九頭竜川-このウェブサイトのタイトル風景

九頭竜川河口・右岸
九頭竜川の河口は三国港。
右岸の先端から防波堤が左に弧を描きながらつきだしている。 明治時代にオランダから招かれたエッセルが設計し、デ・レーケが監督して1880年に竣工した。
国の重要文化財に指定されている。
電線が延びている先に灯台がある。 雨は降っていないが、強い風が吹き、空には暗い雲。 黒ずんだ海面には波がざわめいていて、何だか不安になってくるほど。
河口は、川と海の、異質なものが接している。 それで(かどうか)河口に行くと天候がしばしば不穏で、ここでも河口の荒天に見舞われる。

海にながく延びる防波堤が、遠い海の向こうへ視線と思いをそそる。
はるばるここまで流れてきた川。
その先に広く圧倒的な水をかかえる海。
河口の風景のなかでも格別に印象深いところで、このウェブサイトのタイトルの背景に選んだ。

九頭竜川河口・右岸
これは防波堤の先まで歩いてから、ふりかえったところ。 今ならテトラポットを埋めそうなところにごつごつした岩が並んでいるのは、東尋坊から切り出して運んだものという。

九頭竜川河口・左岸
水を隔てた向こう側、左岸の堤防には鉄塔とタンクが並んでいる。

みくに龍翔館
港の近くの高台にある「みくに龍翔館」は、もと龍翔小学校を復元した博物館。
最初の龍翔小学校は1879年に完成し、35年後の1914年に取り壊されている。
設計したのは防波堤と同じエッセルGeorge Arnold Escherで、当時の三国湊はこんな学校を建てる勢いがあった。 エッセルは、だまし絵で有名なエッシャーMaurits Cornelis Escherの父で、そんな縁から、三国ではトリック・アートのまちづくりをしている。館内にはそのコンテストの入賞作品も展示してあった。

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三国港は、古い時代には朝鮮半島との交易の港として栄え、江戸時代には北前船の寄港地になり、おおいににぎわった。
港の近くには、長い歴史と物語をおびた建物が今もいくつも残されている。

(2004.7 2012.4)