名取川-津波のあとの荒れ地

名取川河口、右岸
名取市街を出て名取川の右岸の河口に向かう。
レンタカーのカーナビの地図は震災前のデータで表示されている。 ナビ画面では、河口に向かう道の右側に寺が表示されている。その寺の前を通ると、外形は残っているが、中は壊れている。
寺の周囲にはがらんとした平らな地面が広がっている。
『2011.3.11 津波被災前・後の記録』(社団法人東北建設協会/編 河北新報出版センター 2012)という、東北太平洋岸の河口(=ほとんど市街地)の東日本大震災の前後の航空写真をおさめた本で見ると、このあたりも震災前は家が満ちていた。

その後googleのストリートビューを見たら2011年7月の画像があって、寺のたくさんの墓が乱雑に倒れていた。僕が行った2013年には、倒れた墓は片付けられ、草が生えていた。
岸壁では改修工事が行われていた。

名取川河口、右岸と貞山運河
名取川の右岸河口。
名取川は写真左から中央向こうの海へ流れ出る。
手前、右にいく水路は貞山(ていざん)運河。
岸壁のうえに釣り人が点々といる。
どんより曇っていて、空も海も物憂い。

名取川河口、左岸
対岸(左岸)の眺め。
名取川が左から右へ流れ、向こうには貞山運河が先(北)に延びている。
貞山運河は伊達政宗が仙台の米を運ぶために掘らせた運河で、仙台湾の海岸線に並行して南北に長くのびている。
地震と津波に襲われたあとでも元のようにあるだろうかと危惧して来たが、岸を支える杭や、運河を渡る橋など、部分的にいたんだところはあるにしろ、運河はしっかりと残って水をたたえていた。

名取川河口、花
右岸から内陸方面を振りかえる。
どこにでもありそうな石の川原に見えるが、震災前は住宅地だった。
向こうの水の流れは右岸側の貞山運河で、その先にポツンとある三角の屋根は、さっきわきを通ってきた寺の廃墟。
その周囲も住宅地だった。
小さな石を積んで、亡くなった人を悼む花が供えられている。


このあたりの地名は閖上(ゆりあげ)という。
河口に来る前に仮設商店街「閖上さいかい市場」に寄ってきた。
「閖」というのは珍しい字で、ここの地名のほかにはほとんど使われないらしい。 僕はこの字をここに来て初めて知った。
仮設商店街は新しい商業施設ができて移転して、2019年の年末で閉じるという。

(2013.6)