大原川-小学校の屋外手洗い場
- 源流:硯上山南麓?
- 河口:雄勝湾(宮城県石巻市)
- 延長:4kmほど?
(旧)石巻市、(旧)雄勝町を含む1市6町が合併して2005年に大きな(新)石巻市となった。 女川町は(小さいが原発があって財政が豊かということだろう)合併には加わらず、(新)石巻市に囲われて独立している。
それで石巻市中心部から、北部の雄勝地区に向かうと、いったん女川町に入り、ふたたび石巻市に入ることになる。
雄勝湾の南岸を西へ(海からすれば一番奥に)向かって車を走らせる。 両側から山が迫って、大原川に沿った帯状の細い場所が雄勝町の中心部だった。
東日本大震災の津波に洗われて、建物のでこぼこがほとんどなくなった土地に、ひとつだけ異様に大きな建築物がある。 車でそちらに向かって走りながら、異様で不気味な思いがした。
近づいてみると雄勝硯伝統産業会館だった。 雄勝の硯は名高い特産品で、ここがいちばんのPR施設だったろう。
骨組とおよその外形は残っているが、壁が剥がれ、内部もすっかり破壊されていた。 周囲にあった街並みは壊滅しているなかで、背の高い建物が外形だけでもよく残った。
このあたりが雄勝湾の最奥部、大原川の河口ということになる。 この川については明確なデータを見つけられなかったが、地図でたどると、すぐ西にある硯上山の南麓から流れてくるごく短い川のようだ。
川というより水路の印象がある。
すぐそばのやや小高いところに新山神社がある。 僕が行ったのは2013年7月だったが、そのころ再建されたばかりだった。 小さな社殿に近づくと、まだ木の香がした。
神社から河口方面をみおろす。 すぐ右に小学校、その先に中学校があり、人家が周囲にあったはず。
写真の中央から右にかけて、半円形に地面が白くなっているあたりがおそらく小学校があった所。
小学校の校舎は残ったが、すっかり解体された。
左下あたりに体育館があった。
体育館付近の拡大。
たぶん体育館の外の屋外手洗い場、水飲み場で、かつてここで子どもたちが小さな手を洗っていたのだろうと思う。
津波のとき、子どもたちは裏の山に避難し、水に追われるように上に上にと上がって無事だった。
(雄勝地区では2つの小学校と2つの中学校が1つの小中併設校となって新築校舎に移ることになった。)
地図で見ると雄勝湾は「へ」の字をしている。津波は右にある海から左に押し寄せ、いったん上に突き当たってから、「へ」の字の左はし、雄勝硯伝統産業会館やもとの雄勝小学校があったところに向かった。波はいちどカーブして襲ったことになるが、まっすぐ直撃でなくても、人が作った町を壊滅させるほどの力がある。
土がむきだしの一面の造成地で、ダンプカーやブルドーザーが行き来している。 これほどまで徹底した破壊があったかと、今さらうちひしがれたような思いにとらわれる。
(2013.7)