二本又川(ふたまたがわ)-津軽藩と南部藩の境界

東北新幹線の七戸十和田駅は、新幹線が北海道まで延びるのにあわせて新設された駅で、周囲は既成の街ではない。駅舎、イオン、道の駅などがあるほかは、がらんとしている。レンタカーの営業所もすぐ目に入り、迷わずに着いて予約どおりに借りる。
真北へ、野辺地湾に向かって走る。本州の北のはずれという思いこみがあったが、意外に交通量が多い。国道4号線という幹線だから当然といえば当然か。
青い森鉄道・jの南、平内町と野辺地町の境は、江戸時代に津軽藩と南部藩の境界だった。境の印として築かれた塚があって史跡として整備され、道沿いに駐車場があり、案内表示があり、見逃さずに着けた。

津軽、南部の藩境塚
坂を降りると4つの塚がある。 南部と津軽のそれぞれに2つずつ、合わせて4つ。
僕のなじみの感覚からいえば、埼玉県内の近くにさきたま古墳というのがあるが、その中の円墳を小さくしたような感じ。

津軽、南部の藩境塚 解説板
4つの塚の間を、南北方向には旧奥州街道がとおっていた。
東西方向には二本又川(ふたまたがわ)という細い川が流れていて、そこと烏帽子岳山頂を結ぶ線がクニの境とされていた。
高さ3.5m、底部の直径10m。

藩境塚の標柱
塚のある小さな平坦地の先に短い坂があって、海岸になる。
平坦地の先端に2本の標柱が立っている。
 右「従是東南盛岡領」
 左「従是西北津軽本次郎領分」
解説板には「津軽藩と南部藩の境界」とあるのだが、この柱の文字は「盛岡領」と「津軽領」になっている。盛岡藩の藩主が南部氏だったので南部藩とも呼ばれるとかいうことらしい。

二本又川の河口
川はこの塚のすぐ先で陸奥湾に流れこんでいる。 ここが二本又川の河口になるが、どこから流れてくるのか、地図でたどると青い線がすぐ消えてしまう。

(2015.8)