大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ2000

大地の芸術祭 越後妻有(つまり)アートトリエンナーレ2000は、新潟県の6市町村(十日町市、川西町、松代町、松之山町、津南町、中里村)、762kuの広い面積に142人の作家の作品が置かれた大イベント。
2000年を第1回として、3年ごと(=トリエンナ−レ)に開催される。

このホ−ムペ−ジでは山を歩いて美術館に行くコースを選んでいますが、この芸術祭では、ひととおり作品を見るのに2泊3日かかりました。とても、「山を歩いてから、さあこちらも見よう」というような量ではないし、作品を見ること自体が、ひとりでにこの地域の豊かな自然を見て歩くことになるので、今回はこの芸術祭を1つのコースにします。

第1回は、2000.7.20−9.10開催。
* アートトリエンナーレ2000は終了し、一部の恒久設置の作品以外は撤去されました。このホームページに掲載している写真・文章は、記録の意味も込めてそのままにしていますが、すでに見られないものもあります。

*十日町市、川西町、松代町、松之山町、中里村は、2005年4月1日に合併して、十日町市になりました。
 津南町だけ独立しています。


参考:
大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ 公式ホ−ムペ−ジ
第1回の様子は [ 大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ 2000 ]
第2回の様子は [ 大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ 2003 ]
秋の様子は    [ 大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ 2003−秋 ]
冬の様子は   [ 大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ <雪景色> ]
参加アーティストの全リストは [ 街で開かれた美術展の記録 ]




目次
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作品がいいし自然がいい


広い地域に数多い作品があって、作品もいいし、その作品を置く自然もすばらしいところだった。
たとえば中里村の川原の田に クリス・マシューズ の作品「中里かかしの庭」がある。
一見したところ、単純な形の、赤やオレンジや紫のかかしが点々と立っているだけ。
ああ、こういう作品かと見たつもりになって急ぎ足で去ってしまえばそれきりだが、かかしが並んでいるのにしたがって田の中の道を歩いていくと、国道と川にはさまれて細長く続いている田の中央をきれいな水が流れている。その流れから、田の字状に区画されているブロックごとに水を分け入れるための細工にも気がつく。
そしてその水のおかげであざやかな緑色に育っていく稲の美しさ。
フラットな白い壁が現代美術の作品を引き立たせている眺めにはなじんでしまっているが、ここでは美術作品が自然の美しさと、その中の人の暮らしを引き立てている。
この逆転現象は、なかなか新鮮な経験だった。


松代駅の南側の田には イリヤ&エミリア・カバコフ が「米の実る里山の5つの彫刻」として同じような仕掛けをしている。
季節ごとの稲作りの作業のシルエットをカラフルなFRPで作って田の中に設置してあり、対岸の透明なスクリ−ンにはそれぞれの状景を説明するテキストが書かれている。
クリス・マシューズ の作品は、今を感じとらせるが、イリヤ&エミリア・カバコフ は、1年の流れや、さらに年々の積み重ねとしてのこの地域のこれまでの歴史までを思わせる。

(この近くの田で、緑の稲のあいだをきれいな赤いトンボと青いトンボが飛んでいるのを見かけた。詳しい人にきくと、ショウジョウトンボとオオシオカラトンボではないかという。夢を見ているようだった。)

カバコフ作品のすぐ近く、川に沿った空き地に白井美穂 「西洋料理店 山猫軒 」 があった。宮沢賢治の「注文の多い料理店」を現実に作ってしまったもので、注文にひっかけた言葉遊びの面白さを思い出す。
あれこれと注文が書かれたドアを次々にくぐっていくと、大逆転の予感に心がうきうきしてくる。楽しい。
原作では、最後のドアまでくると鍵穴から青い眼玉がのぞいているのだが、ここではちょっと違うのぞき穴がはめられている。



野外の作品展示を見る楽しみの1つは、その地に作品を作るためにそれぞれの作家がどう想像力を働かせたかを味わうことにあると思う。
中里村の信濃川沿いの河川敷には 磯辺行久 「川はどこにいった」がある。
黄色い杭を連ねて信濃川のもとの流路を描き、見る者までが想像力を積極的に働かせることを促している。


松代町の松代城址公園キャンプ場には 國安孝昌 の「棚守る龍神の御座」。丸太とレンガをらせん状に組み上げている。話や写真でしかこの人の作品を知らなかったのだが、初めて実際の作品の前に立って、迫力に圧倒された。
このボリュ−ムを計画の段階ではどこまで考えているのだろう。丸太を何本。レンガを何個。どこから始めて、どういう手順で組み上げたのかも見当がつかない。
若いボランティアの協力でできたのかと思ったら、シルバ−のボランティアと共同したというので、また驚く。






川西町の千手神社には、古郡弘 「無戸室(うつむろ)」。
土壁を作り、土壁に囲まれた切り株の上に木のおがくずを固めて柱を作り、緑の木を植える。
「ある特別な場所を作る」構築力にひかれて僕は前からファンだったのだが、今度の作品はいちだんと力がこもっている。もとは特に変わったところのない神社だが、古郡作品があると、地球上にここだけしかない、特別な意味がある場所だと思えてくる。
前に見た作品は北浦和公園に設置したものだった。秋になり、公園内の木々が紅葉していく。テラコッタの管を組みあわせた林が紅葉と競うように、あるいは協調するように、色が映える。当時、僕はひんぱんに北浦和公園を通りかかったのだが、そのたびにいいな、いいなと呟いて脇を通っていった。公園の利用者からは、こんな危ない、目ざわりなものは早く撤去するようにと抗議があったというが、僕はそこにあることに感謝したものだった。
もの・形を作ることによって「場」を作るのだけれど、色彩感覚もすばらしいもので、今度も土壁の赤い色と緑の葉の対照とがとても強烈に印象に残った。



対照的なのは中里村、ゆくらの原っぱの 片瀬和夫 「夜釣師」。小学生たちが拾い集めた川原の白い石を敷き詰めたうえに、黒く傾いた家があり、たった1つの窓から釣り竿がでている。
寡黙な白と黒の表現だが、背景にはもちろん緑の草の茂り。 
夜、寝床のなかで、「あの川原にあの作品が今もある」と、ときどき思い出して静かな気持ちになろうと思う。
片瀬和夫を見るのは渋谷区立松濤美術館で1993年に展覧会があって以来のこと。タレルカバコフを一度に見られる楽しみもあれば、片瀬のように久しぶりに見られる楽しみもある。







十日町から出発して、川西−松代−松之山−津南と逆時計回りに見て、6市町村の6番目に中里に行き、なかでもほぼいちばん南にある 北山善夫 「死者へ、生者へ」を最後に見た。
廃校になった小学校の分校が会場。小さな学校なので体育館と教室が一体で、体育館を教室が囲む構造になっている。

その体育館には竹細工が大きな龍のようにうねっている。そのまわりに、手のひらにのるくらい小さな木の椅子のミニチュアがたくさん天井から吊り下げられていて、ひとつひとつに羽根がついている。
大きい作品と広い風景を眺め続けてきておおざっぱになりかけた目が、小さな椅子と羽根に焦点をあわせたとき、しばらく忘れていたものを強引に思い出させられるようだった。
2階の教室にはたくさんの死亡記事のスクラップ。それぞれに、その死亡の情景をペン画に描いた紙が並べて展示してある。こういう想像力のはたらかせ方もある...

出会い、思い出、別れ、生と死。
校舎から不定形にうねる竹細工がとび出している。
大江健三郎の小説が描く谷間の村の伝説を思い出した。人が死ぬと魂がぬけでて、谷間の木のどれかの高い梢にとまる。しばらくとどまって、また谷間に新しい命が生まれるときに、その命に宿る−という。

2泊3日の充実した時間だった。この自然に、この作家たちに、この地域に暮らす人たちに、そしてまずこの企画をした人に感謝したい気持ちになった。


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