新堀川-消える河口

新潟の海岸線を地図でたどっていると、ほくほく線の終点駅、犀潟駅の近くで、海に向かって北上しているらしい川が、海岸の直前で消えているのがあった。
川は「新堀川」(しんぼりがわ)とある。
地図上の終点に何かしらの水利施設があって、水は地下をくぐって海に流れているだろうと予想して、現地に着いた。
海岸線に並行して道路がある。
道より内陸側に駐車スペースがあって車をおく。 新堀川が見えて、水が流れてきた(見かけ上の)終点に、予想どおり水利施設がある。

新堀川河口
道を越えた海側に水が流れ出ているかと見ると、草の生えた砂地に消波ブロックがおかれ、水流は見えない。
その先にコンクリートづくりの四角い平面がある。
防波堤にしては短く、幅が広く、舞台のようで、消波ブロックが囲んでいる。
そこまで行って、先端に立ち、下をのぞきこんでみたが、水が流れ出る口は見あたらない。
道路の向こうの水はどこに消えたのか?

新堀川河口の新堀川暗渠排砂揚水機場
道を戻って水利施設に行ってみた。
門柱に「新堀川暗渠排砂揚水機場」とあり、柵に囲われたなかに2つの記念碑がたっている。
 ・ 暗渠排水工事竣功記念碑
 ・ 県営湛水防除事業潟川地区竣功記念碑
でもどういう施設であるかの案内板はない。
川の水面を見ると、おだやかで、流れていなそう。
とはいっても、ただため池のように水をためているのではないだろう。
フェンスの工事をしていたので、作業する人にたずねてみた。
「海に流れているよ。どこへか知らないけど、流れてるさ。」
川の水は、この水利施設が機械仕掛けで調節して海のほうに流しているはずだから、当然の見解ということになるだろうが、どこに流れ出しているかは承知されていなかった。

新堀川河口、中央の防波堤
もう一度、道に戻る。
海に向かって四角い舞台のような平面形が突きだしている。 少し離れて、その四角平面をはさんで左右両脇に防波堤が海にのびている。
(沖に向かって)左にある防波堤のほうに歩いて行ってみた。
そこから中央の四角平面を見ると、側面に口が開いていた。
5個ある。
四角平面の左側面にだけ消波ブロックがないのだから、もっと早く気がついてもよかった。頭の回転が遅かった。

新堀川河口


新潟焼山からでて高田平野を潤し、上越市直江津で日本海に注ぐ関川の支流に保倉川がある。 さらにその支流に潟川があって海岸の砂丘に並行して流れているが、その途中で洪水・湛水防止のためにショートカットの放水路が作られたのが新堀川。
はじめに開かれたのは江戸時代後期の1757年だが、その年のうちに豪雨により両岸が崩壊。
1835年に再開削されたが、その後も海からの砂で排水口がふさがってしまったり、機能を維持するのに困難が多かった。 地域の人たちは堆積した砂を浚渫する費用を得るために、酒屋などサイドビジネスまで手がけて苦労したという。
1951年に国内で初めて海岸に暗渠が作られ、その後に今ある「新堀川暗渠排砂揚水機場」ができて、ようやく安定したという経過を経ているようだ。 今は、水が海に出る口を海に対して正対しないで横に向けている。その両側に防波堤を突き出させて、排水口付近に荒波が押し寄せず、穏やかに保つように設計されている。このように落ち着くまでに多くの労力と知的努力と投資が費やされているだろう。 地図で河口が消えているように見えて、ちょっとおもしろそうと来てみたのだったが、たっぷりと歴史がこめられているようだった。
それでいて僕が行った秋の日は、晴れて風もなく、防波堤では少年と父親が釣りをしていたり、のどかな景色だったのもいい感じだった。

*「海岸砂丘地帯における河川放水路の研究」岩屋隆夫 『土木学会論文集』No.586 1998

(2020.10)