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 7  出雲 ・ 松江の旅
7-2    カラコロ工房   


■ カラコロ工房(旧日銀松江支店)
松江市殿町43
tel. 0852−20−7000
http://www.city.matsue.shimane.jp/shoukou/karakoro/

博物館などが集中している一帯から、5分ほど歩いて、昼食にした。
もと日本銀行松江支店。1938年にできて、設計は日本銀行管理部+長野宇平治。
改装されて、レストラン、ショップ、工房などが入っている。
近くにある松江大橋は、かつて木橋で、小泉八雲が、そこを渡る人のカラコロという下駄の音に心をひかれていたことから名づけられている。

明るくて、しかも落ち着けるインテリア。
まずパンがでてきて、一口食べたときのカリっとした口あたり。
香ばしいかおりも忘れがたい。
暮らしの中で、もやもやしたことがあっても、川に沿った道を散歩してきて、こんなレストランで食事したら、心があらたまり整いそうな気がする。近くにこういう場所がある生活がうらやましい。





*付−「カラコロ」がわからなくなったこと

カラコロ工房があるし、ほかにもカラコロ広場というのがあるし、松江では小泉八雲=カラコロという結びつきが馴染まれているようだ。
ふと、小泉八雲がどういう文章を書いていたのだろうかと疑問に思ったら、泥沼に入ってしまった。
出典となる文章は何か?

カラコロ工房に問い合わせると、文章ではなく、そう語ったと言い継がれているのではないかという。
小泉八雲記念館にきくと、『小泉八雲・松江』(松江観光協会 小泉八雲記念事業実行委員会 1974)という冊子を教えられた。
この本を図書館で借りてみたら、確かに、表紙にそれらしい文章が書かれている。

どうしても忘れられぬ音だこのカラカラと大橋を渡る下駄の音は−−速くて陽気で、調子よく、まるで大舞踏会の足音だ。

これは、松江市内の小泉八雲ゆかりの土地と、その地にふれた八雲の文章を対比させてのせている案内書だった。
本文の「松江大橋」の項には、こう記されている。

宍道湖の河口に架けられ、全長134メートル、幅12メートル、欄干は総ミカゲ石、擬宝珠は遠所美術鋳造所製。八雲は松江大橋からみる大山を絶賛している。また、この橋の様子を「どうしても忘れられぬ音だ、このカラカラと大橋を渡る下駄の音は、早くて、陽気で、調子よく、まるで大舞踏会の足音だ」と語っている。

肝心のカラカラの部分は、「と語っている」というだけで、出典がない。
しかも、カラカラであって、カラコロではない。
表紙では、どこかに書かれた(印刷された)ものを撮影でもしたかのようにデザインされているが、本文と一部違っていて(読点があったりなかったり、「速くて」と「早くて」と文字が違っていたり)、ヘンだ。

八雲が書いたのがはっきりしているなかで、いちばん近い文章では、次のようにある。

大橋の上をわたるこの下駄の音は、忘れられない音だ。−−ちょこちょこと足早で、ほがらかで、音楽的で、なにか大がかりな舞踊に似ているところがある。
(『日本瞥見記(上)』第7章 神々の国の首都 平井呈一訳 恒文社 1975


こうみてくると、八雲と「カラコロ」とは直接には結びつかないのではないかと考えるようになった。
小泉八雲は、自分の言葉で「カラコロ」とは、書いても、言ってもいないのではないか。
1850年、39歳で来日し、1904年、54歳で亡くなるまで日本に暮らしながら、八雲の日本語は片言ていどだったらしい。まして松江に暮らしたのは日本生活のごく初期だった。下駄の音を気に入っていたのは確かとしても、それを日本人の側で「カラコロ」という擬音語をあてはめて受けとめたのではないか。
『小泉八雲・松江』では「カラカラ」になっているのも、そのためではないだろうか。
公園や、工房の名前に使おうというときに、カラカラでは下駄の音らしくないとか、ローマの風呂のようだとかいう意見や判断があって、カラコロにしたのでないかと思う。

確かな根拠はないが、このへんのいきさつをご存じの方があったら、お教えください。
(2004.1.17記)




上記の文章に対して、小泉八雲記念館の顧問でもある、島根県立島根女子短期大学の小泉凡助教授からとても参考になる資料をお送りいただきました。
内容はおよそ以下のようなものでした。


1 松江大橋を渡る下駄の音に関する小泉八雲の原文は次のとおり。

It is a sound never forgotten,this pattering of geta over the Ohashi−−rapid,merry,musical,1ike the sound of enormous dance;
("The Chief City of the Province Of the Gods" Glimpses of Unfamiliar Japan 邦訳:「神々の国の首都」『知られぬ日本の面影』)


”PATTER”の意味は、[パラパラと降る。パタパタと音をたてる。パタパタと小刻みで走る。]であること。


2 邦訳がいくつかある。

■落合貞三郎訳(『小泉八雲全集』第一書房)
(カラカラと下駄の音が、漸次高く響いてくる。)大横の上で下駄の鳴る音は、何うしても忘れられない−−速くて、陽気で、音楽的で、盛んな舞踊の音のようだ。

■平井呈一訳(『小泉八雲作品集』恒文社)
 大橋の上をわたるこの下駄の音は、忘れられない音だ。−−ちょこちょこと足早で、ほがらかで、音楽的で、何か大がかりな舞踊に似ているところがある。

■森亮訳(『小泉八雲名作選集』講談社学術文庫)
 大橋を波る下駄の響ほど忘れがたいものはない。足速で、楽しくて、音楽的で、大舞踊会の音響にも似ている。


■梶谷泰之訳(『小泉八雲・松江』松江観光協会)
どうしても忘れられぬ音だ、このカラカラと大橋を渡る下駄の音は、早くて、陽気で、調子よく、まるで大舞踏会の足音だ。



3 参考に平塚運一作の歌に次のものがある。

  
口笛のよくなる日なりカラコロと松江大橋渡りけるかな

     ◇          ◇

小泉八雲の原文にも翻訳にも「カラコロ」がないとすると、「公園や、工房の名前に使おうというときに、関係者の判断でカラコロにしたのでないか」という僕の推測は間違っていないようだ。ただ、いつ、どういう場面で最初に「カラコロ」が使われ、それが小泉八雲が語った言葉として伝わっていったかは、わからない。
インターネットの検索エンジンで「カラコロ」を検索すると、「小泉八雲−カラコロ」を結びつけた記述を含むホ−ムペ−ジがたくさんでてくる。伝説の広まりの1つの例証をみるようだ。

     ◇          ◇

平塚運一は松江生まれの版画家。1895−1997。
松江市役所に勤務したこともあるが、石井柏亭に出会って画家を志し、上京。1916年「出雲のソリツコ舟」で二科会に初入選。1920年ころには、山本鼎の自由画運動・農民芸術運動に参加した。(たぶんこの縁で、長野県須坂市に須坂版画美術館・平塚運一版画美術館がある。)1962年からワシントン住。多くの裸婦像を作った。

     ◇          ◇

小泉先生から送っていただいた資料で、小泉八雲が日本の文化を耳でとらえたことの意義、さらに音と文化の関係ということについても教えられた。
感謝申し上げます。
(2004.2.24記)



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