宝登山から埼玉県立自然の博物館



埼玉県立自然の博物館の長い長い歴史


秩父の地質に関することとしては、708年(慶雲5年)、武蔵国秩父郡で自然銅を発見、武蔵国府を通じて朝廷に献上し、年号が「和銅」にあらためられた−という続日本紀の記述にまで遡る。
江戸時代には、平賀源内が鉱物資源を求めて秩父山中に入っている。

1877年(m10)、東京大学に地質学科ができると、初代教授ナウマンは翌1878(m11)年に長瀞を地質調査。
さらにその翌1879(m12)には、東京大学地質学科の第1期生・小藤文次郎が卒業研究で群馬県甘楽郡下仁田町から埼玉県秩父郡長瀞町にかけての地域の地質調査をして、地質研究、地質見学の対象として長瀞の重要性が確立していく。
秩父鉄道が1901年に熊谷−寄居間が開通し、じょじょに延伸していくのにしたがって、長瀞・秩父方面への地質見学はますます盛んになり、地質研究者は必ず訪れるところになっていった。
1916(t05)には、盛岡高等農林学校(現・岩手大学農学部)2年生の宮沢賢治が秩父に地質見学旅行に訪れている。

以下の年表は、長瀞・秩父方面の地質調査に古くから欠かせない交通であり、社としても秩父鉱石標本陳列所をもった秩父鉄道の歴史と、埼玉県立自然の博物館に至る展示施設の歴史をまとめた年表である。



赤字:秩父鉄道の流れ
青字:埼玉県立自然の博物館にいたる展示施設の流れ
黒字:その他の関連する事項


708(慶雲5年) 武蔵国秩父郡で自然銅を発見 武蔵国府を通じて朝廷に献上
          年号を「和銅」にあらためた(続日本紀)
1877(m10) 東京大学に地質学科
1878(m11) 初代教授ナウマン、長瀞を地質調査
1879(m12) 東京大学地質学科の第1期生・小藤文次郎 卒業研究で群馬県甘楽郡下仁田町から埼玉県秩父郡長瀞町にかけて地質調査

1885(m18) 東京−高崎に鉄道開通
1888(m21) 小藤文次郎、世界で最初の紅簾石片岩(こうれんせきへんがん)の論文を発表 寄居町の玉淀ダム付近や、皆野町の親鼻橋付近の露頭にあることを報告

1901(m34) 上武鉄道が熊谷−寄居開通  
1901(m34) 東京帝国大学教授・神保小虎 「秩父にある美しき岩の皺と断層」
「我国の地質学者が一生に必ず一度は行きて見るべき」という書き出しで始まり、長瀞の岩畳などを記載し、長瀞が地質研究にとって豊富な内容をもった場所であることを説明している

1903(m36) 寄居−波久礼開通
1911(m44) 波久礼−金崎(皆野町)開通 宝登山駅(現長瀞駅)ができる

波久礼駅から皆野方面に走りだしたあたり。右から山が迫って、鉄道−国道140号−荒川が並行している。


1914(t03) 長瀞−秩父(当時、大宮)開通
荒川を渡るために線路を付け替え、荒川駅(金崎)廃止
(埼玉県立自然史博物館のすぐ前、長瀞駅に向かう道が、もとの鉄道の線路敷であり、今は桜並木になって春先にははなやかに咲きそろう=写真は秋)



1915(t04) 国神駅(現・上長瀞駅)開設 
廃止した金崎の駅の待合室の一部を使って、現在の養浩亭の地にあずまやを建て、遊覧客の便をはかった


1916(t05) 秩父鉄道に改名
1916(t05) 宮沢賢治 盛岡高等農林学校(現・岩手大学農学部)2年生
秩父に地質見学旅行 9/1-9

1917(t06) 秩父−影森開通

1921(t10) 秩父鉱石標本陳列所開設
養浩亭わきのあずまやのそばに松崎銀平が4坪ほどの小屋を建て自身の化石や岩石のコレクションを展示
   ↓
秩父鉄道が小屋を改築し、秩父鉱石標本陳列所を開設(現存しない)
松崎銀平のコレクション+神保小虎の指導+秩父鉄道社長柿原定吉のリード
   松崎銀平:秩父鉄道総務課長←宝登山駅長 地質の研究家 神保と親交
   神保小虎・東京帝国大学鉱物学教授が指導
   長島乙吉:神保と鉱物や岩石の標本を収集
   佐藤伝蔵:東京高等師範学校教授 神保に続いて陳列所を支える

秩父鉱石標本陳列所 現在の養浩亭


1921(t10) 学生旅館・養浩亭が開業(現埼玉県立自然史博物館の向かい側)
秋田鉱山専門学校 (現秋田大学工学資源学部) の教授・大橋良一なども毎年のように長瀞に学生を引率し、常宿として養浩亭を利用していた。
(養浩亭は今も開業中 長瀞町長瀞1446 tel. 0494-66-3131)

1921(t10) 行田市(当時、行田)−羽生開通 
北武鉄道は秩父鉄道に吸収合併される

1922(t11) 秩父岩石化石陳列所
神保小虎の薫陶を受けて化石研究会ができていたが、山田懿太郎、宮前治三郎らのコレクションを基に、秩父宮の宮家創設を記念して、秩父岩石化石陳列所を開所した。
金崎の梅乃屋旅館の旅館の母屋の東にわずか数坪の小屋であった。
(梅乃屋旅館は、鉄道が通って畑ができなくなったので旅館を開業していた。
現在も開業中 梅乃屋旅館 皆野町金崎171 tel. 0494-62-0217)



梅乃屋旅館 左の写真の戸袋のマーク

一般向けのガイドブック 「東京より日帰りの地質見学遊覧」 を発行した


1922(t11) 行田−熊谷開通 秩父鉄道の電化完成 (翌年SL引退)
秩父セメント株式会社創立。同年に起きた関東大震災で発展する。

1924(t13) 「名勝及び天然記念物 長瀞」指定 旧親鼻橋−高砂橋 約3.5km

1925(t14) 東京で第3回汎太平洋学術会議開催 会議後、長瀞に地質巡検があり、外国人地質学者が岩畳を訪れる。
秩父鉄道の諸井恒平社長が世界的にみても産出が少ない紅れん石片岩を含む結晶片岩の桐箱入り標本セットを贈る。

1930(s05) 影森−三峰口開通 (羽生−三峰口が全線開業 71.7km)

1943(s18) 秩父岩石化石陳列所閉鎖 
化石や岩石は秩父鉱石標本陳列所に寄付

1947(s22) 秩父鉱石標本陳列所復旧
戦前−戦中は運営が停滞。日曜日は開所したが、平日は長瀞駅長から見学者自身が鍵を借りて観覧。
終戦頃は荒廃状態だったが、故・藤本治義(東京文理科大学の地質学教授)が学術面での協力を申し出て、この年に復旧した。

1948(s23) 奥秩父学術総合調査 
秩父鉄道が費用負担 東京文理科大学や資源科学研究所の研究者が参加

1949(s24) 秩父自然科学博物館開館
   秩父鉱石標本陳列所+奥秩父学術総合調査の資料
   旧陸軍の建物の廃材で建設 木造平屋建て
   地質・植物・動物の3分野
   専任の学芸員配置
   中央に秩父山地のジオラマ 両翼に地質と生物の展示
   資料収集・調査研究・展示のほかに、
   長瀞の川原を中心とした見学会や講演会開催
   研究報告書1950-1978まで、18号発行


1951(s26)  棚橋源太郎らの尽力で博物館法制定される。
秩父自然科学博物館は法を先取りする施設として注目された。

1960(s35) 宝登山分室 山頂に野猿と鹿の自然生態園がつくられたのにともない開室

1981(s56) 埼玉県立自然史博物館 開館
秩父自然科学博物館の土地に、資料を引き継いで県立の施設として再出発
前川国男設計で建築

1988(s63) SLパレオエクスプレス号運転開始

上長瀞駅を走り抜けるSL

1993(h05) 「日本地質学発祥の地」 記念碑を建立。書は埼玉県知事 土屋義彦。裏面に「由来の記」が刻まれている。

 荒川が刻んだ景勝地長瀞は、広い岩畳や色とりどりの変成岩がみられ、早くも大正十三年には国の名勝・天然記念物に指定された。
 ここに分布する変成岩は、三波川結晶片岩と呼ばれ、西日本地域にかけて帯状に分布しており、日本列島の根幹をなすものである。
 明治十年東京大学に地質学科が創設され近代地質学が初めて日本に導入されると、翌年には初代教授ナウマン博士が長瀞を調査している。以来長瀞一帯は、我が国地質学上の重要な研究拠点となり、多くの地質学者を育てて、日本地質学発祥の地と言われるようになった。
 彩の国元年である本年は、日本地質学会が発足して百周年を、さらに長瀞町が町村合併五十周年を迎えた。折しも、由緒あるこの長瀞の地に、天皇・皇后両陛下が行幸啓された。
 これらを記念して、「日本地質学発祥の地」の碑をここに建立する。
     平成五年十二月
        埼玉県
        長瀞町

2006(h18) 「埼玉県立自然と川の博物館」が開館。
       「埼玉県立自然の博物館」と「埼玉県立川の博物館」とで構成される。


参考:
「秩父地方の地質研究史(1)−E.ナウマンのことなど−」 須藤和人、伊古田槌恵、杤原義雄、渋谷紘 地学教育 163号 1983
「秩父地方の地質研究史(2)−神保小虎のことなど[その1]−」 同上 地学教育 166号 1983
「秩父地方の地質研究史(2)−神保小虎のことなど[その2]−」 同上 地学教育 166号 1983
「秩父地方の地質研究史(3)−藤本治義博士のことなど[その1]−」 須藤和人、西田四郎、猪山健、渋谷紘 地学教育 170号 1984
「秩父鉱山と平賀源内」 猪山健 自然史だより 1号 1985
「地質学発祥の地 長瀞 その昔をたずねて」 坂本治 自然史だより19号 1992
「埼玉大学教授 堀口萬吉先生講演 「秩父の地質研究100年」の紹介」 町田瑞男 自然史だより 22号 1993
「長瀞町史 長瀞の自然」 長瀞町 1997
秩父鉄道
長瀞町 



ほかに国内で早い時期からあった自然系博物館には、次のようなところがある。
(全国の博物館には、埼玉県立自然史博物館と同様、形態や名称がかわって引き続いているものがあって捉えようが難しく、古い順に網羅してあるわけではない。)


国立科学博物館
1871(m04) 文部省博物局の観覧施設として湯島聖堂内に博物館を設置
1872(m05) 文部省博物館の名で初めて博覧会を公開
1875(m08) 博物館を「東京博物館」と改称
1877(m10) 上野、西四軒寺跡(現東京芸大の位置)に新館が一部竣工、東京博物館を「教育博物館」と改称。(この年を創立年としている)
1889(m22) 高等師範学校の附属となり、高等師範学校に隣接する湯島聖堂構内に移転
1914(t03) 東京高等師範学校から独立し「東京教育博物館」となる
1923(t12) 関東大震災により、施設、標本のすべてを消失
1930(s05) 上野新館(現本館)落成
1949(s24) 文部省設置法により「国立科学博物館」設置
1972(s47) 新宿地区に分館庁舎が完成 自然史科学研究部門が新宿分館に移転
1976(s51) 筑波地区に「筑波実験植物園」設置
1977(s52) 開館100年記念式典
1999(h11) 上野の新館(T期)常設展示公開
2001(h13) 独立行政法人国立科学博物館となる
(独立行政法人国立科学博物館要覧2001から抜粋)

秋田大学工学資源学部付属鉱業博物館
1910(m43) 前身の秋田鉱山専門学校に列品室
1941(s16) 焼失
1951(s26) 鉱山博物館として再開

山形大学付属博物館
大正時代 山形師範学校(現山形大学教育学部)に博品室
1929(s04) 郷土室
1978(s53) 山形大学付属博物館

斎藤報恩会自然史博物館 
1933(s08) 開館 のち戦災で焼失
1951(s26) 再開
1976(s51) 現在地に再開館
→[蕃山から仙台のミュージアム] 参照

大阪市立自然史博物館
1950(s25) 大阪市立自然科学博物館として開館 市立美術館に間借りしたり、旧小学校の建物を利用したりして実績を積み上げてきた
1974(s49) 現在地に移転し、改組、改称

東京大学総合研究博物館
1966(s41) 東京大学総合研究資料館開館
1996(h08) 東京大学総合研究博物館

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