最終更新日:2023年8月27日

メモ


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[うんちく]
[河口-川と海]
[歴史のなかの河口]
[風景としての河口]
[詩・短歌・古典など]
[村上春樹の河口]
[開高健の河口]
*付: [移動についてのメモ]

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  [うんちく]
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■ ["河口"は、外国の言葉でも"河"の"口"らしい...]

□ 中韓日
   中国語 河口   ヘオコウ
   韓国語 하구[河口] ハグ
   日本語 河口   カコウ

□ 英語
   the mouth of a river 河口。
   estuary(潮の干満のある広い)河口。河口域。
   outfall 河口。流れ口。(下水の)落ち口。はけ口。

□ フランス語
   [河口] embouchure, bouche (d'un fleuve), [湾状の]estuaire
        (大修館スタンダード和仏辞典 )
   [bouche] (人、動物、孔、河などの)口
        (白水社 新仏和中辞典) 
 * bouche だけでも河口を意味し、
   正確にいう必要があるときなど bouche d'un fleuve (川の口)というようだ。
   fleuveは川。
 * 中国発祥圏でも英米圏でも「口」なのがおもしろい。

□ 日本語(大修館書店 明鏡国語辞典から)
   [河口] 川が海や湖に流れ込むところ。
   [川口(河口)] 川が海や湖に流れ込む所。河口(かこう)。川じり。
   [川尻] ①川下。下流。②川口。
 * 川の終末なのに「口」は変では?と思えば、 「川尻」というのもある。
   「川口(河口)」と「川尻」が、反対語ではなく同意語なのがおかしい。

■ 7月7日は「川の日」
国土交通省が1996年から、7月7日を「川の日」と定めている。 (ということを2023年に知った...)
制定理由
1.7月7日は七夕伝説の「天の川」のイメージがあること
2.7月が河川愛護月間であること
3.季節的に水に親しみやすいこと
(ついでのことに、7月7日はラーメンの日でもある。 一応の理由があるほかに、7をレンゲ、11を箸に見立てているというのがおかしい。)


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  [河口-川と海]
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■ 『地中海-ある海の詩的考察』P.マトヴェイェーヴィチ 沓掛良彦、土屋良二訳 平凡社 1997
「 地中海の川が地中海に注ぐ様態は変化に富んでいる。務めを果たした満足感にあふれるかのように、重々しく注いでいる川もあれば、慌てたように、決然たる様子もなくおずおずと海に出て行く川もある。ある川は誇らしげで毅然としているが、別の川は優柔不断であったり観念したように流れている。
(中略)
海もどこでも同じように川を迎え入れているわけではなく、海岸もどの川にも同様に海岸から離れるのを認めているわけではない。川の中には海に入ってもまだしばらくの間続いて何度も海を叩くものもあれば、海に対して領分の一部を譲らせるものもある。
(中略)
河口の性質は二重になっている。一方で川が海に注いでいるとするなら、他方、海は陸地に入り込んでいる。河口のデルタ地帯は場所によってこの両者の相互関係の謎を表している所がある。川岸で生まれた者が地中海を泳いでいると、時としてこれは生まれ故郷の淡水ではないかと思うことがある。」
「 博識の地図学者や一般の旅行者が陸と海の関係を観察したがる沿岸の高台には、展望台、見晴らし台、パノラマ、海望台、断崖といった(これらの場所の記述は大抵は不充分であるが)響きのよい名が付いている。こうした展望台は長い間われわれの思い出の中に残っており、われわれはしばしばそこに立ち戻る。」

■ 『ニッポン周遊記 町の見つけ方・歩き方・つくり方』池内紀 青土社 2014
「 鮭の稚魚は海に向かうとき、川を下っても、すぐに海へは移らない。河口でかなりのときを過ごし、大海へ乗り出すための体力をつける。鮭にとってのふるさとといえば、このときの河口だろう。鮭が産卵にあたり広大な海から、どうやって生まれた川を探し当てるのか、いろいろな説がある。地球の磁気を感じとるとか、鮭の体内に太陽の位置をはかるしくみがあって、それで自分の位置をたしかめながら目的の場所にたどりつくとか。
 能力の一つに河口の記憶があずかっているような気がする。人が幼児期に覚えた味や匂いを、一生そのまま身につけているように、鮭にとっては河口の記憶が、もっとも安心と信じる場所へと導いていくのではあるまいか。」

■ 『荘子』 
「天下之水。莫大於海。万川何時止而不盈。」(天下の水は、海ほど多いものはない。たくさんの川が、いつとどまるということなく流れこんでいるのに、あふれない。

■ 『天体の回転について』 小林泰三 早川書房 2008
「少しは常識というものを持ちたまえ。水源はどこにでもあるのだ。岩の表面を流れる雨水の滴りや湧水は山奥だけにあるものではない。むしろ湧水などは平地の方が多いくらいだ。無数にある水源の中で最も海から遠いものをその川の水源と呼んでいるに過ぎないのだ。君はまさか大河の水がたった一つの水源から供給されているとは思っていないだろう」


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  [歴史のなかの河口]
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■ 『風景-変貌する地球と日本の記憶』 港千尋 中央公論新社 2018
「 風景は人間に諸行を「長い時間」のもとに眺めることを求めている。千年という時間のなかで眺めることは、容易(たやす)いことではない。それは日常的な眼で見るだけでは足らず、どうしても想像力の助けを借りなくてはならない。風景が「動いている」と想像するには、必ずしも無常観が必要なわけではない。むしろそれは、記憶と想像力の問題であり、風景を動詞から考えることである。」

「 磯とともに日本の「基層文化的内容」を生み出しているのはラグーンである。複雑な地形と縄文時代に起きた海岸線の前身や後退によって、列島には北から南まで大小の干潟や潟湖が点在している。(中略)日本列島と大陸がつながっていた古代の日本海じたいが巨大ラグーンのようなものであり、現在残っている干潟や潟湖は日本海世界がひとつにつながっていたいた時代の記憶を残しているかもしれない。」

「 日本の沿岸地帯とは多かれ少なかれ、人間の介入の長い歴史を抱えた風景である。」

■ 『遠心力 冒険者たちのコスモロジー』 港千尋 白水社 2000
「 わたしたちの生きるこの惑星を<地球>、<アース>、<テール>と呼び慣わしているのは、陸地の奢(おご)りに他ならない。表面積に占める割合からしても、また他の惑星と比較してみても、この惑星はむしろ<水球>と呼ばれてしかるべきである。水の存在こそがバイオスフィアとしてのこの惑星の性格を決定している。水こそが生物の故郷であり、生体を作っている最大の要素である。陸の論理すなわち領土の論理から解放される日があるとすれば、そのときわたしたちはこの惑星を別の名で呼ぶことができるかもしれない。」

■ 『古典の中の植物誌』 井口樹生 三省堂選書155 1990
  「 葦辺を背景にした歌や句は、どちらかというと秋から冬へかけての荒涼とした美を発見していった。そして、その歌は残った作品の裏側に消えていった作品の数までも考えるなら、非常に膨大なものであったろう。それは文学の好みの偏向を考慮に入れるとしても、やはりこの国土の葦に囲まれていた事実が大きくものを言っていると思う。
 河川が人為的な堤防をもつ以前、川口は広く拡がって、広範囲の湿地帯には葦が一面にはえていた。夏には、背丈より高い葦が繁茂し、風におし寄せて来るような葉音をたて、その根本の水は、ぬるま湯ほどもぬるんで、幾年代を堆積した枯葉を腐蝕し、水面にぶつぶつと泡をふいていた。」

■ 「川」 柳田国男 『豆の葉と太陽』 所収 創元社 1941
「思うに我々は風景に対しては、ついうっかりと看過ぐして居る癖があった。(中略)はやらぬ風景の未来の発見を待って居るものが、楽しみな位にまだ残っているらしいのである。其中でも川などは細々と山あいを流れて居る間ばかり、何とかかとか人の評判に上って、平野へ出てしまうともうさっぱりと、省みる者が今は無いのである。(中略)ただ上流の美しさを語るだけで、空しく渡り過ぎて居たろうか(後略)」
「この自然の推移の跡こそは、直ちに又人間の文化の流転を語るもので、我々の山水鑑賞が、ともすれば一種うら悲しい感情を伴わずに居られなかった、隠れたる原因でもあったように思う。このさまざまなる川の年齢と環境、人の敵となり又友となって、結局は全く手を別つことの出来なかった数千年の関係が、旅をして居れば一日の間にも見て行かれる。」

■ 『街道をゆく 27』「因幡・伯耆のみち」 司馬遼太郎/著 須田剋太/画 朝日新聞社 1985
「三角州とか扇状地とかとよばれる水害の多い低地に大集落(たとえば城下町)が進出するのは、豊臣秀吉がえらんだ大坂が最初である。次いで江戸、広島、名古屋など、海に面した土地に大城下町が営まれるのが普通になった。
 理由は、水害の危険よりも、商品経済のために、河口港を付属させるという利益のほうが大切になったのである。」

■ 「私の東京物語 2/10」 田中優子 東京新聞 2020.1.7
「 江戸は、山の門(と)を意味する「やまと」同様に、川が海と出合う「え」の門を意味する「えと」という日本語で呼ばれていたのである。」


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  [風景としての河口]
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■ 『旅の文法』 山崎昌夫 晶文社 1976
「 川は、自らのちからで成長する。葉ぬれを滑り落ちる一滴が、苔のしめりが、下萌えのかすかな汗ばみが、やがてせせらぎに、奔流に成長する。岩を噛み、滝を作り、舟を浮かべ、すずろなおしゃべり、気ままな歌を、その永続する一回性のなかで消費する。そして最終的には、巨大な母の寡黙に到達するのだ。
 川は、<時の流れ>に照応する。そのほとりにたたずむものは、上流を眺め、転じて下流をのぞむ。川は、例えば月の盈虧(えいき)や季節の移ろいとは別の規模と速度で、<時の流れ>の情と非情を教える。」

■ 『海の鏡-思い出と印象と』 J. コンラッド 木宮直仁訳 人文書院 1991
「大河の河口にはどれも魅力がある。広々とした表玄関の魅力と言ったらよかろうか。」
「 沖あいから見ると、広々とした河口は数々の冒険心にあふれた希望に、ありとあらゆる成果を約束している。冒険心と勇気をこころよく受けいれる水路は、沿岸の探検家にもう一踏んばりしてみようという気を起こさせ、大いなる期待の実現へといざなう。」
「 テムズ川の河口はお世辞にも美しくない。崇高な面だちもなければ、表情にロマンチックな壮観さがあるわけでもない。愛想よくほほ笑んでいるわけでもない。しかし、一見したところ広々としていて、ゆったりしている。人をいざない、暖かく迎えているようだ。それに、妙に謎めいた雰囲気がある。」
「 このイギリスの島々の通商用の大河のうちで、テムズ川だけがロマンチックな感情に浸れる唯一の川のような気がする。」

■ 『淀川下り日本百景』 樋口覚 朝日新聞社 2004
「 川は絶えず変貌する。斜面の勾配に身を任せるにふさわしい水路を見いだし、新たな川筋を発見し、ひたすら河口をめざす。川は実に素早い探求者なのだ。川に出来ることは、ただこの悠久の法則にしたがい、間断なき水の勢いをもって流れることである。」
「定着と居住を川の水は嫌う。」

■ 『日本<汽水>紀行 「森は海の恋人」の世界を尋ねて』 畠山重篤 文藝春秋 2003
「大牟田で特急「つばめ」を降りるとタクシーで筑後川河口に向かった。
『河口ですか?さて、どこでしたっけ?』
 運転手さんは怪訝そうな顔をするが、これはいつものこと。私のような河口マニアという人種は変わり者なのだろう。」


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  [詩・短歌・古典など]
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■ 『ARROWHOTEL』 北爪満喜 書肆山田 2002
北爪満喜が「the mouth of a river」という詩をかいている。
その詩がおさめられた詩集は『ARROWHOTEL』といって、そのホテルは海が近い運河沿いにあるらしい。
そのホテル名を冠した詩がいくつかあるなかで、「ARROWHOTEL1」のなかの一節...

 明日は近くの海岸へでて
 誰もいない岩にかけ ずっと波をみていよう
 誰もいない太陽の下 ずっと海をみていよう
 街のはずれのあちらこちらに荒々しい網が積んである
 海底から引き上げられた網
 紺碧の海の冷たいうねり
 つよい潮の匂いがあふれて
 体がくらくらさせられる それにここはとても熱い
 夕暮れになれば青とオレンジ 青とオレンジの透ける日差しが
 街を洗いそめぬいてゆく ひなたはオレンジひかげは青
 手足まで透けるかと思うほどすっかり空気が澄んでゆく

■ 歌集『白南風』 吉田久美子
  引き潮に河口の底の現われて枯れ葉のやうに鴨舞ひおりる 

■ 『新春を詠む 大口玲子』 埼玉新聞 2022.1.5 
  初空の青映しつつ鳥たちが来るを喜ぶ河口まぶしき

■ 伊勢物語 第50段
  ゆく水と過ぐるよはひと散る花と いづれ待ててふことを聞くらむ


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  [村上春樹の河口]
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■  『猫を棄てる 父親について語るとき』 村上春樹 文藝春秋 2020
「 うちと浜とのあいだにはたぶん二キロくらいの距離はあったと思う。当時まだ海は埋め立てられてはおらず、香櫨園の浜は賑やかな海水浴場になっていた。海はきれいで、夏休みにはほとんど毎日のように、僕は友だちと一緒にその浜に泳ぎに行った。子供たちが勝手に海に泳ぎに行くことを、当時の親たちはほとんど気にもしなかったようだ。だから僕らは自然に、いくらでも泳げるようになった。夙川にはたくさんの魚がいた。河口で立派な鰻を一匹捕まえたこともある。」 

■ 『街とその不確かな壁』 村上春樹 新潮社 2023
「 私の中で時間が入り乱れる感覚があった。二つの異なった世界が、その先端部分で微妙に重なり合っている。満潮時の河口で、海の水と川の水とが上下し、前後し、入り混じるように。」


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  [開高健の河口]
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■ 『白いページ』 開高健 光文社文庫 2009(1978)
「 スズキ釣りの千石場は最上川の河口である。川に沿って"南突堤"という突堤が長くのびて海に突出している。右が湾で海水。左が川で淡水。広い面積にわたってササにごりの水がたっぷりと、しかもかなり速く流れて海水とまじり、なるほどこれならサケ大のスズキが釣れても不思議ではないと、一瞥でこころがおどりはじめる。」

■ 『もっと遠く!』 開高健 文春文庫 1983
「 世界には無数の終着駅があるが、おそらくアンカレッジ駅はもっともわびしいそれであろう。駅前には自動車の狂騒もなく、信号の点滅もない。ないといったら何もない。木造二階建の小さな家が一つあって、そこで切符を買うだけである。(中略)プラットフォームといってもセメントを張った細長い台が、それも高さ二〇センチか三〇センチくらいがのびているきりで、これまた改札口もなければ屋根もない。
 この荒寥とした構内に一本の小さな川が流れて海に注いでいる。海はすぐそこに、暗い、荒んだ、ひっそりとした湾となってひろがっている。(中略)この川はアンカレッジ駅を世界でもっともわびしい始発駅であると同時にとんでもない驚愕と豊饒の駅にしたててもいるのである。その驚愕と豊饒はまったく破天荒、まったくユニークである。まさにアラスカの象徴である。ワスレナグサやペンペン草を踏みしだいて近づいていくと、堰のところで暗い水が白く泡だち、無数の巨大なキング・サーモンが背びれを見せてひしめきあっているのである。」

■ 『眼ある花々/開口一番』 開高健 光文社文庫 2009(1975/1984)
「メコン河は≪母なる河≫という意味で、チベットから両岸を削りつつ流れてきて、五〇〇〇キロを通過してから海にそそぐのだが、河口あたりでは淡水産の淡褐色をしたイルカがいたり、エイがいたりする。潮水(しおみず)と淡水のまじりあう地域の水のことを汽水と呼ぶが、こういう地域の住人の生態は奔放があって、イルカが淡水域で跳ねるかと思うとナマズが潮水へおりていったりするのである。」

■ 小説家のメニュー 開高健 中公文庫 1995
「(暑い国で無数に食べたアイスクリームのことを思い出せないが)
唯一の例外は、アマゾンの河口の町のベレンで舐めたアイスクリームである。(中略)果物のジュースを氷らせたもので、南の、暑い国の果物それぞれのアルベッチを、あれにしようか、これにしようかと選ぶ愉しみを味わあってから、やおらたとえばラランジャ(オレンジ)のやつを頼んでスプーンですくい、口に入れると、赤道直下の太陽に灼かれそうだった体に一瞬、淡麗な戦慄が走って、
 「オーパ!」
 と叫びだしたいくらいのものだった。」

「 大河アマゾンの河口に、ベレンという街がある。前章でできわめて美味のシャーベットに遭遇したと書いたその街だが、亭々と濃い緑の木がそびえ、南欧風の赤屋根・白壁の家並みが美しく、広々とした公園があって、古風な、なかなかにいい街だ。その街を、ある日、ぶらぶら歩いていて波止場近くのメルカード(市場)に入ってみると、八百屋、香辛料屋、アマゾン産の漢方薬屋、肉屋、雑穀屋、そして魚屋が店を連ねている。その魚屋の中をのぞいて、
 「・・・!?」
 わたしは仰天した。ピラーニャが堂々と売られているではないか。頭を切り落としたのもあり、頭つきのもある。が、とにもかくにも、食べられない魚を魚屋で売っているはずはない。
 -ピラーニャは食べられるのか!
 わたしは蒙を啓かれた。」

「(ナイル、揚子江、メコン、メナム、アマゾンなどの大河の河口には、必ず沖積土がある。栄養分をふんだんに含んでいて、ゴカイやらイソメやら無数の環虫類が棲み、それを食べて育つカニがいる。)
アマゾンの河口の街ベレンでは、これが茹でガニであった。茹でるとはいっても、単に湯で茹でるのではなく、なにやら湯の中にはブランデーか、ワインか、それにまだ他にもなにかを入れているらしかったが、いくら訊いてみても、
 「秘密ナノヨ」
 教えてくれなかった。
 これをピメンタという胡椒辛子をサラダ油にソースに、玉ネギ、ピーマン、トマト、セロリなどを刻んで入れたのをかたわらに置き、カニのみそやら肉をせせってつけて食べるのだが・・・(中略)
 ま、カニはうまいものである。」

「河口の街ベレンで、アマゾンの上流に向かう船を待つ間に、二泊三日、レアンドロ氏という大金持が持っている牧場の別荘へ遊びに出かけたときのことだ。(中略)銀の深皿を持ってきた。
  「アボガドのスープです。どうぞ・・・」
 と、レアンドロ氏がいう。
 見ると、薄青色とも薄茶ともつかない淡い色の、ヴィシソワーズによく似たスープであった。銀の匙を手にとり、スープをすくって口に運び、含んだら、
  「・・・!?」
 ちょっと大袈裟に表現すると、一種戦慄が体全体に走った。それくらい絶妙の、微妙複雑な、奥深い、そして清涼なスープなのである。一匙すくっては味わい、一匙すくっては味わい-たちまち銀の皿は空になってしまった。このときほど英語でいう。
 The good ones are few. (いいものはすくない)
 という諺を、身にしみて感じたことはない。」

[参考本]
・『河口地形特性と河口処理の全国実態』 土木研究所資料第3281号 建設省土木研究所 1994
・『日本の河口』 澤本正樹編 古今書院 2010
・『日和山 ものと人間の文化史60』 南波松太郎 法政大学出版局 1988
・『2011.3.11東日本大震災 津波被災前・後の記録 宮城・岩手・福島航空写真集』 社団法人東北建設協会/編 河北新報出版センター/刊 2012

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 [移動についてのメモ]
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■ 山本太郎(1925-1988)の詩

 めまいよ こい
         山本太郎

地球がまわり
俺は力ずくで坐っている

めまいよ こい
生きていることはすばらしい
風よ こい
ふかい空とつりあうために
錘(おもり)のような心がある

地球がまわり
俺は力ずくで坐っている
  *  「山本太郎詩集」1957

地球が自転している速度:
 赤道で1700km/時
 日本では1374km/時 382m/秒

地球が太陽を公転する速度:
 太陽までの距離1億5,000万km×2π/(365*24)=108,000km/時 30km/秒

ひとは、のんびり海を眺めたり、コーヒーを飲んだりしているときでも、秒速30kmで移動する球体に乗って、秒速382mで高速回転している。

■ 『空港にて』 村上龍 文春文庫 2005
「 海外に出発する、というラストシーンは昔から映画や小説でよく使われてきた。日本社会の煩わしさから脱出し、未知の土地に希望を見いだすというニュアンスがあったのだと思う。昔の主人公たちは、アフリカや南米やシベリアという「未知の土地」に、日本社会では果たせない自己実現を求めて旅立っていった。それは、日本の近代化から遠ざかるということで、基本的にロマンチックな行為だった。アフリカや南米やシベリアが「未知」だったからロマンチシズムが成立したのだ。外貨がなく、海外旅行といえばまだJALパックくらいしかなかった時代のロマンだ。
 近代化を達成したあとの日本社会にはアフリカだろうが南米だろうが情報があふれていて、それらの土地に旅立つだけではロマンチシズムは得られない。現代の出発は、閉塞して充実感を得られない日本社会からの戦略的な逃避でなければならない。」