じだろうと予想していたのだが、意外に明るいので驚いた。
澤田政廣木彫仏像10体が展示してあるが、四角い部屋にずらっと並んでいるのではなく、いびつな円形の1区画ごとに1体が、湾曲した壁面を背にして立っている。
作品には人工照明があてられているが、外からの自然光も穏やかに室内に導かれている。
光は壁のスリットから入っているが、直接目に入ることはなく、いったん壁に反射して柔らかい間接光にしてある。
外光は、上から降っていることもあり、横から射していることもあり、下から入っていることもある。

廊下にも直線部分はない。花びら状の部屋の連続にしたがって通路がひとりでに現れているだけ。通路を見渡すと生命体の内部のひだのようでもあり、ゆらゆら揺れ動くオーロラが描く線のようでもある。

熱海の澤田政廣記念館には、力強い作品、激しい造形の作品もあったが、ここでは仏像作品ばかりを展示していて、調和的で穏やかな様子をしている。
床には足に柔らかい絨毯が敷かれている。曲線の壁。静かに充ちている光。
外観の印象は強固な塊だったのに、内部はガッシリと遮るもの、ぶつかるもの、意識に強くひっかかるものがない。とらえどころのないような浮遊感に、幾らかのとまどいや、外観の印象をはぐらかされたような感じを覚えるほどに、茫洋として穏やかである。
柔らかい光に浮かぶ、慈愛の気分に満ちた仏像を眺める至福の時間が流れていく。

*谷村美術館に展示している澤田政廣作品は10点。
長い制作活動の初期から後期までの作品がある。
光明仏身 1936 
天彦(子供を抱く天使) 1944
曼珠沙華 1959
弥勒菩薩 1971
観音  1975
金剛王菩薩 1982 ほか4点。










模型による設計 5/11
絵画のような平面作品でもどうしてこんな作品を作り出せたのだろうと感動することがあるが、この美術館は3次元の空間である。どうしてこのような空間を構想できるのか、僕はほとんど圧倒されてしまったのだが、さすがにこれだけの空間を作るには、何も手がかりなしに、頭の中だけで考えているのではなかった。

村野藤吾は、設計にあたって模型を使って考えることを重視したが、この美術館の設計においても模型を常に枕もとに置いて、毎晩のように手を加えていたという。
しかも、図面を引き終われば完了というのではない。
骨組みを作る躯体工事がすんだ段階で、ベニヤ板にペンキ塗りして作った作品の模型を実際に置いて光の具合を確かめたという。その結果、ある部屋では高窓からの光にかげりを増すために窓に5本の小円柱を加えた。またある部屋ではトップライトから射す光を1枚の紗を張って抑えた。コンクリート壁を部分的に壊して立て直したところさえあるという。まさに「てづくり」の建築といえる。

村野藤吾は、そうした設計手法においても、完成した形態においても、モダニスムの建築家の批判を受け続けた。村野を肯定する建築家、批評家でさえ、「これが現代の建築か」という感想をもらしていることがある。

このあと休憩所で、建築にあたって作られた模型や、工事の写真などが置いてあるのを見た。
92歳の村野藤吾が、椅子に腰かけて設計の打ち合わせや指示をしている写真も残っている。
この美術館の開館が1983年。翌1984年に村野藤吾は亡くなっている。設計図にしたがって死後に完成したものもいくつかあるが、谷村美術館が現場で直接に設計監理をした最後の建築になる。
模型を使い、心ゆくまで検討を加え、「人間が生きる方向に沿った設計」をする。村野藤吾最後にふさわしい建築といっていいのだろうと思う。

どうしたら人間に対して、人間が生きる方向に沿った設計ができるかということ、これを終始一貫考えています。そのときどき、空間のとり方、空間の刻み方、連続の仕方、それから空間がどうつながるかということから、いろいろな材料を組み合わせて、その陰影が、その面から発するひとつの影がどうなるかということ、それからそのはしばしのこと、ものの切れめ、それと空間とのつながりというようなことを考えて、どうしたら人の心に良い影響が与えられるかということですね。(篠原一男との対談 新建築1966年5月)












(光の取り入れ口外部) 


距離のこと 6/11
村野藤吾の建築についての批評を読んでいて、単にできあがりの写真や図面で判断した割り切った批評をするのではなく、実際に歩いて見た道筋にしたがって建築が紹介されているのにいくつか出会った。こうして歩いていき、そのとき何が見え、次に何がどのように見えてくる−という言い方。
建築は実際に自分の体をそこに置かなくては十分な経験ができないことは、どの建築でもいえることだが、谷村美術館(及びその系列の他の村野藤吾の建築)ではとくにそれが著しい。
ここでは1室ごとに作品のために空間が作られているだけでなく、見る者のための空間も考えられている。かえってとらえどころがなくて幾らかとまどいを覚えるような印象は、そのためなのだろうと思う。
他の美術館とは空間の作り方が違っている。ここでは、作品が固定していて入れ替えがないという特殊な前提があって、部屋のなかでの作品と、それを見る者の位置と、光とを考えている。

たとえば距離の問題、光と距離、お客と距離、そうした測定ができていない建築が多いですね。たとえばスンドグラスがあるでしょう。その位置、色合いに加えて、見る人の距離の問題がある。しかもどこから見ても、自分がステンドグラスを入れたときのイメージ通りでなければいけないんです。(1984.7.9談 日本現代建築家シリーズ9村野藤吾 新建築社 1991)

ここでいう「ステンドグラス」を「彫刻作品」と置き換えてみれば、谷村美術館の設計にも同じことを考えていたことがわかる。




展示室を出る 7/11
展示室の外に出てみると。外壁の材料をそのまま地面に垂らしている。箱根樹木園休息所(1971)や小山敬三美術館(1975)からすでに前例のある手法で、建築が大地から生えるようにそうしているのだといわれている。
振り返って全体を眺めてみると、僕には宙から舞い降りたように感じられる。糸魚川に西域の住居のようなものが生えると考えるのは無理がある。
だからといって、たとえばル・コルビュジェの、ピロティで宙に浮いた建築はまさに重力を逃れて飛びそうに見えるけれど、この美術館はもう一度飛び上がることはなく、舞い降りたままここに根づいて見える。
外観も内部も異様だけれど、この美術館には、ものすごいもの、あっと驚かされるものを見るような膨らみきった期待をもって行くのではなく、穏やかな、慈しむような気持ちで近づくのがいいだろうと思う。すると、期待をはるかにこえる感動を与えてくれる。





なぜ、糸魚川に、熱海生まれの彫刻家・澤田政廣の作品を展示する美術館が、村野藤吾設計で作られ、谷村美術館というのか  8/11 
澤田政廣は熱海生まれ。関東大震災で糸魚川に疎開し、早稲田校歌(都の西北..)の作詞者、詩人の相馬御風と親交を結び、糸魚川を第2の故郷と考えていた。
糸魚川で谷村建設を経営する谷村繁雄(谷村美術館初代館長)は仏像彫刻のコレクターであり、仏像の代表作を集めた美術館を作りたいと希望していた澤田政廣と構想が一致した。
建築にあたり、澤田政廣が同じ日本芸術院会員である村野藤吾に設計を依頼した。
不定形の建物、図面どおりに作業が進行しない、現場でのやり直しが多い−という難工事を施工したのは谷村建設。

*糸魚川市内に、相馬御風記念館(糸魚川市一の宮 0255-52-7471)、相馬御風生家(糸魚川市大町2-10-1 0255-52-1511)がある。




休憩所 9/11
美術館をでて少し歩くと休憩所がある。
中根金作設計の庭園・玉翆園を眺められる。市街から走ってきた道の反対側にあった、名もないような小さな山を庭の借景にしている。
休憩所の中にはひすいのテーブルを置いてあり、台湾を旅行したとき、大理石地帯にこんな所があったことを思い出す。



*近くに同じ中根金作設計の翡翠園(糸魚川市蓮台寺 0255-52-0700)がある

*中根金作が設計した美術館の庭園:
足立美術館(1970-72)(島根県安来市) 0854-28-7111
陽光美術館 慧洲園(1980)(佐賀県武雄市) 0954-20-1187
ボストン美術館天心園(1988) 
天寿園(1988)(新潟市)  




澤田政廣 年譜 10/11
1894-1988(明治27-昭和63)
熱海の製材業の家に生まれる 本名寅吉
韮山中学を中退後、上京して木彫家、山本瑞雲に師事 太平洋画会研究所 
1921 第3回帝展「人魚」初入選
1924 第5回帝展「銀河の夢」特選
   東京美術学校彫刻別科に入学し、朝倉文夫に師事 1926卒業
1927 第8回帝展から3年連続して帝展特選 ブロンズが主流になっていた彫刻界で木彫で注目される
1951 第7回日展「五木之精」→ 1952芸術選奨文部大臣賞
1953 第8回日展「三華」日本芸術院賞
1962 日本芸術院会員
1973 文化功労者 1979文化勲章
日本の神話に取材したものが多い
高野山金剛峰寺金堂金剛王菩薩など、仏像や肖像彫刻も多い
1983 谷村美術館開館 パリで澤田政廣展
1986 世田谷美術館で澤田政廣自選展
1987 熱海市澤田政廣記念館開館
1988.5.1 死去




村野藤吾・澤田政廣・中根金作の生没年 11/11

1850 1900 1950        2000
1891 村野藤吾       1984         
1894            澤田政廣       1988
1917       中根金作    1995


参考:
[ 編笠山(八ヶ岳)から八ヶ岳美術館 ]
[ 湯ノ丸山・烏帽子岳から小諸市立小山敬三美術館 ]
角田山から新潟市のミュージアム
[ 安芸小富士から平和記念資料館・ひろしま美術館 ]
[ 岩戸山からMOA美術館 ]



| 駒ケ岳 | 谷村美術館 | 近くの美術館 1 百河豚美術館
| 2 発電所美術館+富山県まちのかおづくりプロジェクト | TOP |