今帰仁城 ( なきじんグスク) から 今帰仁村中央公民館・海洋博公園

 ■ 海洋博公園
 2-2  □ 沖縄美ら海 (ちゅらうみ) 水族館


沖縄県国頭郡本部町字石川424
tel.0980-48-3748
http://www.kaiyouhaku.com/
設計:国建 2002


海洋博公園に入る。
今帰仁では、どこでもチラホラきり人がいなかったし、フクギ並木ものんびりしていた。
ここにきたら広い駐車場にたくさんの車が駐車し、人もいっぱい。大型バスのツアーも来ている。
しばらく人混みから遠ざかっていたので、気押されるようだった。

水族館の建物はコンクリートの柱組みが目立つ。
駐車場から歩いていくと、4階部分に導入部のホールがあり、水族館本体には3階から入り、しだいに降りていって1階で外に出る。
大斜面をエスカレータで上がって元の位置に戻ることになる。
崖の地形を利用して建っているので、入口側からは4階建ての大きな建物がそびえているような塊感はない。

海岸−沖合−黒潮−深海の順に構成して、沖縄の海の特徴である、黒潮・サンゴ礁・南西諸島の東西に位置する深海の様子を見せている。
入館料金は1800円で、高く感じたが、それだけのことはあった。
もともと水族館が好きで、どうしてこんなにたくさんの色や形や大きさをした生物が誕生したのだろうと、いつも驚かされるのだが、ここのボリュームはまた十分に見応えがあった。



1階の出口に出たあとは、エスカレーターで上がって4階のホールに戻る。




鮮やかな色の熱帯魚。
「サンゴの海」では90種のサンゴを飼育しているが、サンゴの大量飼育には豊富な太陽光と海水が必要なため、本土の水族館では難しいという。
アクリル大水槽に7mのジンベエザメや、ゆったりと泳ぐマンタ。
逆光に人が並ぶ。
写真撮影可なので、携帯のカメラをかざしてとる人が大勢いる。
大水槽の前のカフェも粋な配置で、海底でコーヒーブレイクしてる気分じゃないだろうか。

大水槽は、37m×27m×10mで、開口部は幅22m高さ7m。
水槽に使われているアクリルをブロック状にしたものが展示してあった。厚さ60cmと、数字でいうと実感がつかみにくいが、実物を見ると、確かにすごい厚さだと納得する。





(右の写真は、「サメ博士の部屋」。巨大サメ、カルカロドン・メガロドンのあごの模型では、口に呑みこまれて記念撮影するのがお約束。
埼玉県立自然史博物館






最後のほうに「海のプラネタリウム」と名づけられた部屋があり、ほとんど真っ暗な室内の壁面に深海魚が泳いでいる。
光の点が浮遊している。
(目だけ光らせて泳いでいる。)
不思議な眺めで、うっとり見とれてしまった。

(右の写真は、「海のプラネタリウム」ではないが、詩情がある。まるでジョセフ・コーネル Joseph Cornell(1903−1972)の箱。)




        ◇          ◇

海洋博のときには、槇文彦設計の水族館があった。
今は閉鎖されて現水族館の隣にあり、解体される予定らしい。
開催にあたっての基本構想では、海洋博の施設は「海洋博そのままの姿での後利用」ということが明記されていたのだが、建築物はずいぶんなくなっている。

公園内のやや南、「夕陽の広場」の先には、菊竹清訓設計の「アクアポリス」があった。発電所やごみ焼却炉などもあり、自給自足生活を送れるように作られていた。海洋開発のきっかけにしようと開催された博覧会を象徴する建造物だった。
海洋博が終了後も存続したが、観客が減って、1993年に営業終了。
那覇港に移設する計画も、台湾国営企業グループが投資して中国雑技団のショーやハードロックカフェなどを展開する計画も、失敗した。
広島で製作され、沖縄に運ばれ、最後は2000年に上海まで運ばれてスクラップにされた。

海洋博は1975年7月20日から1976年1月18日まで開催された。
1969年に佐藤・ニクソン共同声明があり、1972年に沖縄は返還されたのだが、返還より前に海洋博の開催は決まっていた。
海洋開発という経済的・政治的思惑があったわけだが、いかにも海洋開発の先端施設の形態をした「アクアポリス」は、海洋開発で摩擦を起こしている尖閣諸島の、その争いの相手方の国で解体されたのだった。



TOPこのコースのはじめに戻る次へ→