飯盛山から清里フォトアートミュージアム



 3  清里フォトアートミュージアム 


山梨県北杜市高根町清里3545
 中央自動車道須玉i.c.か長坂i.c. 車で約20分
 JR小海線清里駅 車で約10分
10:00-18:00 (入館は17:30まで)
休館 火曜日(祝日は開館) 
    年末年始(12/31-1/3)
tel.0551-48-5599
http://www.kmopa.com/
1995年に開館 


          ◇          ◇

なぜ清里高原に写真専門の美術館が?と不思議に思うところだが、母体は真如苑 http://www.shinnyo-en.or.jp/ という仏教教団で、開祖が1906年に長坂町、開祖の妻が1912年に高根町で生まれている。(長坂町は高根町の隣)
開祖没後の記念事業として教団内部の宿泊研修施設を作ることを計画していたが、具体化への検討を重ねるうち、広く社会に開かれた施設を併設しようという設置構想が打ち出された。

開祖が宗教の道に入る以前に、写真に深い造詣を示し、当時珍しかったライカを持ち、1935年に雑誌「現代」の巻頭ページに室生犀星の詩といっしょに掲載されるなどしていたことから、写真の美術館が誕生することとなった。

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館長は国際的に知られた写真家である細江英公氏。
2002年の夏、渋谷区立松濤美術館で、「石田喜一郎とシドニーカメラサークル」という展覧会が開催され、細江英公氏を講師に招いた講演会があった。
この日の話は、対象の写真家より、写真をどう守り伝えるかということが中心だった。
石田喜一郎(1886-1957)は、大正時代に商社マンとして滞在したオーストラリアのカメラサークルで活躍し、帰国後も写真をとりつづけた。
その写真は、松濤美術館の学芸員の探求の成果で美術館におさめることができたが、これは例外的なことで、同じ頃の、つまり日本の写真の受容期、発展期の貴重なオリジナル・プリントは、アメリカのコレクターが遺族などに接触して、細江氏の表現によれば、「ブルドーザというかサルベージというか」ごっそり買っていったという。
日本で価値に気づいたときには国内にはなくて、アメリカまで見に行くか、高い金額で買い戻さなくてはならない−これは明治時代に起きたことの繰り返しになる。当時のすぐれた作品を見るためには飛行機に乗って海を越えなくてはならない。
重要なのは、富を獲得することではなくて、文化を育て、蓄積して、次の世代に伝えていくことだと思う。
景気が悪いので、美術館、博物館、図書館などで、資料購入経費がとても小さくなっている。こんな時期だからこそ、逆に少しは無理をしてでも積極的に資料を蓄積すれば、ある程度の年数がたったときには他にはない財産をもつことになり、経済戦略的にみても有効だと思うのだけれど、現実はなかなかそういう方向にはいかない。

清里フォトアートミュージアムでは、完成した域にある作家・作品だけを収集の対象にしているのではなく、若い写真家に限定した公募展を実施して入賞作品を買い上げる企画も継続している。やがて重要なコレクションになるだろうし、一面では写真家を育てることにもなる。

もともと写真を収蔵する美術館は多くないのに、数少ない写真専門の美術館の1つ、東京都写真美術館では、収蔵予算がゼロになっている。
こういう状況のなかで、清里フォトアートミュージアムの意義は、今後、もっと高く評価されるようになるだろうと思う。

          ◇          ◇

この美術館には幾度か出かけて、ほかでは見たことのないすばらしい写真を見ることができた。これまで見たことがない未知のものを見ることができた−という経験を得られることは、ミュージアムの大きな存在理由だと思う。僕にとって、とくにそういう気持ちを幾度か抱かせてくれて、感謝の気持ちを抱いているミュージアムがいくつかあるが、ここもその1つである。

たとえば、1997年に開催された「マヌエル・アルバレス・ブラヴォ展」。
1902年生まれのメキシコの写真家。
はじめのほうに「カボチャとカタツムリ」というのがあって、何とわかりやすいタイトルをつける人だろうと思っていたら、「評判のよい眠り」「贋の月の恋人たち」「すべての死者の日」のような、詩的、象徴的タイトルがでてくる。あるいは、屋根に架かる梯子の写真に「天に昇るために」とタイトルする感覚!
ガブリエル・ガルシア・マルケスの「百年の孤独」のような、日常的・現実的な叙述にふっと幻想的な表現を滑り込ませて独特な世界を創り出す中南米文学に通じているもののように思えた。

それから自然写真家、西村豊のヤマネの写真。
ヤマネは、リスやネズミの仲間で、山地の森に暮らしている。日本だけに住み、国の天然記念物に指定されている。
八ヶ岳山麓の森を歩いて、ふつうの人では姿を見つけることだけでも難しいような小さなヤマネの写真をとってきた。
冬、冬眠するので、漢字では「冬眠鼠」という字をあてる。
切り株に雪が小さなドーム状に積もったなかにくるまれるようにしてヤマネが眠る写真があった。まるで暗い闇に浮かぶ天体の写真のようだった。その天体に1つの命が生きている−ということが切実に伝わってきて、まるで生命の象徴のように思えた。

毛に覆われていないところだけ、体内の血の流れが赤く透けてみえる この天体に生きる命がひとつ
©Yutaka Nisimura

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美術館には、展示施設のほかに宿泊施設もある。
設計は栗生明+栗生明総合設計事務所。美術館と宿泊施設がただ併設してあるのではなく、ミュージアムに宿泊する、あるいは宿泊施設のミュージアム化をめざしたという。
施設の全体のボリュームに比べて、写真を展示してあるのはかなり小さい部分にすぎない。入口を入って左手に美術館部門があるのだが、右手に高い吹き抜けになった階段と通路が伸びていて、その先がどうなっているのか気になってしかたがなかった。

1年ほど前に機会があって、ようやく見ることができた。
宿泊室は、通路の一方の部屋は水の庭に面し、反対側では草の庭に面している。
(写真左は草の庭を宿泊棟上の通路から見下ろす)
宿泊棟の上部にはガラス壁の風呂。
宿泊棟を外に抜けると庭があって、モノリスのような列柱に囲まれている。(写真右)
その先に音楽堂。



宿泊棟の屋上に通路があって、八ヶ岳を遠望する。その通路を風呂−庭−音楽堂とは逆の方向(美術館方向)に戻った上部には天文室があって、夜空の星を観察できる。
藤江和子デザインのガラスのインテリアほか、藤江がコーディネートした、ル・コルビジェなどのデザインの大胆なインテリアも魅力的。

広い長方形の敷地に諸施設が配置され、いくつもの大小の庭が組み込まれている。
航空写真を見ると、古代の遺跡か、コンピュータの基盤のようで、眺めていて飽きない。空を飛ばない限りこの目で見ることができないのが残念。

*この航空写真を見るには:
新建築1995.11 日経アーキテクチュア1995.10-9 SD1996.11


宿泊施設は会員制だが、申し込めば誰でも会員になれるので、宿泊して美術館も見るのがここを十分に味わう、正しい見方だと思う。



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