弥山・出雲大社から手銭記念館・松江北堀美術館
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 7  出雲 ・ 松江の旅
7-3    入沢康夫  


1931年、松江市に生まれた詩人・入沢康夫(いりさわやすお)は、売布(めふ)、売豆紀(めつき)、阿羅波比(あらはい)といった、『出雲国風土記』の頃からの古い神社の不思議な名前に、「幽り世(かくりよ)」への憧れを刺激されたという。
出雲や松江に関わる詩をいくつか書いているが、『わが出雲 わが鎮魂』(1968年)は妙な詩で、詩人が自分で記した詳細な註がついている。しかも註が本編よりはるかに字数が多く、出雲の地理や神話を説明したり、引用の種明かしをしたりしている。
くにびき神話を念頭において、詩の冒頭に「出雲/よせあつめ 縫い合された国」という一節があるのだが、註をみると、詩自体が言葉やイメージのよせあつめであることが示される。

「ああ、見よ」以下の一節は、萩原朔太郎の「パロディ」であると明かしている。

ああ、見よ。わがふるさと、十余年ぶりの。だが、ここにも、直として、数多の道路の新開し、家々は軒を高くしあざとい夢のかけらで、その軒々を飾り立てている。思惟を返すどころのいとまもなく、月並みの感傷にふけるゆとりもなく、親友の魂(たま)まぎに乗り出さねばならない。

その「パロディ」のもとの詩は、朔太郎が前橋でうたった『郷土望景詩』 (1925年) のなかの1つの詩−

小出新道 

ここに道路の新開せるは
直(ちょく)として市街に通ずるならん。
われこの新道の交路に立てど
さびしき四方(よも)の地平をきはめず
暗鬱なる日かな
天日家並の軒に低くして
林の雑木まばらに伐られたり。
いかんぞ いかんぞ思惟をかへさん
われの叛きて行かざる道に
新しく樹木みな伐られたり。


松江と前橋のイメージが重なり合って、おもしろい。
『わが出雲 わが鎮魂』 には、こういう仕掛けがたくさんある。

また、神の国に至ろうとして神の怒りにふれ崩壊したバベルの塔と、あまりに高く作って何度も転倒したという出雲大社のイメージを重ねてもいる。

          ◇          ◇

『いつまでも どこまでも(松江讃歌)』という詩には、曲がつけられ、演奏される。
その一節。

ふるさとよ
松江よ
あえかな 白い睡蓮の花よ
咲き匂え
どこまでも どこまでも
誇らかに
いつまでも いつまでも
清らかに

こんなふうにうたわれたら、都市もそれにふさわしくなっていきそうだ。

 


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