加治川-海岸砂丘を放水路で貫く

加治川河口
加治川の左岸の河口に向かった。
近づいてから、やや広くなっている道ばたに車をおき、川に向かって歩いていくと、小さな船溜まりが見えてきた。

加治川河口 上流の眺め
上流の眺め。
遠くに加治川の源流の飯豊連峰の山なみ。

加治川河口
加治川は、かつて海岸近くで砂丘にはばまれて西に流れ、阿賀野川に合流していた。 それだと洪水になりやすいので、砂丘が開削され、1913年に加治川放水路がつくられて、まっすぐ海に向かうようになった。
左岸、右岸ともほぼすっきりした直線で、そのあいだを静かに水が流れている。

分水路の完成で水害は減ったのだったが、1966年7月に下越水害、1967年8月に羽越水害と、2年続けて大水害が起きた。 それで治水計画が抜本的に見直され、あらたな河川改良工事が実施された。
それ以後、加治川分水路が加治川本川となった。
もとの加治川本川は派川加治川となり、1974年には河川指定が廃止され、今は親水施設のようになっているらしい。

加治川河口 海難防止見張所
さらに河口先端に向かう。
川に沿った細い道の端にちいさな建物があり、「海難防止見張所」という看板がかかっている。
文字が薄くなっているし、人けもなくて、今はふつうには使われていないかもしれない。

加治川河口 左岸
左岸の先端にでて、西方向の眺め。
砂の大きな堆積が起伏していて、いかにも砂丘が切り開かれたことを思わせる。
煙を吐く煙突が見えるのは、たぶん福島潟放水路河口=新潟東港近くにある東北電力の東新潟火力発電所。
新潟県は「北陸」なのか「甲信越」なのかわかりにくいが、さらに電気は東北電力管内になる。 (新潟県内に柏崎刈羽原子力発電所があるが、これは東京電力の施設で、発電された電力は首都圏に送られる。)

加治川河口 電話ボックスに草
車を置いたあたりに戻る。
電話ボックスがあるが、中が草で満ちてしまっている。
「密漁撲滅作戦展開中」という紙が貼られていて、色が薄くなり、端がキレギレになっている。 ボックスに電話のケーブルもつながっていないし、使われなくなって久しいようだ。

そばに顕彰碑があった。
1971年に鉄砲水があり、「舟の逃場の建設を」町長に要請し、その尽力をえて「この舟溜」ができたとある。 その平野力太郎町長を顕彰するための碑なのだった。
碑文に昔は「大羽鰯の豊漁で賑きあった所」という文章があった。 今は静かだが、豊漁で盛んだった時期もあったようなのだった。

加治川はかつて6000本の桜並木がある花の名所だったが、1966年と1967年の水害後の改修工事で伐採された。 桜の木の根が堤防を弱めたという見方があり、堤防の外に副堤を築いて桜が植えられ、桜並木の復活がすすめられている。
僕が行った日は、大羽鰯の豊漁も、桜見物のにぎわいも、いくらかでも忍ばせるものさえなく、電話ボックスに草が満ちている静かな風景だったが、ゆったりした空気がいい感じだった。

(2020.10)