ポンポン山から遠山記念館



 3−2  吉見百穴・岩窟ホテル (吉見町)


■吉見百穴

東松山駅から徒歩30分
埼玉県勤労青少年フレンドシップハイツから徒歩40分
吉見町ホ−ムペ−ジ
 http://www.town.yoshimi.saitama.jp/


凝灰石の丘陵斜面に作られた古墳時代後期の横穴墓群。
明治中期に大発掘が行われて、人骨、玉類、金属器、土器などが発見され、土蜘蛛人(コロボックル)の住居だとされたが、大正末期に否定された。
戦時中はいくつかの横穴を破壊して、飛行機の部品を製造する軍需工場となった。今も、小型のトラックが走り抜けられるほどの大きさの通路が一部に残っている。
横穴は現在は219個ある。
いくつかの横穴にはヒカリゴケが自生し、関東平野にあるのは植物分布上きわめて貴重で、天然記念物に指定されている。
 







■ 岩窟ホテル


東松山駅からは、吉見百穴に向かって、そのすぐ手前、市野川に近いところにある。
リバーサイドのリゾートホテルのような立地だが、実際に泊まれるホテルではない。
吉見百穴から千数百年後、明治から大正にかけての頃、高橋峰吉(1858−1925)という農民が、ノミとツルハシで垂直の崖を掘って、ホテルというか、邸宅というか、広い空間を生みだした。「岩窟掘ってる」と近所の人たちがいったことから、「岩窟ホテル」になったらしい。
切り立った垂直の崖がホテルの正面になっている。

46歳で掘り始め、67歳で亡くなるまでの21年間、掘り続けた。
自分の代だけでは構想が完成しないのを予期していて、実子2人が亡くなったため、養子を得て、その養子が事業を引き継いでいた。
人気になって多くの人が訪れるようになったが、その入場料収入を得る目的で始めたとは思えない。
少なくとも近くにある吉見百穴が、こういう思いつきの理由の1つではあるのだろう。
 







1977年に台風の影響などで崩落があり、以後、閉鎖され、今は鉄条網つき金網が敷地を囲んでいる。
金属製で、飾り模様がついた手すりがはめられたバルコニーが、外から見て唯一のそれらしい跡として見えている。

閉鎖になる前にきて入ったことがある。
いくつかの部屋を、それよりやや狭い通路が結んでいたように思う。ほとんど岩がむき出しのままで、内装がしてあったりするわけではなく、いかにも岩窟であった。テーブルや花瓶など、大きめの調度品はあるのだけれど、あとから作って置くのではなく、掘るときにたとえばテーブルになるように残して掘ってあって、そのエネルギーはすごいものであった。

吉見百穴と同様、一部が軍需工場として使われようとした跡と思われる広い通路があり、その闇に驚かされたことが記憶に残っている。
明るい側の光は見えているのに、振り向いて闇の奥に向かうと、視線のとどまるところがなくて、茫洋としてしまい、闇を見ている自分の目から、頭の中に闇が侵入してくるかのようだった。

奇想のアート作品というのがあって、視覚的に、おお!と思うことがあるけれど、奇想の建築というのは、その中に入って、歩き回ってしまえるところがすごい。まるで奇想を思いついた人の脳の中を覗いているような気分にさえなる。

フランスの郵便配達夫シュヴァル(1836−1924)が33年かけて造った理想宮が、保存され、今も多くの人が訪れているように、ここも何とか保存されるといいと思う。
 


村上健司 奇想建築、岩窟ホテルを探検する 「日本怪奇幻想紀行 六之巻 奇っ怪建築見聞」所収 同朋舎 2001
岡谷公二 郵便配達夫シュヴァルの理想宮 作品社 1992
毛綱毅曠 七福招来の建築術 造り、棲み、壊すよろこび 光文社1988




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