盛川-リアス湾のきびしさ

大船渡プラザホテルに泊まった。
JR大船渡線と大船渡港のあいだにある。
大船渡港は、盛川(さかりがわ)の河口であり、大船渡湾の最奥部にあたる。

大船渡プラザホテル
大船渡プラザホテル、ロビー

このホテルは結婚式場もあり、市にしかるべき来客があれば宿泊地に選ばれる格式高いホテルらしい。
震災のときのことをフロントできくと、3階まで水につかったという。 支配人が客を最上階の5階まで避難させ、そこも危なそうと梯子で屋上へ上がって、客もホテルの人も助かった。 柱だけ残して内部がすっかり破壊されたが、前にショッピング・センターの大きな建物があったので、ホテルには緩衝の役をしてくれたようだとのこと。
今は現代的センスできれいに改修されている。 かつて海に向かう側が正面入口だったが、直撃を避けるように向きを変えたという。(2枚目の写真のガラス壁の向こうが海)。 岸辺まで100メートルほどあるが、震災後しばらくは満潮時には水がすぐそばまで来たが、やがてそれほどには来なくなったという。

大船渡湾
ホテルの部屋からの大船渡港(盛川河口)の眺め。右方向が海(大船渡湾)。
盛川は標高1,351mの山からわずか17kmで河口にいたる。 大船渡湾はそれほどの急斜面の山にかこまれている。 その狭い開口部に波が押し寄せたらすさまじい勢いになることが想像できる。
このあたりは幾度も上流からの洪水と、海からの津波におそわれている。 なかでも1960年のチリ地震津波は被害が甚大で、その後3.4mの高さの津波堤防が造られたが、東日本大震災での津波は防げなかった。

大船渡駅BRT
ホテルの近くを歩いていて通りかかった大船渡駅。
JR大船渡線は、内陸部の東北本線一ノ関駅と、太平洋岸の盛駅を結ぶが、東日本大震災で被災したあと、気仙沼駅-盛駅の区間はBRT(バス高速輸送システム)のバスが走っている。
盛駅から北には三陸鉄道がのびている。
大船渡駅は終点盛駅の1つ南寄りにある。 このあたりでは鉄道のレールをはずして舗装し、バス専用道路になっている。 歩いて通りかかったときに、ちょうど盛駅行きのバスが来た。

おおふなと夢商店街
おおふなと夢商店街とか、屋台村とか、プレハブ横丁とか、急造の店がいくつかある。 震災後の新築らしい独立店舗もわずかにある。 1つを選んで夕飯に入った。

大船渡市立図書館
川からすこし離れたあたりにある大船渡市立図書館
リアスホール岩手というコンサート・ホールと同じ建物にある。 2009年に新居千秋氏の設計で建ち、リアス地形を参照したデザインをしていて、外観も内装も、岩や地層が積層するイメージに満ちている。
大震災で被害は受けなかったが、被災者の避難所になっていた。
今はふつうに運営されている。
僕は2010年に来て、案内していただいたことがある。 図書館のカウンターでその人の名をつげてたずねると、無事だが、図書館からは異動されたとのことだった。無事でよかった。

図書館に地震と津波の資料を集めた書架があり、そこで『津波被災前・後の記録 2011.3.11東日本大震災 宮城・岩手・福島航空写真集』(社団法人東北建設協会編 河北新報出版センター 2012)を見つけて、あとで購入した。震災前後の河口の状況を航空写真で比較して見ることができるので(とくに元の風景を知らない者にとっては)震災に関するいちばんの基礎資料になる。

(2013.7)