天狗岩から緑の森の一角獣座


 天狗岩  緑の森の一角獣座
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     5 若林奮と吉増剛造


5 若林奮と吉増剛造

詩人・吉増剛造は、詩を作るだけでなく、世界各地に旅した先で写真をとっている。単なる風景写真、記念写真ではなく、逆さにしたり、二重にしたり、意図的な制作である写真をとっている。
また、旅先で、銅板に連続する穴をあけていくことで詩のなかの言葉などを刻みこむこともしている。
斎藤記念川口現代美術館*で、1998.9/18-12/20にそれらの展覧会が「水邊のオブジェ 吉増剛造−詩とオブジェと写真」というタイトルで開かれた。
初日に、吉増剛造が銅板に穴を打つ公開制作と、若林奮との対談があった。
立川高校で若林が吉増の三年先輩という関係。

吉増剛造の話から:
銅板に文字を打つことをを始めたいきさつは、詩集をだすにあたり若林と相談し、銅板をつかった意匠を企画した。銅板に詩を打つ、銅板の箱に詩を入れる、など。それが別な方向に発展していった。
若林は動かないが吉増は動く。旅をする。吉増の旅先に若林が銅板を送ってくる。見事な梱包であって、梱包された銅板をそのまま(包装紙に包まれたまま)使うようになる。
銅板は厚いものから薄いものへかわってきた。
ハンマーは若林から贈られたものをつかっている。
こうして一度に並ぶと、数が多いのに自分で驚く。打った穴の多さ! 100枚を超えたが、100枚を超えたら1000枚は簡単だろう。

それにしても、穴をあけることを継続するエネルギ−はすごいものだと、呆れるような感じもあったのだが、初期の文章を読んでいて、なるほど、この詩人はもとからハンマ−を振るうことが好きだったのだと納得した。

 少年の頃、化石ハンマーを持って一日中山を歩きまわり、手にした水成岩を一撃して、まっぷたつに割れたその中心に巨大なウニの化石を発見したときの感激、それがぼくにはいまだに謎だ。以来ぼくは、あの奇蹟を求めて、すべてを化石のように掌にのせてハンマーで割ろうとしてきたのか。唯一の正義がその行為にあるかのように、そこに輝く中心があるかのように・・・・・世界を掌にのせて言葉の剣で斬る、それがぼくの希望の発生点とでもいおうか。いまだにぼくの掌いっぱいにひろがったウニの化石の感触が、もっとも純粋で狂暴な一瞬に立会った思い出とともによみがえってくる。
 化石ハンマーとクリノメーターを持って奥多摩から地層を追って東京へやってきたこともあった。東京は百万年ほど前までは海底に没していて、東京湾は鹿島灘にむかってひらいていたはずである。いま日常生活のなかでもぼくは東京の地層に秘められた数々の岩石を割っているような気がしてならない。このごく新しい柔軟な地層の上に立っている岩石たちの構築物か、と都市をみつつおもうと微笑みを感じてわけもなくうれしさがこみあげてくる。無数の岩石を割らなければならない、全世界が瓦礫の山になろうとも。
(吉増剛造詩集 思潮社 1971)

展覧会には、1996年に北海道・石狩と青森・三内丸山で打った「緑の森の一角獣座」、ブラジルで打った「日ノ出ノ森ノ一角獣座」も展示されていた。

* 斎藤記念川口現代美術館は財政問題で休館。川口現代美術館スタジオとして形態をかえて活動していたがそれも2001.3.4 「目の裏の皮膚−青木聖吾展」で終了。1970年以後の現代美術のすぐれたコレクションをもち、意欲的な企画をしてきた美術館が存在することを示すため、ホームページは継続している。
  




 若林奮 ”52記”より no.34 モノタイプ (銅版に水彩で彩色) 1998




1850 1900 1950        2000

1867
フランク・ロイド・ライト
1959       
1880 ブルーノ・タウト 1938
1888 アントニン・レーモンド 1976
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