Ⅱ-6 『バグダッド・カフェ』-アリゾナの砂漠で、帰る人、帰らない人


ドイツから来てアメリカを旅行していた夫婦が、アリゾナの砂漠地帯でけんか別れする。
モハーヴェ砂漠というところだけれど、砂丘が連なっているのではなくて、西部劇にでてくるような荒れ地地帯。デスバレーがあるし、夫婦がめざしていたらしいラスベガスもその一帯にある。

夫は車で去り、残された妻ジャスミンは暑い日射しの道をトランクを引きずって歩いて、ようやくたどりついたのがバグダッド・カフェ。
荒れ地を貫く道沿いにポツンとある。
ところがそのカフェの夫婦もけんか別れして、夫が車で去ったところ。
残された妻ブレンダはいつもイライイラしている。 夫サルは気がきかなかったし、息子は子どもの世話をしないでピアノをひいてばかり、娘は男のバイクに乗って出かけたりして遊んでばかり、バーテンもきりっとしない。
夫を追い出したときに現われたジャスミンに、ブレンダは荒々しく対応する。

カフェにはモーテルもあり、ジャスミンはそこに滞在することにした。
前から刺青師の女性デビーが長く滞在していて、トラック運転手たちには腕がいいと見こまれている。
ハリウッドで映画の背景画を描いていた画家ルーディは、カフェのすぐそばに置いたキャンピングカーで暮らしている。
エリックという若い男がヒッチハイクでやってきて、テントを張らせてほしいといつく。

車ではなく、暑いのに厚着で現われたジャスミンをブレンダはあやしむ。 ローゼンハイムなんて、いかにもドイツっぽい名の街から来たことも怪しげで気に入らないし、なにかと怒鳴りつける。 そんなときのジャスミンのたよりなげな表情を見ると、異国をひとりで旅したときの寂しく心細い気持ちを思い出して共感する。

ジャスミンは子守しながら息子のピアノを聴き、トランクにあった夫のかわった意匠の服を娘に着せてやり、画家ルーディの絵のモデルになり、しだいにカフェになじんでいく。
ブレンダとも激しい言葉のやりとりのあと、気持ちが通じあっていく。
決定的だったのは、夫の持ち物にあったマジックのハウツー本で覚えた技をカフェの客に披露したこと。
とてもうけて、しだいにカフェの名物になっていき、息子がピアノをひき、ブレンダもショーに加わる。
カフェに関わる人たちがみな穏やかになごみ、一体感が生まれていく。

グリーンカード(外国人永住権)はないし、ビザも期限切れになり、ジャスミンが帰国してカフェは静かになるが、ジャスミンはあらためて出かけてきて、またなごやかさとにぎわいが復活する。
画家ルーディが、市民権があればずっといられるからと「たとえば」という言葉を幾度も繰り返して「私と結婚してはどうか」と、オズオズと求婚する。
ジャスミンはにっこりしながら「ブレンダと相談するわ」と意表をつく受諾の言葉を返して映画が終わる。

この映画では、色調と主題歌とモノが際立っている。
画面は全編をとおして長い時間を経た写真のような茶色っぽい独特の色調をおびていて、懐かしいような、いくらか非現実のような感じをおこさせる。
主題歌は、この映画のために作られた"Calling You"で、歌はJeretta Steele。 長くのばす歌声が耳に残る。 その後、多くの歌手にカバーされるスタンダード・ナンバーになった。
風景と人があれば映画は成り立つが、この映画ではいくつかのものがとても存在感をもっていた。
黄色い魔法びん-ジャスミンが持っていて、カフェで使われることになった。
壊れたコーヒーメーカー-サルが新しいのを買い忘れて街から戻り、カフェを去ることになった。
給水塔-ジャスミンが高い梯子をかけ、モップできれいにする。
ブーメラン-ヒッチハイクの青年エリックが飛ばすシーンが幾度か繰り返される。 旅・移動と、回帰・定着というテーマを設定してみると、ブーメランがいちばん象徴するものになる。
飛んでいく/戻ってくる。
飛翔・離反・浮遊・不安定・旅/回帰・安心・定着・定住。
ジャスミンは故郷ドイツからすれば、旅に出て戻らなかった人。 カフェからすれば、回帰してきて定着した人。

そういう見方で思い直すと、意外に刺青師の女性デビーが気になってくる。
映画の終盤、カフェの人たちの親しみがましてくると、デビーは荷物をまとめて出て行こうとしている。
「家族同然なのになぜ出てくの?」ときかれると
 仲良すぎるわ
とひとこと、あっさり言って、こんなのたくさんとでもいうふうに背を向けてしまう。
デビーはそれまでチラチラといろんな場面に顔を見せていたのだけど、ほとんど言葉を発しなかった。
その最後のひとことが唯一のセリフだったかも。
それだけかえって重みが感じられて、旅をする、移動を続ける-ということからすれば、デビーこそが主役ともいえる。

映画は実在するカフェで撮影されていて、バグダッド・カフェと名をあらためて今もあるという。 訪れる人が多く、着いて店内に入ると感激するとか。
僕も思い返してみて、すべての登場人物が懐かしく感じられる。
いい映画だった。

* 『バグダッド・カフェ』Bagdad Café パーシー・アドロン監督 西ドイツ 1987