茶ノ木平・明智平から旧イタリア大使館別荘


 日光金谷ホテル



栃木県日光市上鉢石町 1300
tel. 0288−54−0001
http://www.kanayahotel.co.jp/nkh/index.html

( 1907年にひいた電話が栃木1番。今も0001という番号にホテルの歴史と誇りがうかがえる。)


井上房一郎を主役兼つなぎ役として、ライトやレーモンドやタウトの跡をたどってみると、このホテルも縁が深い。

◆ 1905年には、フランク・ロイド・ライトが日光を旅行し、金谷ホテルに宿泊している。

◆ 金谷ホテルの2代目の支配人、金谷真一の弟、正造は、箱根富士屋ホテルを経営する山口家に養子に迎えられていた。ライト設計の帝国ホテルが工事の遅延や工費の増大により、林愛作が支配人を辞し、犬丸徹三が就任するまでの短い間、山口正造が帝国ホテルの支配人を兼ねていたことがある。

◆ 井上房一郎とブルーノ・タウトとは、1934年、久米権九郎(1895-1965)の紹介で銀座で出会ったのだが、1935年に金谷ホテル別館を設計したのが久米権九郎だった。
今、ホテルの前庭に立って、右に見える和風の建築がその別館。
(左には2階建ての建物があったが、このとき地面を掘り下げ、地階を改造し、3階建てになった。)

◆ タウトは、井上房一郎に会うよりも前、来日してすぐ桂離宮を訪れてから2週間ほどした1933年5月20日、21日に、日光を訪れている。
金谷ホテルで昼食。
華厳の滝にエレベータで降りて見物し(エレベータは3年前の1930年に作られている)、中禅寺湖でモーターボートに乗る。このあたりの文章には、美しい自然のなかをいく喜びが感じられる。

ところが、翌日東照宮に行くと、一転して厳しい言葉が連ねられる。

建築物の配置はすべてシムメトリー、眩いばかりのきらびやかさ。すべてが威圧的で少しも親しみがない。
 第二の社殿(東照宮)−いかものだ。(中略)華麗だが退屈、眼はもう考えることができないからだ。(中略)建築の堕落だ、−しかもその極致である。
 ( 「日本 タウトの日記」 ブルーノ・タウト 篠田英雄訳 岩波書店 1975)

桂離宮と比べてさんざんな言い様で、桂を中心に日本の美について書いた著作でも対比的にいわば悪者扱いされることになる。その著作は国内でとても歓迎され、タウトは日本美の再発見者といわれることとなるのだが、日光の人たちのことを思えば、ずいぶん不愉快なことだったろう。
金谷ホテルや、避暑地としての日光の本などを読んでいると、ライトやレーモンドはでてくるが、僕の読んだ限りでは、タウトはでてこない。ここではタウトは禁句になっているのかもしれない。

     ◇     ◇

本館に入って、ロビーの左手に回っていくと、2階のダイニング・ルームに上がる階段がある。その上がり口の細工が、あまり上質なデザインではないが、大谷石を使っていて、フランク・ロイド・ライトの帝国ホテルを思わせる。
奥の部屋の周囲の壁面や柱にも大谷石がよく使われている。



本館のバーにある石造りの暖炉はフランク・ロイド・ライトの設計といわれていて、バーの暖炉だけなら、何かのいきさつでライトがデザインしたということもありそうだが、こうあちこちにライトふうがあるのは、いったいどういうことなのだろう。
ライトが影響を受けたのか、与えたのか。
あるいはのちに改装のときにでもライトのイメージを込めてみたのか。

1日の日光歩きを終えて、コーヒーラウンジ「メイプルリーフ」でひと休みした。コーヒーがポットででてきて、カップに2杯半ほど、たっぷりと味わう。それに チョコロール。
ウエイトレスが、幼いくらいのかわいい笑顔をしているのだが、礼儀正しい印象もそなえていて、感じがいい。
いかにもクラシックホテルの落ち着いた風情が心を静かにしてくれる。今日は日帰りするのだけれど、いつか泊まってみたいと思う。
でも、さあ泊まろうとすると、季節ごとにそれぞれの楽しみがありそうで、いつにするか悩んでしまいそうでもある。


おみやげに買って帰ったパン。
右は人気no.1というチーズロール。
もとは円筒形で、切ると、チーズの小片が点在している。
おいしかった。
左のオレンジワッサンは、オレンジの香りが○。



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