岩戸山からMOA美術館


3 MOA美術館

住所:静岡県熱海市桃山町26−2
    熱海駅からバスMOA美術館行き8分 or駅から徒歩30分
電話:0557−84−2511
開館:9:30−17
休館:木曜日(祝日は開館) 年末・年始


この美術館のコレクションはたいそうなもの。尾形光琳「紅白梅図屏風」だけでも、文章がいっぱいある。ここでは、エスカレ−タ−バックギャモンについて。


エスカレ−タ−のこと

初めてこの美術館に行ったとき、まず驚いたのは長い長いエスカレ−タ−だった。狭いエントランスの切符もぎりを抜けてから乗ってみると、ずっと上まで続いている。未来映画の一場面のようなきれいなチューブの中を上がっていく。上がりついたところに、コンピュ−タ仕掛けでレ−ザ−光線と音楽のショ−が上演される広場がある。(毎時0分から7分間、「オ−ロラサウンド」が上演される。)
宗教組織の美術館だから、宗教的上昇感覚の演出だろうかと思ったりしたが、そういうことではなかった...

MOA美術館開館までの概要は次のようなもの。
1947頃− 世界救世教の創立者岡田茂吉が、戦後の混乱や税制の改正で美術品が流通した頃に多くのコレクションをした
1952 箱根美術館開館 (0460-2-2623)
箱根は冬には人が行かないところなので、紅葉の時期が過ぎると休館し、桜の季節にまた開館していた
1955 創立者岡田茂吉死去
1957 熱海美術館開館 救世会館の空き部屋を改造した粗末な美術館だった
1982 新たな建物が完成し、MOA美術館として開館

1982年の新館の完成までは計画から10年かかっている。もとはみかん山で、トラックが通れるように林道を改修・舗装し、下水がなかったので下水道も作った。
山の麓に3500人程度が入れる救世会館があり、行事の終了後、いっせいに来館することがある。美術館は救世会館より50m高い位置にあり、エレベ−タ−では輸送能力が落ちるので、短時間に多くの人を移動させるにはエスカレ−タ−しかない、ということでエスカレ−タ−計画が決まった。
ところが国立公園があるので、地下に作ることにしたが、トンネルを掘るには上が浅すぎるので、一度全部山を切り開き、エスカレ−タ−を作ってからまた埋め戻して植樹した。掘った土が大量なので、埋め戻す前に大雨でも降って流れ出すと大災害になるので、その手当てもたいへんだったという。
設計について、本館=竹中工務店、エスカレ−タ−通路=鹿島建設と分けているという記録をみたことがあって、エスカレ−タ−だけ別なことを不思議に思っていたのだが、なるほどそれほどの難工事だったと納得した。

*工事については、「美術館と語る 日比野秀男編 ぺりかん社刊 1999」中の、吉岡庸治MOA美術館長との対談による。


バックギャモンのこと

所蔵品による「近世の遊楽」という展覧会を見たことがある。
その中で、江戸17世紀の「野外遊楽図屏風」では、若い女性2人が盤双六(ばんすごろく)の対戦をしていて、小さな女の子が横にいる。小さな子に盤双六のル−ルを教えているのか、退屈した女の子が別のことをして遊ぼうよと話しかけているのか。
やはり同じ江戸17世紀の「士女遊楽図屏風」では、長い碁盤や将棋盤での勝負の様子が描かれ、その向こう(画面上方)で若衆が盤双六をしている。

盤双六はボ−ドゲ−ムで、起源は古く、メソポタミアの遺跡にその絵があるという。日本には中国を経て伝わったといわれる。
日本でかつてはとても盛んだった例をいくつか拾ってみる。

・ 日本で最初の盤双六にかんする記録は、盛んになりすぎた結果の禁止令だった。
     持統三年(689年)十二月丙辰、禁断雙六。(日本書紀)

・ 徒然草

第110段 双六の上手
双六の上手といひし人に、その行を問ひ侍りしかば、「勝たんと打つべからず、負けじと打つべきなり。いづれの手かとく負けぬべきと案じて、その手を使はずして、一目なりともおそく負くべき手につくべし」といふ。
道を知れる教、身を治め、国を保たん道も、またしかなり。

第111段 囲碁・双六を好む人
「囲碁・双六を好みて明かし暮らす人は、四重・五逆にもまされる悪事とぞ思ふ」と、あるひじりの申ししこと、耳にとどまりて、いみじくおぼえ侍る。

・ 松尾芭蕉(1644-1694)の句
   すごろくの 目をのぞくまで 暮かかり(ひさご・花見の巻)

 ・ 有名な歌のパロディもある
    駿河なる 宇津の山辺の うつつにも 夢にも人に あはぬなりけり
       (伊勢物語)

   すごろくを 打つの山辺の うつつにも 夢にも一つ かたぬなりけり
       (加保茶元成 『徳和歌後萬載集』(四方赤良編)


MOA美術館に限らず、絵に描かれたものは多い。対戦の場面だけでなく、盤と駒と双六だけが大きく描かれているものもある。
もちろん盤自体が工芸品としてもすぐれたものがある。
名古屋の徳川美術館では、徳川家で使われたひなまつりセットが幾組かあるが、碁盤、将棋盤、双六盤が必ずセットになっている。雛祭り用だから小型だけれど、きっかりとした蒔絵の装飾が施されたもので、葵の御紋入り。(碁盤、将棋盤、双六盤の3面は嫁入り道具だったという)
徳川幕府は、庶民向けには何度も禁止令をだしておいて、自分たちはゲ−ムを楽しみ、子供たちの雛壇にまで飾っていた!
最高のできばえのものは正倉院にあるというが、まだ見たことがない。特別公開のときにしか見られない。


今では盤双六は生活の中にはない。時折あちこちの歴史系博物館で昔の遊びの紹介として、手作りの盤が用意され、遊び方の実演などが行われている程度。
しかし、国際的にはバックギャモンとしてとても盛んで、パソコンの標準装備のゲ−ムにも含まれていたりする。かつてギリシアの片田舎で、日本の碁会所のようなところで老人がのんびり対戦しているのを見たことがある。

ゲ−ムは、向かい合った2人が対戦する。
サイコロを使うが、「1回休み」とか「ふりだしにもどる」とかいう絵双六とは全く異質なゲ−ム。
それぞれ15個の駒をもち、2個のさいころを交互に振って駒を進め、早く自陣に駒を集め、早くあがったほうが勝ち。たださいころの目の数を進めるだけでなく、とったり、とられたり、早く進めるか、敵陣に粘って逆転を狙うか、といった戦術が絡む。

盤をはさんでするゲ−ムのなかでバックギャモンが異色なのは、
 数学的であること。
2個のサイコロをふるから6×6=36通りの組み合わせで目がでる。確率を考えながら戦略を考える。局面によっては、対戦者どうしの勝ち負けの確率がぴったり数字で計算できてしまうこともある。
 「早くする」のがエチケットであること。
何手も先を読んでじっくり考えるということをしない。さいころの目しだいだから、厳密に先を読むことは不可能ということもあるが、15個の駒のどれをどう進めるかを素早く判断しなくてはならない。スピ−ド感覚のあるボ−ドゲ−ムである。

サイコロの目しだいといっても、強い人がほとんど必ず勝つ。1回勝負であれば弱い人が勝つこともあるが、1試合1ポイントとして(勝ち点を倍々に上げていくことができる)、何ポイントか先にとったほうが勝つというル−ルで行うので、すると強い人が勝つ。

盤双六については、疑問がいくつかある。
たとえば、かつては何度も禁止令がだされるほど熱狂されたゲ−ムが、なぜ今の日本ではたいして人気がないのか?
(国際的には愛好者が多く、数学的なところや、盤のグラフィックな美しさがコンピュ−タに相性がいいこともあって、インタ−ネットでbackgammonを検索すると、豊富なリストがでてくる)
また、かつて盤双六に賭けた人たちには確率という概念はなかったと思うのだが、ゲ−ムの組み立て、判断をどのようにしていたのだろう?

バックギャモンの大会に参加したことがある。7ポイント先取で何人かと対戦し、総合点を競うというものだったから、総試合数はかなりの数になる。初対面の人と次々に対戦していくので、仲間うちで遊んでいるときと違う緊張感もある。
試合のあった日は終わったあと、夜になり、眠るまで、頭の中がバックギャモンになっていた。ボ−ドの映像があって、3−1がでたり、5−2がでたり、それに応じて駒が動いていく。
禁止令がだされた頃は、いつも頭の中がこんなふうになっていた人がたくさんいたのだろう。



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