Ⅱ-4 『天才スピヴェット』-少年は貨物列車でアメリカ大陸を東へ、ハンバーガーを食べる

アメリカ西部に住む10歳の少年が家出して、大陸を横断する貨物列車に乗って東部に向かう。
少年が住む牧場は、モンタナ州ディヴァイドの北、パイオニア山地の谷間にある。 ディバイドの町は大陸分水界(ディヴァイド)にあり、東側は水が大西洋へ流れ、西側は太平洋へ流れる。
少年T.S.スピヴェットは、科学的思考の天才で、分水界にも興味をもち、弟のレイトンと水を流して記念写真を撮ろうとする。T.S.(と家族はいい、自分でもそう名のる)がカメラを構え、弟が西に向かって「やあビッグサー」、東に向かって「やあニューオーリンズ」と叫びながら水をまくところを撮る。
T.S.には、両親と弟と妹がいて、みなそれぞれに独特な人たち。 バルコニーで母が弟の髪を刈りながらこんなことを言う。
  気をつけてね 凡庸さは"心のカビ"よ
  常に闘わないと繁殖してしまうわ


T.S.が永久運動をする磁気車輪を考え出し、権威のある賞に選ばれる。それを電話で知らせてきたのは、スミソニアン協会の次長で、記念のスピーチに招かれた。少年は一度は断わるが、父が運転するトラックの助手席で空を眺めているうち、考えを変える。
  明日ワシントンへ行こう
  僕は研究者 科学者だ 彼らは僕を求めてる
  ここに残ればコウモリみたいにぐるぐる回り続けて くり返すだけの人生になる


これまで子どもでは認められないことをいくつも経験してきた少年は、家族も理解しないだろうと、内緒で行くことにする。
ディヴァイドでの交通手段はユニオンパシフィックの貨物列車が通るだけ。
午前5時44分と、午前11時53分と、午後5時15分の3本。
少年は荷物をトランクに詰め、最初の列車にあわせて朝くらいうちに家を出て線路に向かった。
信号の白いランプを赤く塗り、貨物列車を止めて乗りこむ。
ここから雄大なアメリカの大地を長い貨物列車が走るシーンが、いかにも映画にふさわしい。
広い平原、渓谷沿いの鉄路、陽光、遠くに見える雪がかかった山、鉄橋。
蛇行する渓谷を行くところでは、こちらのカーブから向こうのほうのカーブまで、ずっと列車がつづいている。
アメリカの貨物列車は、とにかく長い。 100両以上もあって、長さがキロ単位になるらしい。
僕はずいぶん前に初めてアメリカを旅した。どこだったかの静かな町の小さなホテルに泊まっているとき、夜、貨物列車が走る音がえんえんと聞こえていて(低速で走るからなおのこと長くなる)、驚いたことがある。アメリカの国土の大きさを実感できた気がした。

親が捜索願をだして、途中、やや長く停まった停車場で、駅員が確認に線路の脇を歩いてきた。 積んであったキャンピングカーに潜りこむと、テーブルで向かい合って食事する若い男女のつくりものの広告があった。写真を撮って実物大にした薄っぺらなもので、T.S.は男女の間に立って自分もつくりもののフリをした。 駅員がまわってきて、窓から中をのぞきこむ。 T.S.は大きく口をあけてハンバーガーを食べようとしているが、緊張して汗が垂れる。汗に気づかれたらばれてしまう-というスリリングな場面がおかしくかった。

夜、別な停車場で停まったとき、ちょうど線路近くにハンバーガーの屋台があって、少年は降りて注文して買った。
たまたま警官がまわってきて、少年を探す写真入りのチラシを貼りたいと店の女性にいい、女性は車の壁のボードに貼るようにいいながら、目の前にいるのが捜索願にある写真の少年だと気がつく。 でも警官には告げずに、少年に「気をつけなさい」と言ってハンバーガーをわたす。
少年は列車に戻ってハンバーガーを食べる。家を出るときトランクに詰めたのは、レーズン1箱とニンジンのスティック11本だけだったから、久しぶりのまともな食べ物だった。 でも食べているうちにひとりで出てきている寂しさがこみあげてくる。

貨物列車の終点のシカゴに着き、とうとう東部に入った。
ヒッチハイクをしてワシントンD.C.のスミソニアン協会に着く。
ところが映画はここからありきたりでつまらなくなってしまう。
スミソニアン協会の次長は、功名心で天才少年をあちこちのマスコミにひきづりまわすし、テレビ出演すると司会者はえげつない俗物。
東部の商業主義、功利主義に、都合のいい特性を持った少年が現われたことのドタバタを描き、そこに家族が少年を救い出しにきて、あたたかい家族の物語でしめくくられてしまう。
前半は少年の天才に呼応するように映像もエピソードも独特だったのに、後半はさえない。個性的な家族もただのやさしい人たちになって終わる。 映画の前半で「気をつけてね 凡庸さは"心のカビ"よ」といってたのに、映画が凡庸におちこんでしまう。
少年はワシントンの科学者たちが僕を求めていると思って出かけたのだったが、祝賀会にいた科学者たちも珍奇な生き物を見るかのよう。 少年も、残ってコウモリのようにくり返す人生を拒否したはずなのに、するっと戻っておさまってしまう。
T.S.の役のKYLE CATLETTの演技がすばらしかった。 牧場でカメラを持って輝き、屋根のない貨物車で日の光を浴びて踊り、イキイキしていた。父との関係で悩む陰りをおびた表情も深みがあった。 少年のすてきな冒険旅行も、主役としてのみごとな演技も、こんなふうに終わらせてしまっては惜しかった。 がっかりな終わり方だったが、それでも前半シカゴまでだけもう一度見たいと思うほどに魅力的な映画ではあった。

* 『天才スピヴェット』 1913 監督ジャン=ピエール・ジュネ