笙の川-早朝のフェリーで入港

笙の川の河口
敦賀市を流れて敦賀湾に注ぐ笙(しょう)の川の左岸の河口に立つ。
笙の川という風雅な名は、中流域に生える細竹が笙(雅楽でつかう管楽器)を作る材になったことから。

笙の川の河口の土手道
ふりかえると、堤防の上の道は桜並木。
僕が行った4月下旬には、いちばん明るいはなやかな時季をちょっと過ぎていた。

気比の松原
1枚目の河口の写真の左(西)には気比(けひ)の松原がある。
とても広い松原で、中央部を車道が貫いて走っているほど。
松原の柵の外は砂浜の海岸。

笙の川河口 堤防か
その砂浜に妙な人工物があって、河口近くまで数十メートルほどだったかつづいていた。もとはもっと長かったものが途中で切られて放置されているような印象がある。
防波堤だったろうか。
でもそれにしては低いし、短く切ったままでは役立たない。
形としてはこんな洋菓子があったらおいしそう。チョコをまぶしてあって、かむとほくほくさくさくの口ざわりで...。

敦賀新港フェリーターミナル
1枚目の河口の写真の右(東)には(やや離れているが)敦賀新港がある。 新潟と敦賀を結ぶフェリーが発着する。
フェリーはちょっとしたビルほどの大きさがあって、ターミナルビルの高い位置から海に向かってつきだした搭乗口から乗降する。
ナチスのドイツから逃れた建築家ブルーノ・タウトは、日本に招く人があって1933年に敦賀港に着いた。
タウトが日本に滞在中の住まいや生活の支援をした群馬県高崎市の実業家井上房一郎は、若いころヨーロッパに遊学したが、1929年に戻ってきたとき、やはり敦賀港に入った。
井上房一郎とブルーノ・タウトの足跡をたどる旅がNHKテレビで制作され、企画した僕が実際に旅をすることになった。 敦賀港に入るところを追体験することにし、でも国際航路は難しいので、新潟港からのフェリーで代用した。
敦賀湾に入るあたりで船内で撮影し、この写真の敦賀新港では早朝降りるところを撮影した。

立石岬灯台
敦賀湾を東西からはさむ陸地の西側は敦賀半島で、その北端に立石岬灯台がある。
NHKの番組のロケで、フェリーで敦賀港に向かっているとき、ベッドで寝ていると早朝スタッフの人に起された。 船が予定より早く進んでいて、もう敦賀港が近いという。
あわてて着替えて、半ば寝ぼけたまま甲板にでると、立石岬灯台の沖を進んでいるところだった。
その撮影は2007年のことで、その後2012年に陸路で立石岬灯台に行った。
岬の先端に白い小ぶりの灯台が建っていた。

立石岬灯台の銘板
灯台にこんな銘板がつけられていた。
「明治十四年七月二十日○○」
近くに現代の説明板があるので日付はなんとか読みとれた。
最後の2文字は「初點」だろうか? 「點」は「点灯」の「点」の旧字体。
この字体は2020年時点では僕にはいい感じに感じられるが、ふつうにスッと読めるふうではないし、曲線が多いのも制作に手間がかかりそう。
当時どんな考え方でこの字体を選んだのだろう。

* 井上房一郎については[井上房一郎と山本鼎の出会い-軽井沢・星野温泉の別荘-]参照


(2012.4)