Ⅱ-16 『モリのいる場所』-宇宙に通じた庭

熊谷守一(くまがい もりかず 1880-1977)は池袋駅から近くに住み、晩年は長いこと家から出ることなく絵を描いていた。
映画は、家から出なくなって30年が経過した夏の1日のこと。(あとでちょこっとだけ後日談が加わる。)

朝、妻が庭に出ようとしている夫に
「今日はどちらへ?」
と見送る。夫は
「池に行く」
とこたえる。
「池は遠いな」 「がんばってください お気をつけて」
庭のどこにいたって大きな声で呼べばきこえそうなくらいの広さなのに、こんなやりとりで1日が始まる。
午前中は、虫や花を眺めたりして庭で過ごす。
アリが歩き、ハチがとび、花が咲いている。
午後は寝る。
絵は夜に描く。

そんなだから、用のある人は昼前にやってくる。
来客も交えて昼食のとき、文化勲章を授与するという電話がかかってくる。
電話を受けた妻が守一に伝えると、  
「文化勲章...そんなものをもらったら人がいっぱい来ちゃう」
と困ったふうにボソっと言い、妻は
「それもそうですね」
そして受話器に向けて
「いらないそうです」
とあっさり言って、ガチャンと切ってしまう。
そこで電話をかけたほうの国の役人が初めて画面に出て、意外な成り行きで切られた電話を前に呆然としている。
山崎努の画家と、樹木希林の妻がかもすユーモアが全編にただよっておかしかった。
1軒の住宅と庭を舞台にして、穏やかな時間の経過をたどっているのに、見ていて少しも飽きることがなかった。

この庭の池というのが、個人住宅の庭にしてはとても大きくて深い穴の底にある。
30年前に引っ越してきてまもなく、小さいのを作ったという。
「雨のあとに水が湧いたんで、そこの石神井(しゃくじい)川のサカナをおもしろがって放したんですが、そしたらホラ、干上がるとまずいですからドンドン掘るでしょう、で、気づいたらこうです。」
そこに、この日の朝、見たことがない小石があるのを守一が見つけていた。
夜になって、その石は人の姿をして現われた。
宇宙から来た何ものかなのだった。
「あの池はとうとう宇宙につながりました
一緒に行きませんか?  
この狭い庭から出て広い宇宙へ行きたいとは思いませんか?  
さあ、行きましょう」

でも守一は行こうとしない。
「いえ、けっこう わたしはここにいます」
「なぜ?」
「この庭は私には広すぎます ここで十分!」


移動をしなくてもこういう豊かな生き方があることが示される。

* 『モリのいる場所』監督:沖田修一 主演:山崎努 樹木希林 2018