首里城 ( しゅりじょう) から 沖縄県立博物館


 2  ■ 首里城
 □ 御庭(うなー)・正殿(せいでん)のあかい色
 □ 首里森御嶽(すいむいうたき)の不思議な存在感
 □ 京の内(きょうのうち)は閉じているのに開いている
 □ 西のアザナはウィーンのモダンアート館のような
 □ 園比屋武御嶽石門(そのひゃんうたきいしもん)
 □ 守礼の門はあいにく改修中だった


■ 首里城
管理:沖縄県那覇市首里金城町1-2 (財)海洋博覧会記念公園管理財団 首里城公園管理センター tel.098-886-2020
http://oki-park.jp/shurijo_park/
http://www.wonder-okinawa.jp/001/index.html


首里城は、発端ははっきりしないが、14世紀ころから、1879年に明治政府に明け渡すまで、国王の居城だった。
那覇市内で最も高い弁ヶ岳(167.5m)に連なる標高約120m〜約130mの琉球石灰岩からなる丘陵地に築かれていて、北約4キロに浦添城があり、南西には那覇の市街や港を望む。
城壁は石灰岩の上に石積みが加えられている。

1879年から熊本鎮台沖縄分遣隊営所が置かれた。この間に荒廃し、取り壊し計画が起きたが、建築家・伊藤忠太(1867-1954)が保存を訴えたことが理解され、1923年に大改修が行われた。
第2次大戦では、日本軍の司令部が地下に置かれたため、アメリカ軍の砲撃を受け、地上の木造建築は壊滅し、城壁も崩れた。

1950年には、琉球大学がこの地に建ったが、復帰直前に東海岸の西原町に移転を開始。
1898年から1992年にかけて復元整備が進み、2000年には世界遺産に指定された。


□ 御庭(うなー)

歓会門から入り、瑞泉門、漏刻門、広福門、奉神門の5つの門を通って、中心部の広場、御庭(うなー)に入る。
東西に約40m、南北に約44mの広さを持つ台形状の広場を囲んで、正殿、南殿・番所、北殿、奉神門がある。
紫禁城のような中国の宮殿の様式を思わせる。

奉神門から入って、門を背に立つと、正面に正殿、右に南殿・番所、左に北殿になる。
正殿に向けてのびる浮道から、茶色の磚(せん)瓦が左右にストライプを描いて敷いてある。このストライプは、行事の際、人の配列、道具類の置き場所の目印にしたと考えられている。
広場・庭とストライプの結びつきから、ダニエル・ビュランがパリのパレ・ロワイヤルに作った白黒のストライプ模様の円柱を連想する。
あるいは、赤と白の組み合わせからすれば、御庭を分割して立てれば、新潟・万代島ビル前面広場の「道に沿ってどこかに、幾つかの色」になりそう。
http://www.pref.niigata.jp/kowankuko/gateway/bandaijimahp/tokucho/03.html

正面の正殿(せいでん)は、あいにく正面の大きな面積に、唐破風の塗装工事のためのビニールカバーがかかった状態だった。
NHKプロジェクトX「炎を見ろ 赤き城の伝説〜首里城・執念の親子瓦〜」で見た、瓦や窓の桟のあかい色に眺め入る。瓦のあかい色をだすために、沖縄各地の土を探し歩いたという。


右の南殿は展示施設になっている。
見て表にでると、さっきまで薄日がさすこともあったのに、風にあおれらて斜めに雨が降っていた。
このあとも、傘をさすほどではないが、ときおり雨がやってきた。


□ 首里森御嶽(すいむいうたき)

御庭から奉神門を出ると、「下之御庭」に首里森御嶽がある。石の庭に、塊のような森を作って聖地にしている。不思議な存在感がある。

□ 京の内(きょうのうち)

首里城発祥の地ともいわれる聖域で、神女たちによって家の繁栄や、航海の安全や、豊作が祈られたという。
城壁がうねり、道が蛇行し、壁と道の間に樹木が立つ。
いくつもの囲まれた空間が現れるが、完全に閉じてしまうのではなく、道が抜け、また上部に空が見えて、開いている。
囲まれている集中感、安心感。
完全に閉じてしまっていない開放感、抜けた感じ。
両方をみたしていることが、やすらいだ気分にしてくれて、ゆらりゆらり、道を巡っていくことがとても心地よい。



□ 西のアザナ

標高約130mの位置にある物見台。城内を見渡し、振り返れば那覇市街から港の方向を見晴らすことになる。
降りた道を回りこんで下から見返すと、ウィーンにある現代美術の展示館、MUMOKの塊によく似た形、量感をしていて、懐かしく思い出す。

西のアザナ MUMOK


□ 園比屋武御嶽石門(そのひゃんうたきいしもん)

守礼門後方に御嶽(うたき)があり、前に石門が築かれている。
石造で木造建築の門の形を作っている。
国王が外に出かける時、旅の安全を祈願したと考えられている。
創建は1519年頃といわれるが、沖縄戦で破壊され、1957年に復元された。
今はすぐ前を車道が通り、門から先に降りるとすぐフェンスがあって城西小学校の敷地になっている。
本来は通行の途中、こちらから歩いて行き、向こうに抜けていく1基点だったはずなのに、両側を寸断されて孤立しているのが惜しい。


□ 守礼の門

首里城にいくつもある門の中でも、いちばん有名な門だが、正殿と同じく、ここも改修中だった。



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